ヒトは過去と現在の間に生きている。

 などというと、哲学の話のように思えるが、人間の目の話であり、知覚心理学や認知心理学で扱う領域の話である。普段、我々はなにげなくモノを見ているが、モノを見るという行為には3つの要因 ―― 光源(太陽の光や蛍光灯の明かりといった光)、見る対象、感覚受容器(目)の3つ―― が必要となる。ある物体――例えばりんご――を見るには、その物体に光があたり、その反射光が目に映り、視覚体験が生じることになる。しかしながら、目から取り入れた視覚情報は、視神経を経由して、視覚野へ送られる。そして、この視覚野で視覚情報の処理(復元や統合)が進み、最終的に“見える”状態になる。そのため、目から入った視覚情報は脳内で処理を進めるため、ごくわずかな時間ではあるが時間が必要となる。そのため、実際の物体と我々が見ている物体との時間には、わずかではあるがズレが生じることになる。しかしながら、我々の見ているという認識は今現在そのものを見ていると認識していることになる。このような時間軸の補正がどのように行われているか不明であるが、人間の見るという行為は不明点がまだまだ多いといえる。

 さて、ヒトの見るという、ごくごく普通の行為も、突き詰めると不思議なことが多いが、日常場面に目を移そう。

 例えば、スーパーで買った美味しそうなオクラを家に帰り、緑色のネットから取り出してみたら、思ったよりも色つやが悪く、他の商品にすれば良かったと思ったことはないだろうか。または、デパートで綺麗な色だと思って買って帰った服が、家で着てみたら思った色味ではなく、何やら失敗した気分になった、なんてことはないだろうか。

 一つ目の例は、色の同化現象によるものであるし、二つ目の例は、色の演色性によるものである。他にも色の対比現象(例えば赤身の刺身のそばに緑の大葉が添えられると、刺身の赤身が鮮やかに感じられ、美味しそうに映る)なんてものもある。また、衣服の着こなしやメイクもヒトのモノの見方のクセを利用したものとも言える。このように、日常場面においても、我々は我々自身の目に度々騙されていると言える。これは、ヒトの目が客観的・機械的にモノを見ているのではなく、環境や状況に影響を受けるためである。

 このように見られる側と見る側の要因を知ることは、より適切な表現方法やより良い商品の開発に有効な知見が得られるといえる。

 

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岩﨑 智史(Satoshi Iwasaki)

プロフィール

専門:認知心理学
略歴:立正大学大学院心理学研究科博士後期課程修了。東京未来大学 こども心理学部助手、同助教を経て現在、東京未来大学モチベーション行動科学部講師。

みなさんは、自分の意見を周りの人にうまく伝えられますか?

誰かから何かを頼まれたとき、それを引き受けたくなければ、うまく断れますか?

誰かに何かを頼まなければならないとき、相手にうまくお願いができますか?

 

「うまく」とは、相手に嫌な思いをさせないように配慮しながら、

自分の意見を伝えられた状態を意味します。

互いに気持ちよい状態で「うまく」意見を主張する仕方は、

心理学ではアサーションと言い、望ましい自己主張のスタイルとされています。

 

先ほどの問ですが、私自身はどちらかというと、Noです。

 

私はコミュニケーションに関する専門家で、

アサーションを知っていて

他者の利益のためならばアサーションができるので、

その能力もあると思うのですが、

主張の目的が自分のためだと、「ノン・アサーション」になります。

 

相手に合わせて主張を控えたり、

依頼を断れなくて引き受けてしまったり、

周囲に頼れなくて自分一人で背負ってしまったり。

こんなふうに、自分の意見を押し殺してしまうのがノン・アサーションです。

 

なぜ、アサーションをする能力があって、方法を知っていて、実践できるはずなのに、

私はアサーションが十分にできないのでしょうか?

 

それは、人との関わり不足、経験不足によるからにほかなりません。

私は他者と衝突することを避ける癖があり、積極的にアサーションを実践していないのです。

 

対人関係をうまくこなしていくコミュニケーションの力のことを「社会的スキル」と言います。

他者とうまくやっていく能力があって、方法を知っていて、実践できることです。

社会的スキルの高さは、生まれながらに決まってしまっているのではなく、

人との関わりという経験を通して学習し、高められていくものです。

アサーションもそのスキルの1つです。

 

でも、よく考えてみてください。

私が主張せずに相手の意見を聞き、頼まれごとを引き受けてしまっては、

その相手の方のアサーションの機会が減ります。

私のノン・アサーションは、相手がアサーションを経験する機会を奪っているのです。

 

自分だけでなく、周囲の人も

お互いに高い社会的スキルを持っていると非常に住みやすい世界ができあがります。

それゆえに、自分のためにも、他者のためにも、

積極的に「他者と関わろう」とするモチベーションを高める必要があるのです

 

さて、ノンアサーションのはずの私ですが、夫の頼まれごとには、遠慮がなくなり、

「忙しいのが見てわからない?!」とアグレッション(自分を優先して相手のことを考えていないスタイル)。

いくら親しい間柄でも、傷つきますよね。

家族こそよい練習相手。日々精進、と反省。

 

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磯 友輝子(Yukiko Iso)
プロフィール
専門:対人社会心理学
略歴:日本大学国際関係学部、名古屋大学文学部卒業。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位取得退学。同大学院助手、本学こども心理学部講師、准教授を経て現職。

心理学を専攻していると分かると、「へぇ、私の心分かります?今どんな気持ちか当てて見て!」と言われることがあります。そのような際には、「いや、なかなか人の心って難しくって、ずっと研究しているのですよ。」と答えると、大抵はがっかりされます。多くの人は、心理学者に占い師や霊能者「的」イメージを重ねるようです。心理学検定の普及、国家資格公認心理師の成立など、そして、自治体や大学主催の市民向け講座の増加などのお蔭かこのような淡い期待(誤解)を近年は払拭しつつあるようです。

人文社会科学系の学部に限らず選択科目であろうと心理学の履修率は他科目に先んじて1,2位を競うものです。全国的には「科学的」心理学の知識を持つ人は相当の人数になるはずです。本学では、他大学の追従を許さないほどの多彩な学びができます。大きな強みの一つと考えていますが、学生、卒業生はどう感じているのでしょうか。

私は、高校生の時に、それまでは化学反応に関心があったのですが、大きな方向転換で、不安や心の変化に興味を抱き、心理学を学ぼうと決めました。大学では、複数の学部にあった心理学専攻のどこにしようかと悩みました。結局、「心理学は応用、実践されるもの、だから基本を学ぶことこそ重要」との教員のことばに納得し、文学部へ。そこでは実験こそが心理学そのものという風土に多少の反発を覚えました。当時、精神神経科のサイコロジストをしていた先輩のところへ通い、臨床の手ほどきを受けました。その先輩は、心理学の基礎をしっかり学ばないと、患者さんに接した際に自分のぶれや思い込みに気づかないでしまうリスクがあるとの言で基礎を学び続けました。

卒論のテーマにも悩みました。不安によって行動はどう影響されるのか、さらに臨床場面につながる研究はできないかと考え、不安研究の一線にいた他大学の先輩(後の恩師)を頼り、指導を受けることになりました。来談者と面接者の基本となる二者関係の発言と不安特性との関係を捉えることをテーマとしました。恩師には臨床場面での研究を勧められたのですが、コミュニケーション過程自体への関心から、対人場面の特徴(対面、非対面)、視線や身体動作などのチャネル、対人関係の種類(親密さ)などと社会心理学の研究をしてきました。

人生では悩みの岐路が多くあります。私も進路、研究室、研究テーマ、次の研究で扱う要因はと悩み続けてきたなと思います。その時々に何が決め手になったのでしょう。選ばなかった選択肢の先は分かりません。でも、「こっちだ」と何かが閃いたのだと思い込むことにしています。そんな感性を大事にしたいものです。

 

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大坊 郁夫(Ikuo Daibo)

プロフィール

専門:対人・社会心理学
略歴:北海道大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士課程退学
札幌医科大学助手、山形大学教養部専任講師、助教授
北星学園大学文学部教授、社会福祉学部教授
大阪大学大学院人間科学研究科教授
同大学名誉教授、東京未来大学学長、教授

テレビのスイッチを入れれば、様々な製品やサービスのCMが我々の目に耳に飛び込んでくる。あるいは、家の新聞には様々なお店のチラシが折り込んである。電車の車内にも様々なポスターが掲示されている。コンビニやスーパーに出向けば、ここでも売場の棚には「○○円引き」、「○○個買うと1個おまけ」などというポスター(正確にはPOPという)が買う気をそそる。

売場でのポスターなどによる情報提供は「セールスプロモーション」と言われる。その場で買うという「行動」を促進することを目的としている。それに対し、CMやチラシ、同じポスターでも前者のものは、購入時点・地点で提示されたものではなく、他の時点・地点での情報提供である。その目的は「態度」を変えることである。態度に働きかけるのが「マーケティング」の発想である。行動をより効果的に変えるためには態度を変えることが有効である。

態度に働きかける、とはその商品やサービスを消費することのベネフィットを訴求する、すなわち内的に動機づけることである。すると、行動に働きかけるセールスプロモーションは外的な誘因として動機づけする方法であり、両者はまさにモチベーションを高める方法に他ならない、と気付く。

ところで最近では、スマホをちょっと手にすれば、目の前に様々な広告が飛び交い、その場での購入も可能となっている。これまでは、買いたくても目の前に商品やサービスがあったわけではないので、一旦記憶して、改めて行動たる購買をしにお店に向かっていた。よって、態度を変えたからといって、そのすべてが行動に結びつくわけではなかった。しかし、ネットでの購入は、態度と行動をほぼ同時に変えうるゆえに行動に結び付ける確率を高めた。また、SNSを利用すれば、購入の前でも後でも様々な情報を入手し、また発信することも可能だ。SNSは行動することを後押しし、また行動後の満足を促進する機能を果たしている。

 

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渡邊 隆之(Takayuki Watanabe)

プロフィール

専門:マーケティング、消費者行動
略歴:早稲田大学大学院商学研究科博士前期課程修了。(株)イトーヨーカ堂を経て、学習院大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。(財)流通経済研究所理事、創価大学・沖縄大学教授を経て現職。

なぜ我々は歴史を学ぶのでしょうか。私が専門とする歴史学は過去を対象とする学問ですが、過去そのものに意味があるわけではありません。我々が生きる現在、ひいては未来にとって意味があるから歴史を学ぶのです。

歴史を暗記科目として捉えている人が多いように思いますが、それは本来の歴史の学び方ではありません。歴史を学ぶということは、歴史的事実を知ったり、歴史用語を覚えたりすることではないのです。少なくとも、大学で学ぶ歴史学はそのような立場に立っています。

歴史を学ぶということが、仮に歴史的事実を知ったり、歴史用語を暗記したりすることであるとすれば、コンピューターに勝る人間はおそらくいないでしょう。何より、それらは歴史の教科書をはじめ、辞書や専門書などに記されています。特段覚える必要はありません。大切なのは、歴史に学び、現代、さらには未来をよりよく生きるためのヒントを得ることです。その意味では、歴史学は現代学であり、未来学としても捉えることができます。

人はなぜ学ぶのか、と問われれば、私なら、人は幸せになるために学ぶのだ、と答えます。各種の資格を得るためとか、職務上必要であるからとか、様々な回答があるでしょう。しかし、詰まるところ、できるだけ幸せに生きたいから、人は学ぶのではないでしょうか。現代社会は平穏に見えながらも、様々な困難を抱えています。そうした問題を克服し、よりよく生きるためには、ゼロベースから考えるよりも、過去の歴史に学ぶことが有用です。古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスは、「歴史は繰り返す」(History repeats itself.)と述べましたが、確かに人間は長い目で見れば同じようなことを繰り返し行ってきました。そうであれば、時代は違えども、現代社会が抱える困難と同様の困難を過去の人々が経験し、克服してきた歴史もあるでしょう。歴史に学べることは多くあるのです。過去の歴史を顧み、よき点は装いを新たに現代社会にどんどん活かしていきたいものです。そのことが、よりよく生きることに繋がると私は信じています。

高校生の皆さん、上記のような観点から、本学で私とともに歴史を学んでみませんか。

 

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山﨑 善弘(Yoshihiro Yamasaki)

プロフィール

専門:日本近世史、社会科教育学
略歴:関西大学大学院文学研究科史学専攻博士課程後期課程修了。神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター研究員、奈良教育大学教育学部特任准教授を経て現職。

みなさんは、カウンセラーの仕事とはどのようなものだと思いますか?

多くの人があげるのは、「悩みや問題を抱えた人の相談にのること」だと思います。

しかし、実際のカウンセラーの仕事はそれだけではありません。ここでは一つの例として、「コンサルテーション」という活動を紹介したいと思います。

コンサルテーションとは、「ある専門家(コンサルタント)が、もう一人の専門家(コンサルティ)の関わっているクライエントの、精神衛生に関係した特定の問題をコンサルティの仕事の中でより効果的に解決できるように援助する関係」のこととされています。

少しわかりにくいので、スクールカウンセリングでの例をあげましょう。

たとえば、友達とのコミュニケーションが苦手で、学校を休みがちな生徒がいたとします。担任の先生は、この生徒が学校生活を円滑に過ごせるよう教育・指導したいと思うのだけれど、「コミュニケーションが苦手」という心理学的な(精神衛生に関係した特定の)問題にどのように対応したらいいのか困っています。

この場合、上に書いた「コンサルテーション」の説明のうち、「クライエント」とは学校を休みがちな生徒であり、「もう一人の専門家(コンサルティ)」とは担任の先生になります。そして、コンサルタントであるスクールカウンセラーは、担任の先生(コンサルティ)と話し合い、担任の先生が、生徒が抱える悩みや問題への理解をより深め、教育・指導できるかについて援助する・・・この活動がコンサルテーションです。

多くのみなさんが持っているカウンセラーの仕事のイメージは、この例の中では、「生徒の相談にのる」ではないでしょうか。しかし、カウンセラーの仕事には、悩みを抱えた人を(直接)援助するだけではなく、悩みを抱えた人に「関わる人を援助する」ことも含まれるのです。

ゴールデンウィークも終わり、大学では、4年生が就職活動の真っただ中、3年生も少しずつ活動を開始しています。そのような状況の中、“就活生”(就職活動中の学生)が、「就職活動をして、世の中には今まで自分が知らなかった仕事がたくさんあるのだなと思った」と言っていました。本当にそのとおりだと思います。そして、上で紹介したカウンセラーのお話のように、知っているつもりの仕事でも、(多くの人が知らない)別の側面もあるのだろうと思います。

これを読んでいる高校生のみなさんは、希望の大学を選ぶにあたり、自分が将来どのような職業に就こうかを考えていることと思います。関心のある職業について、本などで調べたり、実際にその職業に就いている人から話を聞いたり、職業体験やボランティアで体験したりと、さまざまな方法を使い、なるべく広い視点で考えてほしいなと思っています。

 

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山極 和佳(Waka Yamagiwa)

プロフィール

専門:臨床心理学
略歴:早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程満期退学。早稲田大学人間科学部助手、東京福祉大学社会福祉学部講師、東京未来大学こども心理学部講師を経て現職。博士(人間科学)。臨床心理士。

唐突ですが、質問です。あなたは、「男は仕事、女は家庭」という考え方に賛成ですか?それとも反対ですか?
私は社会心理学が専門で、ある社会的カテゴリーや集団の人々に対して抱かれているイメージや偏見に関する研究を行っています。それも無意識のうちのイメージや偏見です。「無意識って調べられるの?」と思う人もいるかもしれません。百聞は一見に如かずということで、ちょっとデモンストレーションしてみたいと思います。
下の図を見てください。よくある男女の名前と、仕事あるいは家庭に関する言葉が縦一列に並んでいます。それらを左右に分けてみてください。上のほうに黒背景で書かれているのが分類基準です。つまり、男性の名前と仕事に関する言葉は左側に、女性の名前と家庭に関する言葉は右側に分けます。

埴田先生_図1

同じようにして、次の分け方にもチャレンジしてみてください。分け方が変わっていますので注意してください。

埴田先生_図2

さて、1つ目と2つ目の分け方、どちらが分けやすかったですか?もし1つ目のほうが分けやすかったとしたら、あなたは「男は仕事、女は家庭」という考え方(専門的には態度といいます)を無意識に持っている可能性があります。まさにそうだという人が多いのではないでしょうか。ちなみに、大学生を対象に調べてみたところ、平均的には「男は仕事…」という無意識の態度が持たれているという結果が得られています。
学会でアメリカに行ったときのことです。夜ホテルに戻る道中、人気の少ないところで黒人の人とすれ違いました。そのとき、私の中でちょっとした緊張が走りました。自分が偏見がかった態度を持っていることに気づいた瞬間でした。偏見は望ましくないと思っていましたし、自分は偏見の持ち主ではないとも思っていました。しかし、どうやら私の無意識には知らず知らずのうちに偏見が埋め込まれていたようです。これが無意識の態度や偏見を研究しようと思ったきっかけです。
ここ数年で海外から日本に訪れる人は急激に増え、街中で外国の人を見かけることも多くなりました。多種多様な人と触れ合えるチャンスです。しかし、偏見がかった無意識の態度を持っていたら、外国の人とコミュニケーションをとろうとするモチベーションも上がりづらいかもしれません。こうした影響に打ち勝つための第一歩は、自分の無意識を知ることだと思います。幸いなことに(?)、無意識の態度を調べられるサイト(https://implicit.harvard.edu/implicit/japan/)もありますので、試してみてはいかがでしょうか。

 

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埴田 健司(Kenji Hanita)

プロフィール

専門:社会心理学

略歴:一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。追手門学院大学心理学部特任助教を経て現職。社会的判断・行動に影響する非意識的な心理過程について研究している。

高校を卒業後、大学留学をするために渡米し、結局、1985年1月から2007年3月までアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコに22年間住んでいました。今では、私の青春時代を過ごしたサンフランシスコは、第2の故郷です。

アメリカに住むことになり、日本人であることを意識するようになりました。多くの書類に、人種を書く欄があり、「何人ですか?」と聞かれることも多いからでしょう。そんなこともあり、中学校から習っていた茶道を再び習い始め、琴のお稽古も始めました。アメリカに住んでいても、自分は「日本人だ」と思っていたのです。

しかし、やはり長く海外に住むと、変わっていくのでしょうね。在米10年目ぐらいになった時に、子どもの頃から可愛がってくれていた母方の伯父に、「真奈美もすっかりアメリカ人になったね」と言われ、ショックを受けたことを覚えています。そのことがきっかけで、異文化の中でどうパーソナリティやアイデンティティが変化していくのかに興味を覚え、研究対象の一つになりました。また、自分自身の経験から、異文化適応にも関心があり、これも研究対象の一つになりました。

在米22年を経て、日本に戻ることになり、当然逆カルチャーショックは想定し、心得ていたつもりでした。しかし、そう甘くはなかったのです。自分自身の価値観が分からなくなることもありました。仕事の進め方もアメリカと日本では違います。最初の1年間は頭の中に???がいくつも飛んでいました。ある日、同じ頃に仕事のため日本に住む事になった超日本びいきのアメリカ人の友達と食事をし、愚痴を言った時、彼は、「真奈美、仕方がないよ、ここは日本だから。日本式でしないと」と言われ、自分の考え方が、日本とは違ってきていることを痛感しました。しかも、それを教えてくれたのは、アメリカ人だったのです。彼はテキサス生まれの典型的な白人です。今でもその時のことは、忘れられない思い出です。

再び慣れるまでに、3年ぐらいはかかりました。皆さんにとっては、ごく当たり前のことも私にとっては、異文化でした。例を一つ上げると、道を尋ねた時の返事です。多くの日本人が、「○○通りを○○方面に向かって・・・」というように説明してくれます。しかし、○○通りも○○方面も分かりません。アメリカだったら、「次の角を右に曲がって、3ブロック位行くと…」というように説明してくれます。そうなのです。多くの人には、私は日本人に見える(当然?)ので、私が分からないことが分からないのです。時々は、「この人大丈夫?」というような目で見られることもありました。そこで、私も考えました。道を聞くときは、日系人のふりをして、カタコトの日本語を使ったり、英語で話したりしました。そしたら、なんと、皆さん、とても親切に教えてくれました。

といろいろと、工夫をしながら、日本での生活も10年目となりました。今では、自分の中に日本とアメリカがあることを素直に受け入れられるようになりました。そして、年に1度は、サンフランシスコに帰省し、旧友に会い、自分の心のメンテナンスをし、エネルギーを充電しています。

東京オリンピックに向けて、日本を訪れる外国人も増加していきます。みなさんも見た目だけで判断せず、困っている人がいたら、誰にでも親切に声をかけてあげてくださいね。

 

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田中 真奈美(Manami Tanaka)
プロフィール
専門:多文化教育
略歴:University of San Francisco 教育学部修士課程教育カウンセリング専攻 終了
University of San Francisco 教育学部博士課程国際・多文化教育学専攻 終了

昨年の夏休み、小学3年生の子どもが、「わがまち探検」という「社会」の宿題をやるというので、子どもといっしょに出かけました。社会の教科書を開いてみると、川に沿った場所に、工場や緑地、住宅街や商店街があることに気づかせ、その理由とともに考えさせるようになっています。なるほど。人間が生活していくうえで大切な「水」を中心に考えるわけです。

幸い家の近くには、昔ビール工場で、現在はショッピングモールになっている場所があったので、まずは、昔のビール工場について調べることになりました。でも、その工場のあった周りを実際に歩いてみると高台で、二つの大きな川に挟まれてはいるものの、川の水を工場に引入れるのには難しそうな場所です。ビールを作るには原料となるたくさんの水が必要だったはずです。ビールを詰める瓶の洗浄にも水は欠かせませんから、水なしでは済まされません。なぜ、水を引入れにくい高台に工場を作ったのか?小学3年生には大きな謎でした。

謎を解くヒントは、授業のノートの中にありました。小学校を建てる時に発掘されて学校に保管されている「木樋」を観察して、現在の小学校の敷地にあった江戸時代の大名屋敷に、玉川上水から水を引く水路として使われていたものだと学んでいたのです。ノートを見直して、工場の近くに水路があったのかもしれないと思いつきました。

でも、すぐに謎を解くことはできませんでした。というのも、工場はもちろん、水路など、現在はまるで見当たらないのです。そこで図書館で、古い地図を調べることにしました。すると今は舗装された道路に水路が流れていたことがわかりました。水路の水が大きな道路を鉄樋で渡っていたり、トンネルの上を渡されていたりしたこともわかりました。

実際に水路のあったルートを歩いてみると、古いビルの壁面、マンション脇の空き地や駐車場など、いたるところに水路のわずかな名残を発見することもできました。驚くことに、毎日の通学路の脇にある細長い駐車場が、昔の水路にふたをして作られていたこともわかりました。また、水路の通っていた道は、ほとんど平らに見えるような道なのですが、実は少しずつ確かに下っているということも体感できました。こうして今まで何気なく見慣れていた景色も、まったく違うものに見えるようになったのです。それまで見えなかったものが見えるようになった瞬間です。

ここに書いたことは、小学校で初めて「社会」を学ぶ子どもの学習活動の一端です。でも、自分で疑問を見つけ、さまざまな授業で学んだことを活用し、図書館で文献や資料を調べたり、実地調査をしたりして、疑問に思ったことを解き明かしていく過程は、大学の学びと共通です。もちろん、小学3年生と大学生とでは当然、解明すべき課題も、扱う知識やデータの範囲・難易度も異なります。それだけに、大学生になれば、もっと違った景色が広がっているように見えるはずです。

ふだん道を歩くときには、ちょっと意識して顔をあげて、周囲を見まわしてみてください。「何でここに…」という疑問が見つかるかもしれません。そしてぜひ、その謎解きにチャレンジしてみてください。研究の第一歩は、身近なところにあるものなのです。

 

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田澤 佳昭(Yoshiaki Tazawa)
プロフィール
専門:国際政治・国際法
略歴:日本大学 法学部 政治経済学科 卒業
日本大学大学院 法学研究科 政治学専攻 博士後期課程 単位取得退学
シドニー大学経済学部行政学科(国際関係論)及アジア研究学部 客員研究員
道都大学 短期大学部 経営科 専任講師
道都大学 経営学部 経営学科 専任講師・准教授