「映画」でみる心理学

2018年1月26日 投稿者:須田 誠

 物語(映画や漫画や演劇等)は、特定の誰かを傷つけることなく、心理や行動を勝手に分析することが許される素材です。

 今回は、映画版『ごんぎつね』を紹介します。この物語は、伝承された昔話を児童文学者の新美南吉が1932年に発表したものです。さて、映画版はテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』の10周年記念として制作されました。映画版の声優は、後にも先にもこれきりでしたが、お馴染みの市原悦子と常田富士男に加えて、子狐を田中真弓が演じました。彼女は『天空の城ラピュタ』のパズーを演じたと言えば皆さんも耳が思い出すでしょう。

 少しずつ話が変化するのは伝承ならではの性質ですが、映画版『ごんぎつね』は新美南吉版にはない「母狐とごんの別れ」が描かれています。母狐はごんに「人間からの逃げ方」と「山での暮らし方」を教えた後に、人間に狩りによって殺され、ごんは一人きりになります。後に人間側の主人公である兵十も母を亡くし、村で一人きりで暮らすことになります。こうした対称と相似が映像により繰り返され、誰もが知る結末を迎えます。

 兵十は衰えた母のためにうなぎを捕りますが、それをごんは盗んでしまいます。その直後に兵十の母が亡くなったことをごんは知ります。ごんは反省し、その罪滅ぼしとして、兵十の元に、そっと、きのこや栗を届け続けます。兵十には届け主が誰か分かりません。ある時、家の中に入り込んでいるごんを兵十は見つけ、日頃のごんの悪戯を理由に、鉄砲でごんを撃ちます。亡くなったごんが栗を持っているのを見て、兵十は届け主がごんと知り、この物語は終わります。

 この結末には「不条理な感覚」を抱かされます。私はこの物語を子どもたちに、訓戒や風刺の寓話として読んで欲しくはありません。ただただ「やり切れなさ」を感じてもらいたいのです。この世は不条理に満ちています。悪や罪を抱えて生きてゆかなければならないことも多くあります。勿論、「実際の暴力や犯罪」という意味ではありません。こうした不条理な物語に対して愚かな大人は「善いか悪いか」「勝ちか負けか」「明るいか暗いか」といった線を引いてしまいがちですが、この世はそんな単純なものではありません。不条理を受け容れること、曖昧さに耐えうること、不安を抱えることは大人への重要なステップなのです。

 さて、映画版「ごんぎつね」の映像作品としての完成度は非常に高いものです。例えば、母狐が狩猟犬のおとりとなり、「強く生きるんだよ」と言って、ごんを崖から突き落とすシーンは秀逸です。ごんが崖から花畑に転がり落ちると、大量のクロアゲハが舞い、銃声が鳴り響きます。ごんは母狐と暮らした木のむくろで一人で過ごしますが、待てども待てども母狐は帰りません。その時間を一つまた一つと落ちゆく赤い椿で表現しています。同時に、兵十の母親が亡くなったシーンでは、赤い曼珠沙華がイメージの相似として見事に表現されています。

 この映画は市販されていませんが、教育機関などで上映したい場合は、図書館等を通じて問い合わせれば視聴可能な場合もあります。「ごんぎつね」には様々な版がありますが、私は映画版を多くの人に観てもらいたいと願っています。

 

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須田 誠(Makoto Suda)

プロフィール

専門:臨床心理学、コミュニティ心理学
略歴:慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学医学部非常勤講師等を経て現職。臨床心理士として地域保健所等でひきこもり支援に従事。