STEAMとアートと心理学

2018年10月12日 投稿者:横地 早和子

 今、「STEAM」教育がにわかに注目を浴びている。日本も含めて世界各国はこれまで、「STEM」(科学Science、技術Technology、工学Engineering、数学Mathematics)を中核とした教育に力を注いできた。NASAの宇宙計画の背後に多くの女性計算手が関わっていたことを描いた、映画『ドリーム』(原題Hidden Figures)をご覧になった方も多いと思う。小中学生向けの書籍『世界を変えた50人の女性科学者たち』(レイチェル・イグノトフスキー著・野中モモ訳)では、STEM分野で活躍した女性の粘り強さと同時に科学の面白さが描かれている。
 近年、このSTEMに「芸術Art」が必要だと「STEMからSTEAMへ」と教育は変わりつつある。科学技術一辺倒の教育や社会的価値観に、芸術の自由で柔軟で豊かな発想が加わることで、本来の人間性(知情意)を兼ね備えた教育へと戻る、そんな潮流が生まれつつある。実は、科学と芸術との間には興味深い関係がある。例えば、2015年にノーベル賞を受賞した大村智先生は美術に造詣が深く、女性作家の作品を中心とした韮崎大村美術館を開設したこともでもよく知られている。こうした例は大村先生に留まらない。科学史の著名な研究者の一人であるルート-バーンスタイン氏の研究では、ノーベル賞受賞者は、他の研究者よりも2-3倍の割合で芸術やクラフトを趣味としていることを明らかにしている。この研究のタイトルには、「芸術的な科学者Artistic Scientists」、「科学的な芸術家Scientific Artists」と、科学と芸術の深い関係を表す言葉が用いられている。

 

 私は心理学の立場から美術家の創作活動を研究している。2018年、初めての試みで「アートと心理学を考える」授業を行った。作家さんにお話を聞いたり、制作の様子を拝見したりして、ほぼ独学で美術のことを知るようになると、心理学のことや人間の様々な活動についてよく理解できるようになったり、芸術と心理学が意外なほど深く結びついていることに気がつくようになったりした。こうした私自身の経験や芸術にまつわる心理学の知見を学生と共有できないかと思っていたこともあり、美術の転換期の作品やその誕生の歴史、芸術における伝統と創造等のテーマを心理学と結びつけながら、様々な資料を読み、美術館で対話しながら作品鑑賞し、芸術活動や人間の創造性について議論するという授業を行った。もっと芸術のことを知って欲しいという思いもあるが、いつの日か、「芸術的な社会人」とか「芸術的な心理学徒」と呼べるような人たちが大学から輩出できると面白いのではないかと、密かな野望を込めて授業案を練っている。

 

教員ブログ写真(横地先生)メデューズ号の筏
「メデューズ号の筏」(ルーブル美術館)の前で、作品を見上げる老若男女。制作当時(19世紀初頭)は大きな議論を呼んだ作品で、社会的な問題をテーマとして描いた先駆的な作品の一つとして位置づけられている。そのような説明がなくても、絵そのものに圧倒的な迫力があり、絵を見つめる人たちの後ろ姿は印象的だ。(筆者撮影)

 

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横地 早和子(Sawako Yokochi)

プロフィール
専門:認知心理学、教育心理学
略歴:名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程修了。博士(心理学)。東京大学大学院教育学研究科特任助教を経て、現職。

音楽実践と知識

2018年9月28日 投稿者:森 薫

 「あなたは音楽の知識をもっていますか?」と聞かれて、自信をもって「はい」と答えられますか?きっとそう答えられる人は少ないのではないかなと思います。「いやー、あんまり音楽のことは知らないもんなあ…」と自信のない気持ちになった人は、音楽の知識と聞いて、音階や調やコード・ネームの理論、ミュージシャンや作曲家の名前、楽器の種類といったことをイメージしていたかもしれません。

 

 実は、私たちの音楽実践においてはたらいている知識は、そうしたものだけではありません。例えば、リコーダーを吹いている人は、リコーダーの運指や息の入れ方等の技能としての知識を持っています。これは言葉ですべてを説明するのはむずかしいけれど、行為を「できる」ことであらわれるというタイプの知識です。ほかにも、ある曲を初めて聴いて、「この曲は悲しい雰囲気だなあ」といったことを感じる直観的な知識、合唱の練習中に「ソロ・パートは1人4小節ずつ、平等に割り振ろう」と考える倫理的な知識…多様な知識が、音楽実践には関わっています。そういうのも知識に入るなら、私も結構もってるかも、使っているかもと思った方もいるのではないでしょうか?

 

 この、音楽実践においてはたらく知識の問題というのが、私の研究テーマです。これまでこの問題について、色々な角度から考えてきました。

 

 私が特に面白いと感じるのが、直観的な知識のはたらきが、理論的な知識をつくりだすことにつながっていく過程です。小学校で子どもたちを観察していると、例えば短調の曲を聴いて「うわ!悲しい曲―!」「お葬式の曲―!!」といったように、初めて聴く曲にびっくりして次々に発言する姿があります。しかし子どもたちの発話はそれだけでは終わりません。徐々に「なんで悲しいのかな?」「先生、フラット使ったでしょ?」「この音(B♭の鍵盤)を押すと死ぬみたいな音になる…?」などと、関心は「悲しい」「お葬式」と感じた理由に向かっていき、探究が深まっていきます。

 

 直観的な知識がはたらくことで、理論的な知識を求めるようになる。そして自分たちなりのそれを見つけ出し、どこかの場面で使ってみる。うまくいかなければ、知識を修正する…この終わりなきサイクルが、私たちの音楽実践を支えています。このサイクルが音楽実践だ、といってもよいでしょう。教師に求められるのは、子どもたちが抱く直観、そしてそこからうまれた問いを見逃さずに、「へぇ、そういう風に感じたんだね」「どうしてだろう?」と一緒に考える姿勢だと思います。私自身、学生の皆さんが授業中に見せる不思議そうな表情や素朴な問いを大切に、一緒に考え、答えを探し、新たな知識をつくりだしたいと思っています。

 

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森 薫(Kaoru Mori)
プロフィール
専門:音楽科教育学
略歴:東京学芸大学教育学部卒業。同大学院連合学校教育学研究科芸術系教育講座単位修得満期退学。音楽学習における知識の問題や、子ども達がうたうわらべうたに関心を抱き、研究している。

 運動やスポーツの場面で、「あの子は運動神経がいいね!」なんて言葉を耳にすることがあります。皆さんは「運動神経がいい」ですか?
 私たちの身体には、実際に「運動神経」と呼ばれる神経があります。生理学的にみた運動神経とは、身体を動かすための筋肉に運動指令を伝える神経のこと。でも、この運動神経、はたらきや性能は私たち皆同じ、スゴい運動神経をもっているから運動が上手というわけではないんです。だから、「君は運動神経いいの?」って聞かれたら、胸を張って答えましょう、「普通!」って。

 

 ところで、皆さんは体力測定をやったことがありますよね。次の測定のうち、遺伝の影響がもっとも大きいと考えられるのはどれでしょうか?
 ①50m走のタイム  ② ボール投げの距離  ③ 反復横跳びの回数

 

 双子を対象として身体のさまざまな特徴を調査した結果、一卵性双生児においてもっとも類似性が高い、つまり遺伝の影響がもっとも強いのは筋肉の性質(専門的には筋線維組成)であったという研究報告があります。筋肉の性質が強く関係し、動作が比較的単純でスキル(技能)の関与が小さい短距離走のタイムは、遺伝の影響が大きいと言えます。それに対して、身体の動かし方やパフォーマンスの成果は、形態的な要素と比べて遺伝的な影響が少なく、むしろ練習や訓練などの後天的な影響が大きいと考えられています。ボール投げの距離や反復横跳びの回数にも筋肉の性質は関係しますが、「投げ方」や「身のこなし」といった動作のスキルも大きく影響します。そう、遺伝の影響がもっとも大きいのは「① 50m走のタイム」です。

 

 一般的に「運動神経がよい」とは、「動作が巧み」であることを例えた表現です。その動作の巧みさには、遺伝的な影響よりも、練習などによる運動スキルの獲得が大きく関与しているのです。そして、その運動スキルを獲得するのにもっとも適した時期が幼児期〜児童期。子どもの頃にいっぱい身体を動かす、たくさんの動作を経験することは「運動が得意なる」ためにとても大切なことなんですね。

 

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真家 英俊(Hidetoshi Maie)
プロフィール
専門:運動生理学、スポーツバイオメカニクス
略歴:東京学芸大学大学院教育学研究科修了。体力医学研究所に所属後、三幸学園スポーツ系専門学校(東京/横浜)の教員を経て現職。

心と身体のつながり

2018年7月20日 投稿者:藤本 昌樹

 わたしは、発達心理学と臨床心理学を専門として大学の授業を行なっています。
 発達心理学というのは、人がお母さんのお腹の中で受精して、誕生してから死に至るまでのプロセスを心理学的に研究する領域のことを指します。また、一方で臨床心理学というのは、人の生きる間に起こる様々な心理学的な問題、つまり気分が落ち込んだり、人との付き合いがうまくいかなかったりする問題を、カウンセリング、心理療法などをつかって改善したり、また、そうした問題の成り立ちを研究したり、また、予防的な研究を行うことをします。

 

 この2つは、実は非常に関係がある領域です。人が発達するにつれ、その個人の持つ問題は、色々と形や見え方が変わってきますし、ある年代に特有の問題もあるからです。子どもの場合には、児童虐待や不登校の問題、勉強などの問題などがあるということがわかるでしょうし、大人の場合には、形を変えて、職場での適応、夫婦の問題などもあるわけです。
 そして、これらの問題についての本質を考えてみると、多くの場合、人と人との関わりが上手くいかないという事が問題となっていることが非常に多いように思います。

 

 この人との関わりのスタートは、誕生後の人間関係によって形成されます。たとえば、十分に面倒を見てもらえて、愛情を受けて育った場合には、自分は愛される価値があると思えるでしょうし、周りの人や環境も信頼できるという感覚が育つでしょう。逆に、適切な面倒を見てもらえず、大切にされなかった場合、自分自身の存在や価値について疑問を抱く可能性もありますし、周りの人のことも十分信頼できないという感覚が育つ可能性もあります。

 

 この感覚の発達は遡って考えてみると、乳児期の言葉が話せなかったり、覚えていると自覚する以前の感覚的な記憶が起点となっているわけです。この感覚的な記憶は、言葉では言い表せないものですから、身体的な感覚の記憶とも考えることができます。おそらく、そうした言葉で言い表せない、言語化できない記憶があるだろうと考えられるわけです。

 

 普通に生活していても、嫌なことを考えてみると、胸や胃のあたりに嫌な感覚がよみがえってくることというのも経験したことがあるかと思います。つまり、今現在起きてないこと、昔の事だとわかっていても身体はその時のことも覚えているとも言えるのではないでしょうか。もちろん、これは悪ことばかりではありません。楽しいことを思い出せば、身体も自然と楽しかった時の事を思い出すというわけです。
 つまり、これは心と身体が繋がっているということを示しているといえます。そして、これを臨床心理学に応用して考えて行くと、身体を利用して、身体の神経系の反応を軽減したり、調整しやすくする事で、トラウマと言われるような問題も解決することができるのです。

 

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藤本昌樹(Masaki Fujimoto)
プロフィール
専門:臨床心理学、発達心理学
略歴:東京学芸大学大学院心理学分野修了、東京医科歯科大学大学院修了。博士(看護学)、臨床心理士、社会福祉士、精神保健福祉士。子どもから成人の心理療法を現場で実践している。

 

 みなさん、こんにちは。こども心理専攻の平部です。臨床心理学を専門としています。

 

 さて、カウンセリングについて大学で授業をしていると、「カウンセラーに向いている人はどういう人ですか?」という質問を受けることがあります。この質問にどう答えるかは、人によってさまざまだと思います。私自身は、カウンセリングには向き不向きもありますが、トレーニングによる部分が大きいと思っています。その前提がありつつも、私はよく「自分について考えられる人」と答えます。

 

 カウンセリングは、悩んだり問題を抱えたりして相談に来た人(クライエント)に対して、会話などのコミュニケーションによって援助をします。援助をする際に、その対象であるクライエントのことを理解するのが大事だということは、分かりやすいと思います。しかし、それだけではだめです。カウンセラーは、クライエントのことと同じくらい、自分について考えなくてはいけません。クライエントとの関係の中で自分は何を感じているのか、自分はどのような考え方をしがちな人なのか、そもそもなぜ自分はカウンセリングで人を援助しているのか、などなど。カウンセリングは、カウンセラーとクライエントの関係性の中で成り立つ援助です。ですから、自分について考えることは、クライエントを理解することにつながります。自分自身に向き合わずにクライエントを援助することは、基本的にはできないのです。どのような援助でも自分についての理解は必要ですが、カウンセリングは、そういう要素のとりわけ強い援助だと言えます。

 

 カウンセラーであるということは、カウンセラーとしての自分自身のあり方について考え続けるということです。「自分について考えられる人」というのは、そういう意味です。トレーニングで、考える姿勢を身につけることもできます。大学の授業も、自分について考える機会になります。自分について考えることには苦しさもあるので、あまり急いで突き詰める必要はありません。少しずつ、自分のペースで考えることが大事です。

 

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平部 正樹(Masaki Hirabe)
プロフィール
専門:臨床心理学
略歴:早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程修了。東邦大学助手、目白大学専任講師等を経て、現職。これまで、医療領域、教育領域、産業領域での心理臨床活動に従事してきている。

 

 誰にでも,苦手なものがあったり,苦手な人がいたり,苦手な対象の1つや2つはあるものだと思います。苦手なものや人のことを考えないようにする、苦手を意識しないように努めることがありますが,このような方法は、苦手意識の軽減や克服につながるのでしょうか。
 たとえば,人前での発表が苦手な人に、発表前には「苦手意識を捨てるんだよ」とアドバイスをしたり、発表がうまくいかなかったときには「気にするな」と声をかけたりすることがあります。このような声かけの仕方は、苦手意識をよりいっそう強めてしまうそうです。
 これは、思考抑制の逆説的効果といわれる現象と関連しています。思考抑制の逆説的効果とは、あることがら(思考)を考えないように努力するほど、そのことがらに関連した思考が頭に浮かびやすくなってしまう現象のことです。たとえば、苦手なクラスメイトのことを考えないようにしようと努めるとします。考えないようにするためには、頭に浮かんでくるクラスメイトの顔や行動を抑えこもうと、多くのパワーを要します。また、考えないようにしているときには、なぜか、そのクラスメイトの声や話題が耳に入りやすくなってしまうものです。
 このように、考えないようにしようと強く思うほど、苦手なものや苦手な人のことが気になってしまうという悪循環に陥ることがわかっています。これとは逆に、苦手なものや苦手な人のことが頭に浮かんできたとしても、無理に消し去ろうせずに自然にまかせておいたり、別のことを考えるようにしたりするほうが、苦手なものや苦手な人に関連する思考は増幅しないようです。
 問題から意識をそらしても何も解決しないように思われがちですが,苦手であることを気にしない、考えないようにすると,かえって苦手意識を高めてしまうこともあります。そのため,時には苦手なことや苦手な人から意識をそらし,気を楽にすることをおすすめします。

 

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日向野 智子(Tomoko Hyugano)

プロフィール
専門:対人社会心理学
略歴:2003年、昭和女子大学大学院生活機構研究科博士課程修了(学術博士)。東洋大学21世紀ヒューマン・インタラクション・リサーチ・センターPD、立正大学心理学部特任講師を経て、2013年より現職。

 私は,主に「臨床心理学」や「ひきこもり」のことを専門にしています。
 はじめてひきこもりの人と直接かかわるようになったのは,まだ大学生で臨床心理学を学び始めたばかりの頃,ボランティアとしていくつかの「居場所」や「フリースペース」と呼ばれる集まりに参加したときでした。ボランティアとして参加するまで,ひきこもりの人とほとんどかかわったことがなかった私は,当初は「ひきこもりの人って,みんな落ち込んで元気がないんだろうな」,「みんな部屋の端で黙ったままなのかな」と想像していましたが,良い意味で裏切られました。もちろん,緊張からか,なかなか周囲の人との話に参加できないような人もいましたが,そのような人ばかりでもなく,初めてのボランティアで緊張気味の私よりもむしろ積極的に話しかけてくれたり質問してくれたりする人もいて,本当にさまざまでした。そのとき私は正直なところ,「なんでこんなに元気なのにひきこもりなんだろう」と疑問に感じ,スタッフの人に尋ねると,「実際にはあの人(元気にみえるような人も)大変な状況なんだよ」と教えてもらって驚いたことを覚えています。

 

 このようなきっかけでかかわり始めた「ひきこもり」ですが,ひきこもりの人は,どのくらいの年齢の人か,みなさんご存知でしょうか?ひきこもりのことに関心をもってくれた大学生に尋ねると,「中高生くらい?」や「大学生くらい?」という印象を持っていることが多いように思います。しかし実際には,私も初めて知ったときは意外に思ったのですが,30~40代の人がもっとも多いという調査結果がいくつも報告されています。そのため,最近では,親子ともに「高年齢化」したときにどのように生活を成り立たせるかということそのものも大きな問題です。

 

 いま振り返ると,私が臨床心理学やひきこもりのことを取り組むようになったのは,自分が思っていた常識と実際のズレに驚き,「なぜだろう」と疑問に感じたことが1つのきっかけかもしれません。

 

野中先生
野中 俊介(Shunsuke Nonaka)

プロフィール

専門:臨床心理学
略歴:早稲田大学大学院博士後期課程修了。博士(人間科学)。臨床心理士。民間相談機関カウンセラー、東京都公立学校スクールカウンセラー、国立精神・神経医療研究センター非常勤研究員などを経て現職。