突然ですが、次にあげる言葉の〇〇には共通の語句が入ります。
どのような語句が入ると思われますか。(〇〇は二文字とは限りません。)
 
「ハッピー〇〇」、「ポジティヴ〇〇」、「プロダクティヴ〇〇」
 
お分かりになりますか。これはどうでしょうか。
 
「サクセスフル〇〇」、「アンチ〇〇」
 
最後のところで、「もしかして?」と思われたかもしれませんね。
答えは、「エイジング」です。つまり、「加齢」を意味する言葉です。
 
ところで、みなさんは、加齢、つまり「年をとる」ことに対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか。
おそらく、あまり良いイメージをお持ちではないかもしれません。
長寿を祝うことがある一方で、身体・認知機能の低下、ネガティヴなライフイベントの増加などといった、
加齢のもつマイナスの側面は受け容れ難いのが正直なところかと思われます。
先ほどあげた「アンチエイジング」について謳った商品を目にすることも決して珍しいことではなく、
「なるべく年は取りたくない」、「-5歳を目指そう」、「いつまでも若々しくいたい」、
そう思うことも決して不自然ではないようにも思われます。
このように述べていきますと、高齢期をポジティヴな感情をもって過ごすということが難しく感じられるかもしれません。
 
私たちは、どのように「年を重ねること」と向き合えばよいのでしょうか。
そこでヒントになるのが、様々なエイジングのとらえ方です。
プロダクティヴ・エイジングとは、「生産的老い(収入にはならないかもしれないが市民として価値ある活動ができるという考え)」を指す言葉です。
そして、「サクセスフル・エイジング」は「成功した老い」とされ、生産的・自立的であり、社会貢献を成す老い方を指します。
つまり、加齢の否定的な側面だけではなく、ポジティヴ・エイジングの意味する「老いの肯定的側面」を捉えていこうとする考え方が高齢者心理学の分野では提唱されています。
 
現在、90歳以上の高齢者や百歳以上の方が増えています。
この年代の多くの方は、誰かの支援を受けずに自立して生活をすることが困難であり、介護が必要となります。
そのような状況でも、たとえ身体が動かなくなっても、他者から見てどうかではなく、
本人が、主観的なポジティヴ気分を維持できるか、ひいては「幸せ」を感じていられるかどうか、そ
れがこの年代を生きぬくためには大切になってきます。それがハッピー・エイジングの考え方です。
誰しもが年をとることは避けられませんが、ハッピー・エイジングの考え方は、これから高齢者になっていく年代にも、そして、高齢者の中でも比較的若い年代にとっても、年を重ねることに対しての心づもりを示してくれているように感じます。
 
 

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島内 晶(Aki Shimanouchi)

専門:生涯発達心理学

略歴:明治学院大学大学院心理学研究科博士後期課程修了。(地独)東京都健康長寿医療センター研究所(旧、東京都老人総合研究所)研究生、群馬医療福祉大学社会福祉学部准教授を経て、現職。

第86回で、磯友輝子先生が「ペイフォワード」について解説されました。
http://blog.tokyomirai.ac.jp/m/?p=1071
私も教員生活20年余りになりますが、就職先の内定や卒業時に「ありがとうございます。先生に恩返ししたい」という言葉をもらうことがあります。そういう時には必ず、「今はまだムリ、社会人経験を積んだ上で、仕事で活躍して、その生き様を後輩たちに紹介してください。」と答えます。「ペイフォワード」は「恩送り」とも呼ばれることがあります。
 
以前、教員をしていた北海道で一緒に商品開発や企業、行政とのプロジェクトをともにし、就職活動の支援をした社会人が今でも繋がっていて百数十人います。そんな若手社会人がゲスト講師の授業が東京未来大学にはあります。まさに、「恩送りの授業」で、「事例で学ぶビジネス」という科目です。
 
授業内容は講師の仕事内容だけでなく、学生時代の活動や経験について、関わる人や組織との出会いやきっかけなども話します。また、そういった経験が現在の仕事にどのように役立っているかや、学生たちの将来のキャリアに向け、これからの学生生活へのアドバイスも行います。
 
講師の多くは北海道の小規模な有名とは言えない大学出身ですが、有名大学の学生も羨むような一流企業に入社し、ホームページで紹介されるほど活躍している人もいます。いわば、未来大生のロールモデルになるような社会人です。「すごい人と思ったけど、初めからすごかったわけではない。学生時代に成長したからすごくなったのがわかった。私もそうなるために努力したい」という感想が多く見られます。
 
そして、ついに今年の授業ではモチベーション行動科学部の卒業生が講師として、授業を行いました。彼は有名国立大学生を差し置いて、大企業の企画・研究部門に配属指定で入社し、短期間で目に見える活躍をして、マスコミで人工知能の解説をするまでに活躍しています。そんな彼自身も、この授業でロールモデルとなる講師から刺激をもらい、その後の学生生活が変わった人です。まさに、この授業で受けた恩を後輩に渡す「恩送り」を実現させたと言えるでしょう。
 
 

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篠崎 雅春(Masaharu Shinozaki)

プロフィール

専門:マーケティング
略歴:慶應義塾大学法学部、慶應義塾大学大学院経営管理研究科卒業。凸版印刷消費行動研究室、たくぎん総合研究所経営コンサルティング部、道都大学経営学部をへて、2012年より現職。

新学期が始まりました。我が家では,中学生になった娘(歴史好き)が,新しくもらった社会の資料集に興味津々です。
読みふける娘を真似て,小学5年生の息子は理科の教科書をパラパラ。
「メダカの勉強をするんだって!」とワクワクしています。
 
娘 :「理科かぁ。覚えることがたくさんあって大変な気がするけどな。」
息子:「なんで?理科は考えればわかるじゃん。社会の方が覚えることいっぱいあるよ。」
娘 :「歴史は全部つながっているもの。覚えるのはそんなに大変じゃないよ」
息子:「?」
 
あらあら,ちょっとおもしろい話になってきました。
 
皆さんは「理科は覚えることが多くて大変」派ですか? それとも「社会は覚えることが多くて大変」派?
 
私は,教育心理学,その中でも,子どもの学びを研究し,よりよい教授法を考えるという分野の研究をしています。大学院生時代,私の恩師は以下のようなことをおっしゃっていました。
 
「文系の学生に聞くと,理科などの理系科目は覚えることが多くて大変だと言い,理系の学生に聞くと社会などの文系科目は覚えることが多くて大変だと言うんだよ」
 
これは一体どういうことでしょう?この疑問に答える鍵は,私たちは「覚える」というときに「丸暗記」をイメージしているということです。文系科目にしろ,理系科目にしろ,教科書を丸暗記するのは大変なことです。
 
しかし,たとえば,理科が好きで,教科書にかかれている法則や公式の成り立ちをしっかり理解している人は,それを応用して別の法則を導いたり,いろいろな問題を解いたりすることができます。一方,社会が好きな人は,歴史上の様々な出来事を年号とあわせてひとつひとつ丸暗記しなくても,出来事の意味を考え,他の出来事と関連付けて理解し,推論することができます。得意な科目については,実は丸暗記はしていないのです。だから,「覚えることが多くて大変だ」と思わないのでしょう。
 
教科書を開けば覚えなくてはいけないことがたくさんあります。それらをよりよく覚えようとするときには,丸暗記するのではなく,意味を理解しようとすることが大切です。先の例のように,私たちは得意なこと・好きなことでは意味を理解するという学習方法を自然にとっているわけですが,どうも苦手だと思うことでも,意味を理解しようとしてみてください。なぜそうなるのかわかったと思った瞬間に,その他の関連する事柄についても理解が進むはずです。
 
さてさて,私の子どもたちにも,どうしたらよりよく覚えられるのか,教えてこなくては。特に,娘には理科の,息子には社会の覚え方の教授が必要なようです。それぞれ得意な教科が違うようですから,得意な教科の理解の仕方を教え合ってもらうのもいいかな。
 
 

kobayashi_hiroko
小林 寛子(Hiroko Kobayashi)
プロフィール
専門:教育心理学
略歴:東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学後、日本学術振興会特別研究員PDを経て現職。博士(教育学)。学習上の不適応の問題に、個別指導や授業改善を通して取り組んでいる。

集団的な応援活動とはなにか?
あらためて振り返ってみると、その活動には複雑な側面があることに気づく。
対象者を思いやることから応援したい気持ちになるという利他的な行為なのか、あるいは勝手に自分を対象者に投影して頑張らせてしまおうという身勝手な気持ちから生じる行為なのか。
そのどちらであるにせよ、学校教育では仲間を応援することがあたかも完全な善でもあるかのように、とくに学校行事等においては教育的指導の一環ともされてきたようだ。
さらには、応援指導部(いわゆる応援団)なるものが現われて、猛暑のなかで変形学ランを着たり巨大な応援旗を掲げたりして、独特な文化的象徴を用いながら集団的な応援活動を統制したりしてきたのである。
この独特な文化的象徴を用いた集合的な応援の統制方法にこそ、他の国や地域の文化にはみられない日本の文化的独自性があらわれているのであるが、私を含めた一般的な日本人は通常のこととしてとくに気にすることもなくスルーしてきたのである。
もちろん他の国々でも、チアガールがいたり伝統的な大学のカレッジ・カラーを掲げながら集団的な応援活動を統制するリーダーが存在してきたことは事実である。近年では、北朝鮮の美女応援集団のなかにその応援を統制する美女リーダーの姿がテレビのニュースで報道されていた記憶のある人もいるだろう。
しかし、日本の伝統的な応援指導部のリーダーがそれらの多文化の応援指導のリーダーたちとは決定的に異なる部分がある。
それは、彼らは集団的な応援をリードするための技法をただドライに練習・習得してその役割を果たしているのではなく、応援の対象である選手の勝敗に向けた日々の練習の努力を凌駕する勢いのテンションを伴った鍛錬を自らに課しているという点である。
つまり、身を削るような理不尽な修行の実践ともいえる訓練を行うことにより自己犠牲的な精神を養い、それにより昇華された気合と気迫が、集団的な応援の力を高めることにつながる(はずだ)という歴史・文化的な思想に基づいている。
その意味において、極めて日本的な文化が学校教育の領域において表象されているともいえる。このような精神文化のあり方とブラック企業やブラックな政治風土の形成とが無関係ではないと誰かいえるだろうか。

 

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金塚 基(Motoi Kanatsuka)
プロフィール
専門:教育学・生涯教育
略歴:早稲田大学教育学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(教育学)。帝京大学福祉・保育専門学校専任講師などを経て、東京未来大学モチベーション行動科学部講師~現在に至る。

 かつて経営の神様と称えられた松下幸之助氏の名言のなかに「企業は人なり」という言葉がある。松下電器産業株式会社(現パナソニック株式会社)を一代で築き上げた同氏が残した名言は数々あるが、中でもこの言葉は今でも経営学を学ぶ人々の心を捉えてやまない。
 企業にとっての最大の資産は、今も昔も「人」であることは変わりない。それゆえ、技術が革新的に進んだ現代においても、企業にとって「人材育成」は常に最重要課題となっている。自発的に行動する優秀な社員で構成される企業組織と、そうでない社員で構成される企業組織では、仕事における作業効率も生産性も異なってくる。そこで注目をされているのが行動科学的アプローチである。
 一見すると、「行動科学」と「経営学」ではつながりが見えづらいように感じるが、元来人間の行動を学問的に研究する行動科学の考え方は、企業における組織運営や従業員のマネジメントだけでなく、マーケティングといった分野にも応用が可能である。このように行動科学のアプローチを「組織」や「人」の管理に応用した手法は「行動科学マネジメント」と呼ばれており、経営管理や消費者行動調査の現場においても活用されている。
 21世紀に入ってから、世界の至る所でグローバル化が加速している中、外国人労働者の増加と共に日本企業も人材が多様化し、組織の多文化化が進んでいる。その一方で、海外に市場が広がることによって消費者も同様に多様化している。こうした変革の時代にこそ、「人」の行動を知り、経営活動に活かしていくことは大変重要なことである。
 そして、この流動的な変革の時代において、経営学領域の学問を学びたいという人にとって、行動科学的なアプローチを学ぶことは、まさに「鬼に金棒」であると言っても過言ではない。それどころか、むしろ経営の神様の言葉の真意に近づけるのではないだろうか。

 

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郭 潔蓉(Iyo Kaku)
プロフィール

専門:東・東南アジア地域の政治経済、国際経営環境分析
略歴:ボストン大学大学院国際関係学専攻修士課程、筑波大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了、博士(法学)。代表著書に『グローバル教育の現在』他。

 4年生の卒業研究の提出が終わり、ホッとしたのも束の間、年の瀬に教員ブログの依頼が来た。締め切りは1月半ば、テーマは「各学部と専門領域の関連性、可能性」。なかなか厄介なお題だ。専門は認知心理学なので、認知と感情のお話として「人はネガティブな気分(ポジティブな気分)の時に、嫌な(楽しかった)出来事を思い出しやすくなる」といった気分と記憶について書こうかとも思ったが、お正月や受験のある1月のテーマに相応しくない気がしたので断念。で、しばらく考えて、お正月らしく、「蜜柑」と「独楽」について書くことにした。心理学なのに「蜜柑」と「独楽」とは如何なもんかと我ながら思う。我ながら思うが、日常場面と心理学の接点を考えると時期的に丁度良い。それに、下手に商品やキャラクターを使うと著作権や意匠権に引っ掛かりそうでもある。
 さて、冬になりスーパーなどでネット入りの蜜柑をよく見かけますが、蜜柑のネットは大体、赤色です。ネットの色が黒や緑ではなく、赤色なのには理由があります。これは、赤いネットに入れた方が、蜜柑の色が鮮やかになり、より美味しそうに見えるからです。このような現象を同化現象と言います。他にもオクラやニンニクなどのネットに入って売られているものは、素材の色を鮮やかに見せるために同色のネットに入れて売られています。蜜柑やオクラをネットから取り出してみたら、思ったよりもキレイな色でなかったのは、このためです。また、照明器具の影響もあります。光の中には色味成分(波長)が含まれていますが、照明器具によって、その色味成分が異なります。そのため、照明器具によっても色の見え方が異なりますが、物体に当たって跳ね返えってきた光(反射光)によって、色を知覚しているためです。一般的に蛍光灯は青味成分が含まれるため、食品や料理の色味がくすんでしまうと言われます(今は、青味成分がカットされた蛍光灯もあります)。
 先ほど、物体に当たって跳ね返えってきた光(反射光)によって、色を知覚していると書きましたが、下の独楽(ベンハムの独楽の模倣)を回すとどのような色が見えるでしょうか。ぜひ試してみてください。

 

岩﨑先生図

 

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岩﨑 智史(Satoshi Iwasaki)
プロフィール

専門:認知心理学
略歴:立正大学大学院心理学研究科博士後期課程修了。東京未来大学 こども心理学部助手、同助教を経て現在、東京未来大学モチベーション行動科学部講師。

 12月14日は卒業研究の提出締め切り日でした。直前の1~2週間は、多くの研究室で4年生が(そして先生方が)必死の形相で論文執筆に取り組んでいました。私の研究室も修羅場と化していました。

 この時期になると、学部生時代にお世話になった院生の先輩の言葉を思い出します。先生や先輩は研究にアドバイスをしてくださり、論文執筆の際には、「赤い紙だったか?」と疑うほどに丁寧に添削をしてくださいました。そこで、卒業式後の懇親会で、お世話になった方々にお礼を伝えると、先輩はとても素敵な言葉をサラッと発しました。

 「その感謝は後輩に渡せばいい。そうやって人は育つんだから。」

 人は、恩を受けた相手に対して同等のものをお返ししようとする「返報性の規範」を持ち、行動すると言われます。しかし、先輩は、それを別の相手に渡すことで間接的に返報をするようにと述べたのです。

 先輩の言葉を胸に、自分が院生になったときには、学部生に対して同じように接してきたつもりですし、教員になってからも、あの恩を学生たちに渡すつもりで卒論指導をしています。卒論指導は、正直、とても大変です。でも、ついこの間まで右往左往していた学生が、私の助けで成長し、その姿を近くで見ることができると嬉しくなります。親切行動をするとポジティブ感情が高まるという知見がありますが(Otake et al., 2006)、実は、私も「喜び」「幸せ」という報酬をもらっているのです。人を助けたり、協力する行動は、外的報酬を期待することなく自由意思から他者に恩恵を与える利他的行動とされてきましたが、心理的・物理的な見返りあると期待することで利他的行動が行われる場合もあると言われています(互恵的利他主義と言います)。いわゆる、「情けは人の為ならず」(人に親切にすると、巡り巡って自分によい報いがくる)ということです。

 この時期、時々、卒業生が陣中見舞いに来てくれます。差し入れを持ってきてくれたり、4年生の論文をチェックしてくれたり、今年などは家庭教師のように付き添ってくれたり。卒業生も「感謝を後輩に渡す」気持ちを抱く人に育ってくれたようです。なんと教師冥利に尽きることか。あ、また私が「幸せ」をいただいてしまいました。

 ちなみに、タイトルの「ペイ・フォワード」とは、ミミ・レダー監督の映画です(ワーナー・ブラザーズ配給)。主人公の男の子が、社会科の授業で出された「世界を変える」方法として、自分が受けた善意を他の3人の人に渡すことを提案をしています。先輩の言葉は、まさにペイ・フォワードだなと思っています。

 

<引用文献>

Otake, K., Shimai, S., Tanaka-Matsumi, J., Otsui, K., & Fredrickson, B. L. (2006). Happy people become happier through kindness: A counting kindnesses intervention. Journal of Happiness Studies, 7, 361-375.

 

 

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磯 友輝子(Yukiko Iso)
プロフィール

専門:対人社会心理学
略歴:日本大学国際関係学部、名古屋大学文学部卒業。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。同大学院助手、本学こども心理学部講師、准教授を経て現職。

 テレビを付ければ、(NHK以外は)広告が四六時中流れ、電車に乗れば目の前に広告が、街を歩けばいたるところに広告が、バス1台丸ごと広告媒体になっていることも!スマホをいじれば、これまた広告!

 なぜ、これほどまで多くの広告が私たちの身の回りにあるのでしょうか?何の効果もなければ行われないでしょうから、何かしらの効果が期待できるから行われているはずです。では、どのような効果なのでしょうか?「広告を見たら買ってくれるから」でしょうか?

 

 かつてスーパーマーケットに品揃えされた食品と日用品の新製品で、テレビCMが投入されている40品目の購入者に対して調査を行いました。棚から商品を手に取って買い物カゴにいれた時点にその場で、なぜその商品を手に取ったのか、それを購入しようと考えたのか、を尋ねたのです。その結果、そもそもその商品の購入を事前に計画してきた人は全体の25%程度でした。そのうちの約50%が「広告を見たから」でした。確かに購入を計画してもらう効果が広告には存在していたのですが、購入者全体からみるとわずか13%に過ぎません。この程度の効果なのに多額の広告費を投入する意味があるのでしょうか?

 

 この調査であることに気が付きました。その商品の購入を計画して来なかった人々の中に「この商品の広告を思い出したから」という回答があったのです。そして、その比率は何と全体の18%だったのです。テレビCMが記憶に内在し、売場でその商品を見て記憶から引き出された結果、購入に結び付いたのです。これはまさに間接的な広告の効果といえましょう。こうした購入を「広告想起購入」と名付けました。

 

 買い手の記憶に残るような広告を制作し、また、売場では広告を想起しやすくする工夫が重要となることは言うまでもありません。さてどのようにすればよいのでしょうか?

 この続きは次回としましょう。ぜひ、記憶しておいてください!

 

watanabe_takayuki
渡邊 隆之(Takayuki Watanabe)
プロフィール

専門:マーケティング、消費者行動
略歴:早稲田大学大学院商学研究科博士前期課程修了。(株)イトーヨーカ堂を経て、学習院大学大学院経営学研究科博士後期課単位取得退学。(財)流通経済研究所理事、創価大学・沖縄大学教授を経て現職。

 私は東京未来大学で主に日本史を教えています。今回のブログでは、もはや当たり前となったグローバル化の中で、日本史はどのような位置付けにあり、また、どのような観点から日本史教育が行われるべきかについて述べたいと思います。
 日本史は当然といえば当然ですが、日本が研究の本場で、小中高はもちろん、大学教育においても必須の位置を占めています。しかし、それほど多くはありませんが、海外の大学でも日本史が教えられています。
 写真は、今年9月にシンガポール国立大学で開催された Meiji Conference という学会での一幕です。私が学会で友人になった外国人研究者との記念写真です。今年は明治維新から150年目にあたり、日本はもちろん、外国でも明治維新150周年を記念した各種事業が開催されています。Meiji Conference もその1つというわけです。日本から大学教員が多く招かれ、海外の大学教員と交流することで、研究、ひいては教育の深化が図られたのです。
 高校生の皆さんは驚かれたかもしれませんが、日本史は日本人だけのものではないのです。外国人も大きな関心を持ち、日本以外の大学でも学生諸君が日本史を学んでいるのです。
 さて、このような状況下では、実は、日本人自身が日本史をはじめとする日本文化に高いレベルで通じている必要があります。例えば、皆さんが本学に入学し、その間に留学したとしましょう。よく聞く話ですが、多くの外国人の同級生が、皆さんに、日本史をはじめとする日本文化について質問してくるはずです。先に述べたように、外国の大学でも日本史の授業があり、日本に大きな関心を持っている学生はたくさんいます。留学先の同級生にしてみれば、日本人なら当然日本史などに詳しいと思うのです。その時に、自国の歴史さえ十分に知らなければ、同級生との交流は難しいものとなるでしょう。
 日本史というと、グローバル化とかけ離れたもののように思われがちですが、実は、世界がグローバル化すればするほど、まずは自国の歴史などをしっかり学んでおく必要があります。私はこの点を踏まえ、グローバル社会で通用する優れた人間育成の観点からも日本史教育に取り組んでいます。グローバル化の中でますます重要になってきた日本史ですが、高校生の皆さん、共に本学で学んでみませんか?楽しいですよ。

 

山崎先生教員ブログ写真

 

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山﨑 善弘(Yamasaki Yoshihiro)
プロフィール

専門:日本近世史/略歴:関西大学大学院文学研究科史学専攻博士課程後期課程修了後、神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター研究員、奈良教育大学教育学部特任准教授を経て現職。博士(文学)。著書に『徳川社会の底力』などがある。

 先日、新潟県村上市にある笹川流れという海岸に行ってきました。笹川流れは、国の名勝および天然記念物に指定されている地域で、日本百景にも選定された海岸景勝地ということでしたので、遊覧船に乗ってその美しい景色を眺めてきました(写真は遊覧船から撮ったものです)。
 一緒に行った大学時代からの友人と私は、日本各地の温泉を巡ろうというテーマでずっと旅行してきているのですが、私たちは温泉と同じくらい、海岸や湖での遊覧船や、川下りの舟、城を囲む堀を廻る舟、地上だとゴンドラで山を登るロープーウェーといった乗り物が好きらしく、気が付けばあちこちでこれらの乗り物に乗っています。
 さて、遊覧船は海岸や岩、飛び交うカモメを眺めながら岩の間をぬうようにゆっくりと巡り、その間は、さまざまに名付けられた岩や海岸の名前の由来の解説を聞くことができます。その中に「君戻し岩」という名前の岩がありました。パンフレットでその名前を見て不思議に思っていたのですが、これを読んで下さっている皆さんは何を思い浮かべますか?
 解説によると、源義経が奥州落ちの際、笹川流れの美しい景色に気付いた家来が先頭の義経をわざわざ呼び戻したことから名付けられたとのことで、その他にも義経に関わる名前がいくつかありました。一方で「恐竜岩」という岩があり、友人と「これ○○(別の海岸)にもあったよね?」「△△(またまた別の海岸)だったかも?」「恐竜岩じゃなくて、天狗岩かも?」といった会話をしていました(その会話で私たちは、自身の乗り物好きを自覚したのですが)。実際調べてみると、恐竜岩や天狗岩、さらには夫婦岩というのも各地にあるようでした。現在のように交通の便がよくなく、人の行き来も少なかった頃に、あちこちで同じ名前を付けていたというのは不思議なことのようにも思えます。

 

 私の専門分野である臨床心理学では、カウンセリングや心理療法といった心理学的な支援を行うにあたって、まずは相手(クライエント)の心を理解しようとします。「アセスメント」と呼ばれるその活動では、面接(会話でのやりとり)や行動の観察といった方法と並んで、心理検査を用いる方法もあります。その中に、何らかの模様や絵を見て、それが何に、あるいはどのように見えるかなどを答えてもらい、そこからクライエントの心を理解するという心理検査があるのですが、これは、“私たち人間の「物の見え方」には、その人の心(の内容)があらわれる”という考えに基づいているものです。
 日本各地にあるそれぞれ別の岩は、これもまた別々の、かつ多くの人々に恐竜や天狗、夫婦に見えていたようです。これらは私たち人間の心の、「何か」をあらわしていた、あらわしているということなのかもしれませんね。

 

山極先生写真①山極先生写真②
  写真:遊覧船から撮った海岸        おまけの写真:村上市の名産品の鮭

 

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山極 和佳(Waka Yamagiwa)
プロフィール
専門:臨床心理学
略歴:早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程満期退学。早稲田大学人間科学部助手、東京福祉大学社会福祉学部講師、東京未来大学こども心理学部講師を経て現職。博士(人間科学)。臨床心理士。