食べ終わった駅弁の空箱はボックス席に置いておけばよい? ――小学校高学年の経験(昭和40年頃)

2017年12月1日 投稿者:所澤 潤

 小学校5年生か6年生の時のことだから今から50年以上前のことだ。
 渋谷区立小学校何校かの泊まりがけの校外学習があって、帰りは国鉄の貸し切り電車だった。修学旅行用の車輌だったかもしれない。私は長谷戸(ながやと)小学校だったが、その時は、小学校毎に1輛の車輌があてられていた。各車輌はボックスシートで、私たちの1輛には2学級約80人と先生方が乗ったはずだ。4、5校だったように思う。
 夕方だったのだろう。なんと、その時は折り詰めの弁当が出た。どこかの駅弁だったのだろう。学級全体で、そういうものを食べた経験はなかったので、それだけでも車内は盛り上がった。そして、食べ終わって終点駅に近くなったとき、片付けが始まった。
 私は、「椅子の上に放っておけば片付けてくれるよ」とそのままにしようとした。私の母親が、関西の実家に行く長距離列車に乗るときにいつもそう言っていた上、実際、長距離列車では多くの乗客がそうするのを度々目にしていたからだ。だらしない小学生のようだが、自分としてはそれなりに理屈があって、片付けるのが車掌や駅員の務めだと思っていた。
 そこへ、担任の桐山甲子治先生がやってきて、まず弁当の蓋を被せるように指示した。そしてその次に7,8個ぐらいを重ね合わせて紐で結わくように指示した。「そんなことをしなくてもいいのに」と私はぶうぶう言っていたが、同級生にはあまり抵抗感もなかったらしい。先生の言いつけに従って、どんどん積み上げて結わくので、しぶしぶ私も従った。
 隣の学級はそんなことはしないはずだと思ったのだが、同じ車輌の中だったので、見渡すとみんな同じようにし始めた。私たちの学級担任がそうさせているのをみて、隣の学級担任もそうせざるを得なかったのかな、なとど思いながら、私はなんだか不思議な気持ちだった。
 そして、終点の駅に到着した。上野駅だっただろうか、新宿だっただろうか。私たちが弁当箱をボックスシートに置いていこうとすると、桐山先生から、何人かはそれを持って降りて、ホームのゴミ箱に入れるようにと言われ、私も弁当箱の束を1つ持って降りた。今ではそんなふうに片付けるのは当たり前のことかも知れないが、当時は相当珍しいことだったと思う。
 私たちの乗ったのはたまたま最後部車輌だった。それで、前の方の車輌の脇を通って歩いて行くと、窓から各車輌の様子が目に入った。すぐ隣の車輌は、空箱に蓋をしてボックス席のそれぞれの椅子の上に置いてあった。やっぱり自分の言ったことが正しいと思った。その次の車輌は、蓋も被せていない弁当箱が椅子の上に散乱していた。蓋していないのが多かったと思う。確か、一番前の車輌では、私たちと同じように弁当箱を積み上げて結わえてあったが、それをボックス席の椅子の上だか床の上だかに置いてあった。へえ、そんなことをする学校もあるのだと思ったが、私たちと違って、弁当箱を持ち出してゴミ箱に運ぶことはしていなかった。
 私は母親の教育もあったので、ぶつくさと、なんでほかの学校は持ち出さないのに、自分達だけが持ち出して片付けることまでしなくてはならないんだと、そんなことを同級生に言っていた。尤も同級生達はもっと素直で誰も私には同意してくれなかったのだが。
 数日後、授業中に桐山先生から駅員さんが、よく片付けてくれたことで喜んでいたと言う話があった。私がこそこそそんなことを言っていたからかもしれない。私は本当かなあ、と思いながら聞いていた。それがよいことなら、ほかの学校もやらせるべきだ、と同級生に話したこともあった。
 前回のブログ(2015年11月9日)で、先生は私たちの学級全体の学力を向上させただけでなく、生活指導もよく行っていたと書いた。このエピソードはその1コマである。
 私は、以来たびたび、そして今になっても、時々そのときのことを思い出す。各車輌に残してあった空の弁当箱の様子の違いは忘れられない。小学校の同じ先生といっても、指導していることはそんなに違う。今、大学で小学校教員養成の仕事をしながら、なおそのことが気になっている。桐山先生の生活指導の影響は絶大だった。

 

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所澤 潤(Jun Shozawa)

プロフィール

専門:教育方法学
略歴:東京大学教養学部基礎科学科卒。大学院教育学研究科単位取得退学。東京大学助手(東京大学史史料室)後、群馬大学勤務。教育学部教授、教職大学院教授を経て現職。群馬大学名誉教授。