私は理系?それとも文系?

2017年12月15日 投稿者:鈴木 哲也

皆さんは理系ですか?それとも文系ですか?私は理科教育学が専門です。ということは多くの人は「なら理系ですね」と思うことでしょう。

 実際に、私は色々なことを実験してみたり、自然観察をしてみたりすることが大好きです。

海外の旅行に行ったときでも、近く(?)に動物園があれば行ってしまいます。

写真はベトナム・ホーチミンの動物園です。右のキリンの写真、なんか変ですよね?!

 

動物園1動物園2

 

私は理科的なことだけではなくて、文系的なことにもずっと興味をもっています。

 現在、私は研究として、昔の指導案や記録などの資料を集めて学校飼育動物の歴史をまとめたり、生き物や自然と倫理の問題を勉強して理科の授業で生命尊重の態度を育成することが本当に可能であるのかといった哲学的なことを考えたりしています。

 最近のマイブームは理科と法律の関係です。薬品の保管・使用、動物の利用、理科実験で起きた事故の対応など理科と法律は結構関係しているのですが、ふだんはあまり気にしないですよね。ちなみにやるなら徹底的にということで趣味として1年間法律の勉強をして「行政書士」という資格試験を11月に受験してきました(何十年ぶりにか、たくさんの人が受験する試験を受けました。やっぱりドキドキしますね)。

 私は果たして理系なのでしょうか?それとも文系なのでしょうか?もはやどっちでもいいような気がしませんか?

 大学を受験する入口としては理系・文系とった枠組みはあるかもしれませんが、学びや研究はたぶんそんな区切りは必要ないのだと思います。

 私はこれからも理系・文系にこだわらず、「学びたいことを徹底的に学んでみる」、「調べてみたいことを徹底的に調べてみる」の精神で興味あることにぶつかっていきたいと思っています。

 

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鈴木 哲也(Tetsuya Suzuki)

プロフィール

専門:理科教育学
略歴:筑波大学大学院博士課程教育学研究科満期退学。千葉大学や立教大学等の非常勤講師を経験後、秀明大学の専任講師となりその後本学教員となる。現在は学校飼育動物の歴史を中心に研究している。

あの日の涙

2017年12月1日 投稿者:白石 雅紀

「本気になれ!全力で取り組め!」

「自分で自分の限界を、可能性を狭めるな!」

 

 私がラグビーを始めた高校時代、当時の監督から散々言われた言葉です。当初は「監督のたわごと」とし、聞き流していました。そんな私ですから、練習で新たな取り組みをしようとしても、取り組む前から「こんな難しいことはできないだろう」などと思っていましたし、格上の相手と試合する前も「どうせ負ける」と思っていました。当時の私はラグビーに対して本気で取り組んでおらず、適当で、どこか冷めていました。

 そんなあるとき、公式戦で格上相手にボロ負けすることがありました。私自身、格上相手に初めから勝てると思っておらず、それまでの練習にも本気で取り組んでこなかったため、ボロ負けしても悔しい思いはしませんでした。むしろ「怪我しなくてよかった。明日の休みは何をして遊ぼう」などとふざけた気持ちが先に立っていました。ですがそんな私の横で、友達であるチームメイトが本気で悔しがって号泣していました。号泣している彼の姿を見て、ある意味冷めていた自分がなんだか恥ずかしく思えたことを良く覚えています。

 以降、いきなりは変われませんでしたが、「本気になる」ことを意識して日々を過ごすようになりました。本気になって物事に取り組んでみて、私自身気づいたことがあります。「自分は思っていたよりもできる」ということと、「本気を出すと成長する」ということです。以前は自分の中で「できること・できないこと」を勝手に決めつけ、「できないこと」は極力避けていました。ただ、自分が「できない」と思っていたことでも、全力で取り組めば「可能性が見えてくる」ことに気づきました。また、全力で様々な物事に取り組んでいるうちに、以前できなかったことができるようになり、自分が成長しているという実感を得ることができました。その時にようやく、前述の監督の言葉の意味を理解することができたように感じ、以降は監督をはじめ、他人の言葉は聞き流さないようになりました。

 結局私は高校卒業後、大学でもラグビーを続け、大学院時代もプレーヤー兼コーチとしてずっとラグビーに携わってきました。正直に言って未だにラグビーが好きかどうかと言われると、良くわからないというのが本心です。ラグビーは痛いし、きついし、汚いし、臭いし、怖いスポーツです。そんなラグビーですが、ラグビーが今の私を形作った重要な要素であることは間違いないと思います。そして、これだけ長くラグビーを続けることになったきっかけは、間違いなくあの日に見た友達の涙です。

 私は本年度より東京未来大学に着任しましたが、先日行われた三幸フェスティバルでの学生の涙が、あの日の友達の涙と重なり、当時のことを久しぶりに思い出しました。三幸フェスティバルでの学生の涙は私の友達の涙と同じ、「本気になって取り組んだ結果の涙」だと思います。漫然とした生活を過ごしているとなかなかあの類の涙を流す機会はありません。三幸フェスティバルでの体験が、あの涙が、学生自身の成長と自らの可能性を広げるきっかけとなればと思います。

 

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白石 雅紀(Masanori Shiraishi)

プロフィール

専門:社会福祉、国際福祉
略歴:岩手県立大学社会福祉学部卒業、岩手県立大学社会福祉学研究科博士後期課程修了、秋田看護福祉大学社会福祉学科助教、修紅短期大学幼児教育学科講師

 小学校5年生か6年生の時のことだから今から50年以上前のことだ。
 渋谷区立小学校何校かの泊まりがけの校外学習があって、帰りは国鉄の貸し切り電車だった。修学旅行用の車輌だったかもしれない。私は長谷戸(ながやと)小学校だったが、その時は、小学校毎に1輛の車輌があてられていた。各車輌はボックスシートで、私たちの1輛には2学級約80人と先生方が乗ったはずだ。4、5校だったように思う。
 夕方だったのだろう。なんと、その時は折り詰めの弁当が出た。どこかの駅弁だったのだろう。学級全体で、そういうものを食べた経験はなかったので、それだけでも車内は盛り上がった。そして、食べ終わって終点駅に近くなったとき、片付けが始まった。
 私は、「椅子の上に放っておけば片付けてくれるよ」とそのままにしようとした。私の母親が、関西の実家に行く長距離列車に乗るときにいつもそう言っていた上、実際、長距離列車では多くの乗客がそうするのを度々目にしていたからだ。だらしない小学生のようだが、自分としてはそれなりに理屈があって、片付けるのが車掌や駅員の務めだと思っていた。
 そこへ、担任の桐山甲子治先生がやってきて、まず弁当の蓋を被せるように指示した。そしてその次に7,8個ぐらいを重ね合わせて紐で結わくように指示した。「そんなことをしなくてもいいのに」と私はぶうぶう言っていたが、同級生にはあまり抵抗感もなかったらしい。先生の言いつけに従って、どんどん積み上げて結わくので、しぶしぶ私も従った。
 隣の学級はそんなことはしないはずだと思ったのだが、同じ車輌の中だったので、見渡すとみんな同じようにし始めた。私たちの学級担任がそうさせているのをみて、隣の学級担任もそうせざるを得なかったのかな、なとど思いながら、私はなんだか不思議な気持ちだった。
 そして、終点の駅に到着した。上野駅だっただろうか、新宿だっただろうか。私たちが弁当箱をボックスシートに置いていこうとすると、桐山先生から、何人かはそれを持って降りて、ホームのゴミ箱に入れるようにと言われ、私も弁当箱の束を1つ持って降りた。今ではそんなふうに片付けるのは当たり前のことかも知れないが、当時は相当珍しいことだったと思う。
 私たちの乗ったのはたまたま最後部車輌だった。それで、前の方の車輌の脇を通って歩いて行くと、窓から各車輌の様子が目に入った。すぐ隣の車輌は、空箱に蓋をしてボックス席のそれぞれの椅子の上に置いてあった。やっぱり自分の言ったことが正しいと思った。その次の車輌は、蓋も被せていない弁当箱が椅子の上に散乱していた。蓋していないのが多かったと思う。確か、一番前の車輌では、私たちと同じように弁当箱を積み上げて結わえてあったが、それをボックス席の椅子の上だか床の上だかに置いてあった。へえ、そんなことをする学校もあるのだと思ったが、私たちと違って、弁当箱を持ち出してゴミ箱に運ぶことはしていなかった。
 私は母親の教育もあったので、ぶつくさと、なんでほかの学校は持ち出さないのに、自分達だけが持ち出して片付けることまでしなくてはならないんだと、そんなことを同級生に言っていた。尤も同級生達はもっと素直で誰も私には同意してくれなかったのだが。
 数日後、授業中に桐山先生から駅員さんが、よく片付けてくれたことで喜んでいたと言う話があった。私がこそこそそんなことを言っていたからかもしれない。私は本当かなあ、と思いながら聞いていた。それがよいことなら、ほかの学校もやらせるべきだ、と同級生に話したこともあった。
 前回のブログ(2015年11月9日)で、先生は私たちの学級全体の学力を向上させただけでなく、生活指導もよく行っていたと書いた。このエピソードはその1コマである。
 私は、以来たびたび、そして今になっても、時々そのときのことを思い出す。各車輌に残してあった空の弁当箱の様子の違いは忘れられない。小学校の同じ先生といっても、指導していることはそんなに違う。今、大学で小学校教員養成の仕事をしながら、なおそのことが気になっている。桐山先生の生活指導の影響は絶大だった。

 

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所澤 潤(Jun Shozawa)

プロフィール

専門:教育方法学
略歴:東京大学教養学部基礎科学科卒。大学院教育学研究科単位取得退学。東京大学助手(東京大学史史料室)後、群馬大学勤務。教育学部教授、教職大学院教授を経て現職。群馬大学名誉教授。

「ねぇ、遊んでもいい?」

2017年10月27日 投稿者:篠原 俊明

こんにちは。

みなさん、「運動不足気味だなぁ」「体力が落ちたなぁ」「健康のために、美容のために、ダイエットしないとなぁ」と思ったことはありませんか?

こう思ったみなさんの多くは、「夜、ジョギングしよう」「フィットネスクラブに入ろう」と考えるはずです。

実際に、行動に移すかどうかは別問題ですが。。。

私たち大人は、何か目的があって運動なり、スポーツなりをして体を動かします。かく言う私も、「健康のために」「体育の授業で学生に負けないために」といった目的で定期的にフットサルやジョギングを行っています。

 

子どもたちは、元気いっぱいに体を動かして遊びます。真っ黒に日焼けして水の中を泳ぎ、白い息を吐きながら駆け回っている子どもたちの姿は、見ているこちらがワクワクしてきます。子どもたちは私たち大人と同じように「最近運動不足だから、なわ跳びでもやるか」「体力高めたいから、鬼ごっこでもやるか」といったことを考えているでしょうか?子どもたちは、何か目的を持って体を動かしているわけではなく、「遊び」自体が楽しく、遊びたくて遊ぶのです。

 

私がまだ大学院生の時、外部の指導者が幼児さんを対象に、跳び箱やマット運動の指導を行う場面を見学させていただく機会がありました。子どもたちは、上手に跳び、上手に回っていました。

 そして最後に、指導者に全員でご挨拶をした後のことです。

 一人の子どもが先生に近づき「ねぇ、遊んでもいい?」と聞いていました。

これには衝撃を受けました。子どものためにとした取組が、その子どもにとっては遊びの時間を取られただけに過ぎなかったのです。もしかしたら、やらされていると思った子どももいたかもしれません。

 

子どもたちは、「遊び」を通じて、こころとからだを大きく成長させていきます。子どもたちが元気いっぱい遊べる環境を整えることは、保育者・教育者の大きな役割のひとつです。将来、保育者・教育者を目指すみなさんには、子どもたちの「遊び」の本質を理解し、「遊び」を保障する保育・教育を学んでもらいたいと思います。

 

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篠原 俊明(Toshiaki Shinohara)
プロフィール
専門:体育科教育学、発育発達学
山梨大学大学院教育学研究科修士課程修了。東海学院大学短期大学部助教、講師を経て現職。体育授業実践、子どもの体力・運動能力や運動発達について研究している。

 

小学校の英語、これから

2017年10月13日 投稿者:執行 智子

 小学校高学年に外国語活動が導入されて早5年、そして2020年からは高学年において「外国語」が正式に教科として小学校に登場します。先生にとって未知の「小学校の外国語」と奮闘していることと思います。私も「小学校の外国語」と関わり十数年がたちます。十数年前は世界地図も、英語の絵本も、英語のフラッシュカードもない小学校がほとんどでした。小学校に行く時は教具をキャリアバックに詰め込み、ガラガラと引きながら歩いて行きました。大学に戻ると学生から「どこに行かれるんですか」と尋ねられ、「ハワイです」と冗談を言うほどの荷物の多さでした。最近ではどちらの小学校を訪問しても、先生自身が外国語活動に積極的に関わる姿を拝見でき、誇らしさと年月の重さを感じています。

 さて、高学年に「外国語」、中学年に「外国語活動」が導入されますと校内のほとんどの先生が英語の指導に関わることになります。英語が専門でない小学校の先生にはとても負担になることと思いますが、担任であることを生かして、中学校・高等学校ではできない「英語」の授業ができると私は思っています。

 外国語学習にとって欠くことのできないものは、適切で豊富な英語のインプットです。母語を獲得する時、赤ちゃんはおなかの中でお母さんのたくさんの母語の語りかけを聞き、生まれるとお父さん、おじいさん、おばあさんなど回りの人たちから多くの語りかけを聞きながら母語に親しんでいきます。2歳位までは、一言もことばを話さずじっと聞いている子もいますね。外国語習得も同じようになされるべきであると多くの研究者が言っています。適切で豊富なインプットに触れることが、外国語習得においてもとても大切なのです。「一つ教えたら一つ言える」わけではないのです。

 英語の絵本の読み聞かせは、インプットとして有効な手段です。子どもが絵を見て、それと既知情報(概念)を結びつけて意味を推測しながら、同時に音声で聞くことで、ことば(音声)の意味を理解することができようになります。この時、断定的な訳や意味を日本語で与えてしまうと、聞き手である子どもが混乱してしまう場合があります。というのは、一人ひとりの頭の中にある経験や環境から作り上げたられた概念は、全ての人において全く同じではないからです。

 小学校の担任の先生は、児童一人ひとりの頭の中のこと(概念)をよく分っているので、英語の絵本の読み聞かせをしながら、各々にどのような語りかけをすれば理解ができるかなど、日本語で意味を教えるのではない上手なフォローアップができるのではないでしょうか。現在では、英語の絵本に読み上げのCDがついているものが多くあります。これらを上手に活用することで、特上のインプットができることと思っています。

 英語に恐れることなく、英語と仲良くしていきましょう。

 

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執行 智子(Tomoko Shigyo)

プロフィール

専門:第二言語習得・初等英語教育
略歴:津田塾大学文学研究科後期博士課程単位取得満期退学。外国語活動コーディネーター、小学校教員研修講師などを経て現職。小学生から大学生までの英語学習を概観、初等英語指導者に必要なことを研究。

子どもと物語

2017年9月29日 投稿者:佐々木 由美子

 子どもたちは絵本や紙芝居など、お話が大好きですが、保育の中に取り入れられるようになったのは、いつくらいからだと思いますか? 実は、1876(明治9)年、日本で最初の幼稚園とされる東京女子師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)が設立された当初から、保育項目の中にお話(当時の呼び方だと「説話」)は存在していたのです。明治9年といえば、まだ創作の児童文学も誕生していません。もちろん、絵本や紙芝居もない時代です。当時の資料を見ると、保育者は「兎と亀」「賢いカラス」などのイソップ寓話や「ワシントン伝」などのお話を覚えて、子どもたちに語っていたのがわかります。なぜ、日本の昔話ではなく、イソップのお話だったのでしょう。それは、当時、幼児教育のお手本が国内になく、参考にしていたのが、海外の翻訳書だったからです。その後、明治30年代になると、「桃太郎」「舌切り雀」「浦島太郎」など日本の昔話や創作の物語も、保育の中で語られるようになっています。現代のように幼い子どものための物語が豊富にあったわけではない時代、保育者は苦心して子どもたちが喜ぶお話を探して語っていたのです。

 さて、現代ではスマートフォンのアプリでも絵本の読み聞かせをしてくれます。とても便利な世の中になりました。でも、アプリの読み聞かせは、母親や大好きな先生が読んでくれる体験とは質的に異なるものだと思います。語り手の身体を通って発せられる音声としての言葉は、息遣いや表情、ぬくもりをもった生きた言葉です。語り手のあたたかな想いや愛情がたくさん込められています。録音された音声や機械音とは違います。子どもたちは、大好きな人と空間と時間と物語の楽しさを共有しながら、自分が愛され、大切にされていることを感じとります。大人にとっても、子どもにとっても幸せな時間です。

 幼児教育の父・倉橋惣三は、お話のことを次のように述べています。「『お話』が幼児の為に如何に幸福なる世界であり教育上如何に貴重なる材料であるかは、更めて説くまでもない。之れは古く古くから世界のあらゆる国に於て行はれて来た、最も自然的にして最も普遍的なる最古の幼児教育法の一つである」と。物語を介して子どもとじっくりと向かい合う時間を大切にしていきたいものです。

 

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佐々木 由美子(Yumiko Sasaki)

プロフィール

専門:児童文化・文学、幼児教育
略歴:白百合女子大学大学院児童文学専攻博士課程満期退学。鶴川女子短期大学講師、准教授を経て現職。絵本や紙芝居を中心に、子どもの育ちと文化について研究している。

自分にとっての専門性

2017年8月4日 投稿者:近藤 俊明

 自分が人生において何をやりたいか, 考え始めたのは高校生の頃だと思います。世界は広く, 人生には自分の知らない深いものがあり, それらを是非知りたいと思っていました。
その頃,将来は小説家になりたいと思い, トルストイや夏目漱石などを好んで読みました。そして卒業後, 東京にある大学のロシア文学科に進みました。
 しかし, 学生運動の盛んな頃でもあり(文学部自治会室で, 学生のリンチ殺人事件などもありました), 大学の勉強にはあまり真剣になれず, 3年生になる時は留年しました。当時は東西の冷戦時代であり, ロシア文学を学ぶ者として,東のリーダーであったソ連(現ロシア)を自分の目で見てみたいと思いました。
 一年間皿洗いをして資金を作り, 3月, ナホトカからシベリア鉄道に乗ってウラル山脈を超え, モスクワ, レニングラード, そして, キエフまで行きました。社会主義の統制下ではありましたが, 一月弱の一人旅でロシア人達の個人としての純朴さに触れました。
 大学の3年目からは, しかし, 哲学を専攻しました。当時盛んであった実存主義(その頃の哲学の中心は実存主義とマルクス主義)を学びたかったからです。 卒論は, キエルヶゴール全集を全て読んで書き上げました。B評価でした(笑)。しかし, それ以後, 彼の真に深く考え誠実に生きる人間の姿は, 私の人間観の一方の極になりました。
 大学卒業後の私の人生を端折ると, 3〜4年働いた後, 27歳で渡米。ニューヨークにて10年ほど大学・大学院で臨床心理学などを勉強, 学位と資格を取り, 10年ほど特別支援学校や病院, 心理クリニック(開業)などの仕事に従事。2001年帰国, という風になります。
 そして今も, 人が生きるとは何かということを考え続けています。一言で私が学んだことをまとめますと, 自分の専門というのはそれを本気で生きるということに他ならないのではないか, ということです。
 

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近藤 俊明(Toshiaki Kondo)
プロフィール
専門:臨床・学校心理学
略歴:早大一文、NY市立大学、ホフストラ大学臨床・学校心理学博士課程卒、学術博士、サイコロジスト(NY州免許)、臨床心理士。NY州にて、病院、特殊教育学校、開業等を経て現職。