40年前の学生生活 ~銭湯のことなど~(神部秀一先生)

2015年7月3日 投稿者:神部 秀一

学生時代、銭湯「招福湯」にお世話になった。ここは大学から自転車で10分程の所にあった。大概はA君と一緒だった。下宿に風呂はなく、われわれは週一回の銭湯を楽しんだ。頭の先から足の指の間まで洗って、自分が本当にきれいになるのを感じた。きれいになった体には、着替えを忘れてはいけない。A君は、「靴下を忘るるなかれ、況んやパンツにおいてをや」。こんな言葉を作って楽しんでいた。

 

あるとき、顔の全面に石けんを塗りたくっている人がいた。気合いの入った洗い方に感じ入った。が、驚くのは早かった。石けんで真っ白の顔になったあと、彼は、両目を開けた。そんなことができるのかと思った。そこで、私もまねをした。顔を真っ白くした後に、思い切って大きな目を開けた。今でこそ、潰れた瞳ではあるが、当時はつぶらな瞳といわれるほど大きな目をしていた。はたして、石けん水が目に入ってきて、大変なことになった。

 

正月は初湯にいった。お正月の銭湯は、朝開く。A君とは、銭湯を出る時刻を10時と決めていた。長湯したければ、早く入湯すればよいことになっていた。私は9時に入って1時間はゆっくりした。初湯のあとは初買いに出かけた。前橋の町中まで買い物に行くのである。--後年、この話をしたときに先輩から「初買いというのは遊郭の言葉だ。買い初めの方がいい」と教えられた。知らないということは恐ろしいことだと悟った。

 

その買い初めだが、正月はどこの店も、何かを買うと年賀粗品のサービスがあった。手帳、メモ帳をはじめとして、ボールペン、鉛筆。古い週刊誌もあったと思う。歯ブラシもあった。本屋さんで歯ブラシをもらうというのも妙だが、この歯ブラシで歯を磨いたら、A君も私も血だらけになった。相当硬い歯ブラシであった。来年は違う本屋にしようということになった。この買い初めは、後輩も加わって卒業後もしばらく続いた。

 

昭和57年だったと思う。「招福湯」が閉まることになった。当時、私は僻地の小学校に勤めていたが、その日は山から下りて最後のお風呂を楽しんだ。風呂を出るとき、番台のオカミさんの目を見て無言の挨拶をした。

 

学生の皆さんも、流行のスーパー銭湯で様々な思い出を残していくのだろうと思う。

 

 

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神部 秀一(Shuichi Kanbe)
プロフィール

専門は国語科教育。子どもが喜び、しかも確実に国語学力が身につく、そんな授業を開発することが趣味です。現在、音読・朗読に興味をもっています。一ランク上の朗読を目指して修業中。おもな著書は、『教育実践集 私の國語教室』(私家版)です。