高校を卒業後、大学留学をするために渡米し、結局、1985年1月から2007年3月までアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコに22年間住んでいました。今では、私の青春時代を過ごしたサンフランシスコは、第2の故郷です。

アメリカに住むことになり、日本人であることを意識するようになりました。多くの書類に、人種を書く欄があり、「何人ですか?」と聞かれることも多いからでしょう。そんなこともあり、中学校から習っていた茶道を再び習い始め、琴のお稽古も始めました。アメリカに住んでいても、自分は「日本人だ」と思っていたのです。

しかし、やはり長く海外に住むと、変わっていくのでしょうね。在米10年目ぐらいになった時に、子どもの頃から可愛がってくれていた母方の伯父に、「真奈美もすっかりアメリカ人になったね」と言われ、ショックを受けたことを覚えています。そのことがきっかけで、異文化の中でどうパーソナリティやアイデンティティが変化していくのかに興味を覚え、研究対象の一つになりました。また、自分自身の経験から、異文化適応にも関心があり、これも研究対象の一つになりました。

在米22年を経て、日本に戻ることになり、当然逆カルチャーショックは想定し、心得ていたつもりでした。しかし、そう甘くはなかったのです。自分自身の価値観が分からなくなることもありました。仕事の進め方もアメリカと日本では違います。最初の1年間は頭の中に???がいくつも飛んでいました。ある日、同じ頃に仕事のため日本に住む事になった超日本びいきのアメリカ人の友達と食事をし、愚痴を言った時、彼は、「真奈美、仕方がないよ、ここは日本だから。日本式でしないと」と言われ、自分の考え方が、日本とは違ってきていることを痛感しました。しかも、それを教えてくれたのは、アメリカ人だったのです。彼はテキサス生まれの典型的な白人です。今でもその時のことは、忘れられない思い出です。

再び慣れるまでに、3年ぐらいはかかりました。皆さんにとっては、ごく当たり前のことも私にとっては、異文化でした。例を一つ上げると、道を尋ねた時の返事です。多くの日本人が、「○○通りを○○方面に向かって・・・」というように説明してくれます。しかし、○○通りも○○方面も分かりません。アメリカだったら、「次の角を右に曲がって、3ブロック位行くと…」というように説明してくれます。そうなのです。多くの人には、私は日本人に見える(当然?)ので、私が分からないことが分からないのです。時々は、「この人大丈夫?」というような目で見られることもありました。そこで、私も考えました。道を聞くときは、日系人のふりをして、カタコトの日本語を使ったり、英語で話したりしました。そしたら、なんと、皆さん、とても親切に教えてくれました。

といろいろと、工夫をしながら、日本での生活も10年目となりました。今では、自分の中に日本とアメリカがあることを素直に受け入れられるようになりました。そして、年に1度は、サンフランシスコに帰省し、旧友に会い、自分の心のメンテナンスをし、エネルギーを充電しています。

東京オリンピックに向けて、日本を訪れる外国人も増加していきます。みなさんも見た目だけで判断せず、困っている人がいたら、誰にでも親切に声をかけてあげてくださいね。

 

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田中 真奈美(Manami Tanaka)
プロフィール
専門:多文化教育
略歴:University of San Francisco 教育学部修士課程教育カウンセリング専攻 終了
University of San Francisco 教育学部博士課程国際・多文化教育学専攻 終了

昨年の夏休み、小学3年生の子どもが、「わがまち探検」という「社会」の宿題をやるというので、子どもといっしょに出かけました。社会の教科書を開いてみると、川に沿った場所に、工場や緑地、住宅街や商店街があることに気づかせ、その理由とともに考えさせるようになっています。なるほど。人間が生活していくうえで大切な「水」を中心に考えるわけです。

幸い家の近くには、昔ビール工場で、現在はショッピングモールになっている場所があったので、まずは、昔のビール工場について調べることになりました。でも、その工場のあった周りを実際に歩いてみると高台で、二つの大きな川に挟まれてはいるものの、川の水を工場に引入れるのには難しそうな場所です。ビールを作るには原料となるたくさんの水が必要だったはずです。ビールを詰める瓶の洗浄にも水は欠かせませんから、水なしでは済まされません。なぜ、水を引入れにくい高台に工場を作ったのか?小学3年生には大きな謎でした。

謎を解くヒントは、授業のノートの中にありました。小学校を建てる時に発掘されて学校に保管されている「木樋」を観察して、現在の小学校の敷地にあった江戸時代の大名屋敷に、玉川上水から水を引く水路として使われていたものだと学んでいたのです。ノートを見直して、工場の近くに水路があったのかもしれないと思いつきました。

でも、すぐに謎を解くことはできませんでした。というのも、工場はもちろん、水路など、現在はまるで見当たらないのです。そこで図書館で、古い地図を調べることにしました。すると今は舗装された道路に水路が流れていたことがわかりました。水路の水が大きな道路を鉄樋で渡っていたり、トンネルの上を渡されていたりしたこともわかりました。

実際に水路のあったルートを歩いてみると、古いビルの壁面、マンション脇の空き地や駐車場など、いたるところに水路のわずかな名残を発見することもできました。驚くことに、毎日の通学路の脇にある細長い駐車場が、昔の水路にふたをして作られていたこともわかりました。また、水路の通っていた道は、ほとんど平らに見えるような道なのですが、実は少しずつ確かに下っているということも体感できました。こうして今まで何気なく見慣れていた景色も、まったく違うものに見えるようになったのです。それまで見えなかったものが見えるようになった瞬間です。

ここに書いたことは、小学校で初めて「社会」を学ぶ子どもの学習活動の一端です。でも、自分で疑問を見つけ、さまざまな授業で学んだことを活用し、図書館で文献や資料を調べたり、実地調査をしたりして、疑問に思ったことを解き明かしていく過程は、大学の学びと共通です。もちろん、小学3年生と大学生とでは当然、解明すべき課題も、扱う知識やデータの範囲・難易度も異なります。それだけに、大学生になれば、もっと違った景色が広がっているように見えるはずです。

ふだん道を歩くときには、ちょっと意識して顔をあげて、周囲を見まわしてみてください。「何でここに…」という疑問が見つかるかもしれません。そしてぜひ、その謎解きにチャレンジしてみてください。研究の第一歩は、身近なところにあるものなのです。

 

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田澤 佳昭(Yoshiaki Tazawa)
プロフィール
専門:国際政治・国際法
略歴:日本大学 法学部 政治経済学科 卒業
日本大学大学院 法学研究科 政治学専攻 博士後期課程 単位取得退学
シドニー大学経済学部行政学科(国際関係論)及アジア研究学部 客員研究員
道都大学 短期大学部 経営科 専任講師
道都大学 経営学部 経営学科 専任講師・准教授

当時、通っていた大学のゼミでは、3年生以上になると夏と春に地獄の合宿が待っていた。義務付けられたものではないが、毎回20名ほどの学生が参加していた。所謂卒業論文合宿である。大学の所有する伊豆某所の研修所において3泊4日程度で行われていたが、昼間はそれぞれの研究内容について30分~60分の発表、夜間は引率教官による個人指導と勉強漬けの合宿である。

3年生から参加すれば、3年生の夏・春、4年生の夏と3回の参加機会があるのだが、この教官はとても厳しく、学生からも敬遠されていた。合宿の状況の噂を聞いて参加を躊躇う学生がいたのも事実である。また、時間管理も厳しく必ず5分前行動を基本として遅刻寝坊厳禁で、朝は7時から海岸に散歩に行くことが義務づけられていた。大学3年生ともなればお酒やマージャンなど娯楽、睡眠への欲求が抑えられない年頃であることを考えればかなり精神的な抑圧を強いられたものである。ましてや現代のように、ゲーム機もパソコンもタブレットもなく当然のことながら携帯電話もスマートフォンも無い。またコンビニも無く近くの駅までは路線バスで20分程度かかるところであるため逃げ出そうにも逃げ出せない環境であった。

昼間の個人発表は大学4年生であっても発表だけでは30分も持つはずがなく、指導教官や助手の先生からの質問攻めという、吊し上げ状態で時間が経過することが多かった。中には涙する学生もおり聞いている学生も委縮し、居眠りや私語などできない状況だったことを覚えている(この涙の多くはふがいない自分たちに対する悔し涙である)。こんな状況なので夜も次の自分の発表に備えてお互いに研究内容について検討しあうなど、朝方まで勉強を続けることが多かった。また、自分の研究内容について指導教官に指導をお願いすることは不可欠だったが、これがまた地獄なのである。

基本、指導は1対1でありこれまた1時間程度の圧迫面接であった。誰しもがそこに行きたくない気持ちでいっぱいである。そこで私たちは考えた・・・「もう来なくていい」と言わせるにはどうしたらよいかを。まずは参加者全員が腹を括り必ず1回は指導を受けに行くことを前提に、その順番を決めて一人終わればすぐに次の一人が行くというように、とにかく教官を休ませないようにしたのである。そして深夜いや朝方まで続けたのである。そうすれば次の日の発表も楽になるかもしれないという淡い期待を抱きながらも・・・。

結果は完敗であった。教官は全く動じず次の日も同様に日程をこなしていったのである。今の世ならばこのような指導はパワハラ・アカハラといわれてもおかしくないかもしれない。しかし賞味3日の合宿が終わった時、それが日常の2~3か月に相当することを実感することとなり、合宿ごとに卒業論文の精度は明らかに上がっていったのである。

私たちは北風の様に力業で合宿を乗り切ろうとしたが結果は見事に打ちのめされてしまった。しかし、私たちは合宿参加回数を重ねるうちにあることに気が付いた。日頃から真摯に指導を受け、地道に課題をこなしていくことが一番楽な道であること・・・。そして、教官の顔が太陽のように緩むことを。

 

齢80を超えたその恩師と年に数度お酒をともにすることがある。今でも会うごとに小言を言われるがそれがまた心地よい。そしてその顔はいつも笑っているのである。

 

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髙橋 一公 (Ikko Takahashi)
プロフィール
専門:生涯発達心理学 老年心理学
略歴:立正大学文学部哲学科卒業
明星大学人文学研究科心理学専攻修士課程修了
株式会社電脳教育事業本部企画開発部勤務
身延山大学仏教学部仏教福祉学科准教授
群馬医療福祉大学社会福祉学部准教授

コンピュータの技術の変化には、目覚ましいものがあります。私が学生の頃には、コンピュータといえば大型計算機が主流で、部屋を埋め尽くすほどの大きなコンピュータで、フォートランというプログラム言語を動かしていました。この巨大なコンピュータは大量の熱を発生するため部屋には空調設備が完備されていましたが、それは人間のためのものではありませんでした。コンピュータにデータを入力するときには、USBメモリなどはまだ存在しないため、パンチカードやマークカードを使用して、プログラムの1ステップに対して1枚のカードに記述していくものでした。例えば、プログラムが1000ステップにもなると、カードは1000枚も必要になります。この分厚い紙のカードで書いたソフトを持ち運ぶときには、段ボール箱を何箱か用意して運びます。誤って、そのダンボール箱を落としてしまいカードがばらけたら、さあ大変、カードを最初から順番に並べなおすということになります。そんな苦労をしてでも、コンピュータから得られた結果は、プリンタから印字された数字の羅列だけでした。しかし、その結果が得られることが有難くて、1日かけてコンピュータの計算結果を楽しみにしていたものでした。

現在では、タブレットPCやスマートフォンが登場し、ネットワークを使い、サーバからアップロードやダウンロードをすれば、簡単にアプリやデータ、さらには音楽や動画までも入力することができてしまいます。コンピュータから得られるものは、プリンタから印刷された数字だけでなく、画像や動画、音楽など様々なメディアに対応してくれるようになりました。特に、スマートフォンでは、指で操作が簡単にできてしまう触覚メディアが便利で、多くのゲームソフトにはこの指操作によるものが組み込まれています。

 

一方、私の趣味のスキーも大きく変化しています。学生時代にはスキー部に所属していたのでよく覚えています。スキー板は2メートル以上もの長さがあり、また、ビンディングはブーツをスキー板にはめるとき、手で押さえつける必要があり、たまに指を挟んでケガすることもありました。スキーの流れ止めは皮の紐でできていて、それをブーツにぐるぐると巻き付けて使います。ブーツは革製で、紐を締めてはきます。でもそれは、私の頃にはバックル式にかわり、ブーツもプラスチック製になったところでした。スキーのファッションも面白く、スキーパンツはデモパンといわれる体のラインがよくわかるほどの細くてピッタリしたものでした。帽子はイカ帽といわれるもので、頭にかぶるといかのような形になるためそういわれていました。

現在はカービングスキーが主流で、160センチメートルほどの短いスキー板で初心者でもかなりらくにターンができます。最近はロッカースキーという新雪やパウダーでも簡単に楽しく滑ることができるスキー板が登場してきています。そして、スキーよりもファッション性がよく初心者から楽しめるスノーボードのほうが人気もあります。

 

このように様々な分野において、生活や技術がさらに進歩していきます。そんな中で、私たちは生活しているのですから、私自身ももっと進化して、それを楽しんでいく必要があるとつくづくと感じています。

 

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杉本 雅彦(Masahiko Sugimoto)
プロフィール
専門:情報科学
略歴:信州大学大学院工学研究科博士後期課程単位取得退学
長野県短期大学教養学科 助手
拓殖大学北海道短期大学経営経済科 准教授
立正大学大学院心理学研究科 非常勤講師
東京未来大学モチベーション行動科学部 教授

就職活動では自己分析、業界・企業分析、他の競合する学生の分析が必要なことは、第7回のこの欄「”就活”に不安を覚える高校生の皆さんへ ~就活は自分のマーケティング―3C分析をしてみよう~」に説明しましたのでご覧ください。

http://blog.tokyomirai.ac.jp/m/?p=80

今回は自己分析をするためには学生時代にどのような準備が必要かということを説明したいと思います。

 

自分を知るには必死になって何かに取り組む経験が必要です。それは運動部での活動、大学での学問研究、ボランティア等の課外活動などなんでもかまいません。そういった自分で決めたことをやり遂げるにはいろんな困難があると思います。たとえば運動部だと、いくら頑張ってもレギュラーになって試合に出られないなどです。様々な納得のいかないこと、理不尽と思われることにも遭遇すると思います。ただ、こういった活動を通して、自分がどのようなことだったら理不尽に耐えられるかなど、自分の限界も知ることができます。そのことによって、自分がどのようなこと、環境だったら力を発揮し、頑張れるか、どのようなことには無理なのかがわかります。

 

私は学生にいろいろな活動の機会を提供し、誘っていますが、「今はそんなことができる実力がありませんので、実力がついてから機会をください」と言う学生もいます。そういった学生はその後も力がつきません。チャンスがあればまず行動することが大切です。また、就活生になって初めて私のところに来る学生がよくする言葉に「せめて一年前に先生に会えていたら…」というのもよく聞きます。そんな時は「一年前だったら捉まえていた?」と聞き返します。ほとんどは「その時は気づかなかった」と返ってきます。

 

「チャンスの前髪」という言葉があります。チャンスの神様には前髪しかなく、後ろ髪はない。つまり、躊躇している間にチャンスは逃げて行ってしまうということです。また、「棚からぼたもちを得られるのはその下にいる人だけ」という言葉もあります。チャンスがどこにあるかアンテナを張っている人だけがチャンスを得られるということです。まずは一歩踏み出す勇気をもって飛び込んでみる。そして、チャンスがどこにあるかアンテナを張っておくということがいい経験を積みためには大切だということです。

 

ただし、注意しなくてはならないのは、決して傍観者、評論家であっては力がつかないということです。積極的に深く関わり、責任を持って取り組む当事者になることが大事です。

最後にそのことを歌った歌手中島みゆきの『ファイト』の歌詞の一部を紹介したいと思います。CMなどにも使われているのでご存じのみなさんも多いと思います。

 

ファイト! 闘う君の唄を

闘わない奴等が笑うだろう

ファイト! 冷たい水の中を

ふるえながらのぼってゆけ

 

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篠崎 雅春(Masaharu Shinozaki)
プロフィール

専門:マーケティング

略歴:慶應義塾大学法学部、慶應義塾大学大学院経営管理研究科卒業。凸版印刷消費行動研究室、たくぎん総合研究所経営コンサルティング部、道都大学経営学部をへて、2012年より現職。

私が高校生の頃、大学進学を考える中で自分が将来何をしたいのかが分かりませんでした。自分は何をしたいのか…自分に何が出来るのか…自分には何が向いているのか…いくら考えても明確な答えは出ませんでした。

漠然と将来は会社員になるだろうから経営学とかを学んでおくと良いのではないか、そんな緩い考えで受験する学部を選択したのを覚えています。

そんなフワフワした感じで大学に入学した私は、将来自分が何をしたいかを考える時間を得て、とにかく自分がしたいことを何でもやってやろうと、それだけは決めていました。自分が少しでもしたいと思ったことをアレコレとやっていくことで、自分が本当にしたいことを決められると思ったからです。

まずは勉強です。1年生の時は一般教養科目の中から、面白そうと感じた科目を片端から選択しました。その中で自分自身の基盤となる「哲学」「心理学」「言語学」といった学問に出会うことが出来ました。

そして、スポーツは高校生の頃からやってみたかったアメリカンフットボールを始めました。想像以上に練習がきつかったのでちょっと後悔したのを覚えています。

趣味の領域では、もともと好きだった映画鑑賞から演劇鑑賞にも手をひろげたり、洋楽にどっぷりと浸ってみたりとそれまで経験したことがないことでも「何事も経験だ!」を合言葉に、あまり興味がないことでもアレコレとやってみました。

そして、アルバイトはとても貴重な就業経験となりました。当時はインターンシップがなかったので、アルバイトを通じて社会と触れ、仕事を体験出来ました。時給が良かったので家庭教師と夜間警備のアルバイトは長くやりましたが、他にも街頭アンケート、翻訳、イベント誘導等単発でたくさんの仕事をやりました。マーケティングの会社に登録して単発のアルバイトを時間の許す限りアレコレとやったのを覚えています。

自分が興味あることだけでなく、興味がなくても機会があればやってみる。そんな大学生生活で私は自分というものを創っていきました。

私はこれを「自己創造」と言っています。「自己創造」とは「新しい自分と出会うこと」です。それまで出来なかったことが出来るようになった自分、それまで知らなかったことを知った自分…それまでとは違う新しい自分と出会う喜びを大いに味わい尽くすことで、自分に自信が持てるようにもなりましたし、将来やりたいことも明確になっていきました。

まさに、自分とは“探すもの”ではなくて“創るもの”という経験をした大学生生活でした。

東京未来大学には通常のカリキュラムに加えて様々なプロジェクト活動や独自のインターンシップ等、「自己創造」の機会がたくさんあります。自己創造機会の多さは東京未来大学の大きな特徴の一つです。

将来について明確な目的・目標が既にある人にとっては、大学生生活における「自己創造」は自己実現へと繋がります。将来について明確な目的や目標がある人もない人も、大学生生活でたくさんの「自己創造」をすることをおススメします。

 

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佐久間 俊和(Toshikazu Sakuma)

プロフィール

専門:モチベーション・デザイン

略歴:慶應義塾大学商学部卒業後株式会社リクルート入社、2012年より現職。リクルート社勤務経験から、モチベーション理論と実務の現場を繋ぐ実践スキルの開発・研究をすすめている。

今から1年と少し前の2015年9月10日。私の住む茨城県で鬼怒川が決壊しました。決壊前後,警戒・避難を呼びかける防災無線の声に,あるスピーチが思い出されました。

 

「災害を告げる放送や消防車両の声に,耳の不自由な先生や友にこの知らせは届いているかと案じられました。」

 

これは,私が大学院時代に通っていた手話教室の修了証書授与式で,代表者が行ったスピーチの一文です。その年も雨が多く,手話教室近辺でも川の増水に警戒するようにとの知らせがありました。その知らせを聞いたときの自分が,聾者に対する一般論としてではなく,実体を持った他者への気遣い・案じる気持ちを抱く自分になっていたことを,このスピーチで気づくことができました。そして,その気持ちは,修了証書授与式から10年以上経った昨年の災害時にも確かに残っていたのです。

 

手話教室と,それ以前大学時代に入っていた手話サークルは,私にたくさんのことを教えてくれました。

「おはよう」の手話は,枕にたとえた握りこぶしをこめかみにあて,それを下ろすことで示す「朝」の手話に,両手の人差し指を向かい合わせて指先を曲げる「挨拶」の手話を続けるといった,1つ1つの手話の成り立ち。

手話と口話はいつも一語一句対応させるのではなく,伝えたい意味を考えて変換するとよい(たとえば,手話付きの楽曲「碧いうさぎ」では,「碧いうさぎ」は「色が青いうさぎ」のことを歌ったものではないので,その意味から「淋しいうさぎ」といったように表すとよい)といった表現技法。

そして,何といっても,先のスピーチの例で述べたような,聾者の方と日常を過ごし,ものごとの感じ方の違いを実感したことです。感じ方の違いは,「聞き取る」といった私にできて聾者の方にできないこともありましたし,反対に,聾者の方だからこそできることもたくさんありました。興味深かったのは飲み会でのこと。20人くらいの席で一番端に座っていた私に,私とは反対側の端に座っていた方が手話で話しかけてきたのです。大学の専攻といった世間話でしたが,驚いたのは遠くに座っていたその方と何の問題もなく会話が成立したこと。考えてみてください。飲み会の席で,その方と私の間には20名近い人がいて,それぞれ会話をしていたのです。口で話そうとしたら,騒がしくて互いの声が聞こえず,会話など成り立たないはずです。それが,どんな雑音も気にならず,声を張り上げることもなく会話ができたのは,とても楽しい経験でした。

 

共に過ごし,コミュニケーションをとる中で知る「他者像」はとても豊かなものです。一般論ではなく,実感に基づいた深い理解が私たちの中に形成されていくのだと思います。

人生は出会いの宝庫です。特に行動範囲の広がる大学時代は,たくさんの人と出会うチャンスにあふれています。皆さんが,自分とは違うクラスメート,大学の違う人,国籍の違う人,障がいのある人ない人,年齢の離れている人,……さまざまな人と真摯に向き合い,理解しあっていけることを願っています。

 

 

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小林 寛子(Hiroko Kobayashi)
プロフィール専門:教育心理学

略歴:東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学後、日本学術振興会特別研究員PDを経て現職。博士(教育学)。学習上の不適応の問題に、個別指導や授業改善を通して取り組んでいる。

ここ東京未来大学の立地する足立区は、戦後さまざまな町工場といわれる小規模な事業所が林立していたことでも知られています。

林立していたというのは、以前と比較してその数が減少しているという意味に他なりません。詳しくはわかりませんが、住宅地としての土地利用の規制や不景気による受注件数の減少、また後継者不足などにより今後とも減少が見込まれているようです。

その一方で、依然として元気に経営しておられる町工場さんも存在しており、昨年、私がゼミ生をつれてインタヴューに訪問させていただいた製作所さんは後継者を探している様子でした。その作業場をみせていただいてまず驚くのが、コンピューターを使った機械がまったくなく、存在するのは昭和の時代からの古い製作機械が数台あるだけという光景です。

工場主さん曰く、数年前までCADなどのコンピューター製作機器を保有していたが、意味がなくなったので手放したということでした。うかがってみると、受注の質が大量製作から少量生産へと変化し、ロケットの部品などの精密な希少部品の製作へと業務内容が変わっていったから不要となったようです。

話は変わりますが、私の趣味であるサックスのマウスピースに関しても、現在の技術を用いても最終的には職人さんの手作業でその優劣が決まります。またむしろ、近年製作されたマウスピースよりも、50年前に作られたもののほうが鳴りやコントロールが良く、現在の技術をもってしても、その時代の最高のものを超えられないといわれています。おかげさまで今でもそのような中古品に大枚をはたかされる事態が続いております。

総じて現在、製作技術のみならず、あらゆる分野で人間の労働力の質を超えた機械の技術が浸透し、一方で人間の労働力としての価値は低められる傾向が強くなっています。10年後、20年後、人間の労働力としての価値が存在しうる分野はどこなのでしょうか。そうした絶対無二の価値のありかを求めつつ、日々の生活を送ることを心がけたいものです。

 

 

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金塚 基(Motoi Kanatsuka)
プロフィール
専門:教育学・生涯教育
略歴:早稲田大学教育学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(教育学)。帝京大学福祉・保育専門学校専任講師などを経て、東京未来大学モチベーション行動科学部講師~現在に至る。

突然ですが、皆さんは日本をどのように評価していますか。「経済が進んでいる国」、「技術が高い国」、「謙虚な国民性の国」、「安全性の高い国」、「景観がきれいな国」、「勤勉な社会の国」など、色々な評価があると思います。

しかし、これらの評価は何もないところから自然発生的に出てきたものではなく、必ず比較対象があったうえで言えることではないでしょうか。言い換えると、日本以外の国や地域を知ることによって、「日本」とはどんな国なのかが見えてくるということです。つまり、日本を良く知るためには、世界を知ることが欠かせません。

ここまで読んで頂くと、皆さんも少し世界を知りたくなったのではないでしょうか。

私の研究は、簡単に言うと、この「世界を知る」ことを専門としています。専攻名で言うと「国際政治経済学」という学問です。何やら難しい響きがありますが、世界各国や地域で起きている政治的・経済的現象を組み合わせて国際関係や国際社会の状況を分析する学問です。特徴的なのは、分析をする際に政治や経済だけでなく、その国や地域の社会や歴史、文化にも注目をする点です。

私がこの学問に興味を抱いたのは、私自身の生い立ちが大きく影響しています。私は台湾生まれの日本育ちです。人生の三分の二以上を東京という国際都市で育ちました。幼少期から人生の大半を海外で過ごしている私にとって、生まれた台湾と育った日本の関係を知りたいと思うのは、ごく自然のことでした。日本と台湾の関係を調べていくうちに中国や韓国といった近隣諸国との関係も必然的に気になっていきます。そして、東アジアを知れば知るほど、東南アジア諸国との関係にも興味を抱くようになり、いつの間にか東アジア・東南アジア地域を主とした国際政治経済を研究することを仕事にしていました。

よく「好きこそものの上手なれ」という言葉を耳にしますが、強く興味を抱くことや好きなことは、どんなに頑張っても辛くないのは不思議ですね。大学とはそんな「好き」を探しに来るところだと思います。ぜひ、皆さんも大学時代に素敵な「好き」を見つけてください。きっと人生の宝物になると思います。

 

 

kaku_iyo
郭 潔蓉(Iyo Kaku)
プロフィール
専門:東・東南アジア地域の政治経済、国際経営環境分析
略歴:ボストン大学大学院国際関係学専攻修士課程、筑波大学大学院社会科学研究科博士後期課程修了、博士(法学)。代表著書に『グローバル教育の現在』他。

数年前まではIT(Information technology;情報技術)だったのが、ICT(Information and Communication Technology;情報通信技術)に変わり、最近では、IoT(Internet of Things)あるいはIoE(Internet of Everything)という言葉も見かけるようになりました。意味は、様々なモノに通信機能を持たせ、自動認識や自動制御、遠隔操作といったことが可能になることらしいです。まぁ、家電や車、自動販売機にもICTが利用されていますしね。なにやら、情報通信技術の発展は目覚ましいものがあるなぁ~、とニュースで、『ポケモンGo』の世界での人気ぶりを見ながら考えた。『ポケモンGo』(GPSの位置情報を利用し、モンスターを捕獲するゲームらしいです)の人気は凄まじく、アメリカでは、一日あたりの売上が160万ドル(約1億6,000万円)にもなるっていうのだから景気の良いお話です。その経済効果は株式市場にも影響し、ニンテンドーの株価も急騰したとのこと。ポケモンはしたことありませんが、その人気ぶりは目を見張るものがあります。今更ながらプレイした方が良いのだろうかと、逡巡してしまいます。まぁ、ボーカロイドの『初音ミク』の海外コンサートや浄瑠璃とのコラボにも驚きましたが、経済ニュースで取り上げられる『ポケモンGo』って凄い。いや~、デジタルコンテンツの波及効果って、凄い。ちなみにボーカロイドは、ここ最近、参考書とコラボしてましたので、思わず購入しました。などと書いていると、誤解を招きそうなので、少し説明を。

さて、『ポケモンGo』の経済効果もさることながら、ゲーム世界を現実社会に持ち込んだことにより、良くも悪くも実社会に影響を与えたこと――世界規模での社会現象の様相――に改めて考えさせられた。『ポケモンGo』は、屋外に繰り出して、捕獲モンスターを探す必要があり、実際に人が移動する。そのため、活用すれば特定の飲食店や商店街への誘導が可能である。実際、配信国のある飲食店は、週末の売上が倍増したらしいし、モンスター捕獲ツアーも盛況とのことである。これは新たな広報手法やビジネスになり得る。その一方で、携帯端末を確認しながらの移動のため、注意は散漫になる。そのため、歩きスマホ同様に事故や事件に発展することが十分に考えられる。やはり、配信国では、置き引き被害や落下事故などが起こっているらしい。また、立ち入り禁止地区に進入した事例も報告されている。『ポケモンGo』は、今後の同様の手法を用いたコンテンツが現われることを予見させる。

なんて、書いていると内容、文字数ともに怪しくなるので、終わらせます。まぁ、重大と思えないことが、実際は重要であったり、知らないところで関係しあっていたり、物事には一長一短があるということを改めて認識して貰えればと思います。大学での勉強も、すぐに役立つというよりは、時間が経ってから必要性を感じさせられるものですので。

 

本当は、デジタルコンテンツの話から、学習指導要領の改訂とICT活用について書こうかと思ってましたが、やめました。なお、今現在小学校でのプログラミング教育の導入が検討されているようですが、プログラミングを習得するというよりも、論理的思考力を養うことに主題が置かれているようです。そのため、他の科目と関連付けて、プログラミング教育が行われることになるようです。これも長期的な学習効果を狙ったものといえるかも知れません。

 

iwasaki_satoshi
岩﨑 智史(Satoshi Iwasaki)
プロフィール
専門:認知心理学
略歴:立正大学大学院心理学研究科博士後期課程修了。東京未来大学 こども心理学部助手、同助教を経て現在、東京未来大学モチベーション行動科学部講師。