私の大学時代の思い出

2016年1月29日 投稿者:宅間 雅哉

私の大学(学部)時代は、1980年代の前半から中盤にかけてでした。「第2次オイルショック」の余波で景気低迷にあえぐ各国を尻目に、日本が文字通り「経済大国」への坂道を駆け上る頃でした。
 
当時、大学の授業は各学期(前期・後期)12回が標準だったと記憶しています。どのような理由であれ、やはり急な休講はうれしいもので、登校時には真っ先に「休講掲示」を確認したものです。
 
また、現在のように丁寧で詳細なシラバスはありませんでした。「講義要項」なる変にいかめしい名称の小冊子をいただき、わずか数行で示された各科目の概要を手がかりに、履修するかどうかを決めました。
 
入学式は4月1日。そのあと学科別に「履修オリエンテーション」がありました。担当の教授が黒板に時間割の枠を描きながら、「必修科目で指定されたクラスを全部入れたら、空いたコマに選択科目を入れてください」と説明し、15分ほどであっけなく終了となりました。
 
1年次前期のスタートは4月16日、金曜日でした。入学式から2週間以上過ぎて授業開始という実に贅沢なのどかさです。大学生として初の授業は、2時限の「音声学演習」でした。現代英語の発音(調音音声学)について学ぶ科目で、分厚い洋書が教科書でした。ご担当は4月1日の「履修オリエンテーション」で説明してくださった先生でした。函館のご出身で、腹の底から響き渡る美しい発音に圧倒されました。
 
時は流れて3年次、先生のゼミに配属されました。学科内では一番の人気ゼミだったので、メンバーとなれた時の喜びは格別でした。英語音声学の洋書を輪読する一方で、年間5冊の文献が指定され、それぞれを読んでレポートする課題がありました。「書く」という「産みの苦しみ」を痛感しつつも、非常に充実した一年でした。
 
先生ご急逝の報に接したのは、2004年の暮れでした。享年71歳。ご逝去の日は、私の41回目の誕生日でもありました。
 
「音声学演習」の教科書だった洋書は、尊敬する田辺洋二先生の形見として、今も研究室の書架で大切に保存しています。
 
 

takuma
宅間 雅哉(Takuma Masaya)
プロフィール
英語を歴史的な視点から研究する。最近はこれをベースに、気候学、地理学、歴史学などの成果を交えたユニークなイギリスの地名研究にもチャレンジ。PCを使ったオリジナル教材の開発が趣味。