テレビのスイッチを入れれば、様々な製品やサービスのCMが我々の目に耳に飛び込んでくる。あるいは、家の新聞には様々なお店のチラシが折り込んである。電車の車内にも様々なポスターが掲示されている。コンビニやスーパーに出向けば、ここでも売場の棚には「○○円引き」、「○○個買うと1個おまけ」などというポスター(正確にはPOPという)が買う気をそそる。

売場でのポスターなどによる情報提供は「セールスプロモーション」と言われる。その場で買うという「行動」を促進することを目的としている。それに対し、CMやチラシ、同じポスターでも前者のものは、購入時点・地点で提示されたものではなく、他の時点・地点での情報提供である。その目的は「態度」を変えることである。態度に働きかけるのが「マーケティング」の発想である。行動をより効果的に変えるためには態度を変えることが有効である。

態度に働きかける、とはその商品やサービスを消費することのベネフィットを訴求する、すなわち内的に動機づけることである。すると、行動に働きかけるセールスプロモーションは外的な誘因として動機づけする方法であり、両者はまさにモチベーションを高める方法に他ならない、と気付く。

ところで最近では、スマホをちょっと手にすれば、目の前に様々な広告が飛び交い、その場での購入も可能となっている。これまでは、買いたくても目の前に商品やサービスがあったわけではないので、一旦記憶して、改めて行動たる購買をしにお店に向かっていた。よって、態度を変えたからといって、そのすべてが行動に結びつくわけではなかった。しかし、ネットでの購入は、態度と行動をほぼ同時に変えうるゆえに行動に結び付ける確率を高めた。また、SNSを利用すれば、購入の前でも後でも様々な情報を入手し、また発信することも可能だ。SNSは行動することを後押しし、また行動後の満足を促進する機能を果たしている。

 

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渡邊 隆之(Takayuki Watanabe)

プロフィール

専門:マーケティング、消費者行動
略歴:早稲田大学大学院商学研究科博士前期課程修了。(株)イトーヨーカ堂を経て、学習院大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。(財)流通経済研究所理事、創価大学・沖縄大学教授を経て現職。

なぜ我々は歴史を学ぶのでしょうか。私が専門とする歴史学は過去を対象とする学問ですが、過去そのものに意味があるわけではありません。我々が生きる現在、ひいては未来にとって意味があるから歴史を学ぶのです。

歴史を暗記科目として捉えている人が多いように思いますが、それは本来の歴史の学び方ではありません。歴史を学ぶということは、歴史的事実を知ったり、歴史用語を覚えたりすることではないのです。少なくとも、大学で学ぶ歴史学はそのような立場に立っています。

歴史を学ぶということが、仮に歴史的事実を知ったり、歴史用語を暗記したりすることであるとすれば、コンピューターに勝る人間はおそらくいないでしょう。何より、それらは歴史の教科書をはじめ、辞書や専門書などに記されています。特段覚える必要はありません。大切なのは、歴史に学び、現代、さらには未来をよりよく生きるためのヒントを得ることです。その意味では、歴史学は現代学であり、未来学としても捉えることができます。

人はなぜ学ぶのか、と問われれば、私なら、人は幸せになるために学ぶのだ、と答えます。各種の資格を得るためとか、職務上必要であるからとか、様々な回答があるでしょう。しかし、詰まるところ、できるだけ幸せに生きたいから、人は学ぶのではないでしょうか。現代社会は平穏に見えながらも、様々な困難を抱えています。そうした問題を克服し、よりよく生きるためには、ゼロベースから考えるよりも、過去の歴史に学ぶことが有用です。古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスは、「歴史は繰り返す」(History repeats itself.)と述べましたが、確かに人間は長い目で見れば同じようなことを繰り返し行ってきました。そうであれば、時代は違えども、現代社会が抱える困難と同様の困難を過去の人々が経験し、克服してきた歴史もあるでしょう。歴史に学べることは多くあるのです。過去の歴史を顧み、よき点は装いを新たに現代社会にどんどん活かしていきたいものです。そのことが、よりよく生きることに繋がると私は信じています。

高校生の皆さん、上記のような観点から、本学で私とともに歴史を学んでみませんか。

 

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山﨑 善弘(Yoshihiro Yamasaki)

プロフィール

専門:日本近世史、社会科教育学
略歴:関西大学大学院文学研究科史学専攻博士課程後期課程修了。神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター研究員、奈良教育大学教育学部特任准教授を経て現職。

みなさんは、カウンセラーの仕事とはどのようなものだと思いますか?

多くの人があげるのは、「悩みや問題を抱えた人の相談にのること」だと思います。

しかし、実際のカウンセラーの仕事はそれだけではありません。ここでは一つの例として、「コンサルテーション」という活動を紹介したいと思います。

コンサルテーションとは、「ある専門家(コンサルタント)が、もう一人の専門家(コンサルティ)の関わっているクライエントの、精神衛生に関係した特定の問題をコンサルティの仕事の中でより効果的に解決できるように援助する関係」のこととされています。

少しわかりにくいので、スクールカウンセリングでの例をあげましょう。

たとえば、友達とのコミュニケーションが苦手で、学校を休みがちな生徒がいたとします。担任の先生は、この生徒が学校生活を円滑に過ごせるよう教育・指導したいと思うのだけれど、「コミュニケーションが苦手」という心理学的な(精神衛生に関係した特定の)問題にどのように対応したらいいのか困っています。

この場合、上に書いた「コンサルテーション」の説明のうち、「クライエント」とは学校を休みがちな生徒であり、「もう一人の専門家(コンサルティ)」とは担任の先生になります。そして、コンサルタントであるスクールカウンセラーは、担任の先生(コンサルティ)と話し合い、担任の先生が、生徒が抱える悩みや問題への理解をより深め、教育・指導できるかについて援助する・・・この活動がコンサルテーションです。

多くのみなさんが持っているカウンセラーの仕事のイメージは、この例の中では、「生徒の相談にのる」ではないでしょうか。しかし、カウンセラーの仕事には、悩みを抱えた人を(直接)援助するだけではなく、悩みを抱えた人に「関わる人を援助する」ことも含まれるのです。

ゴールデンウィークも終わり、大学では、4年生が就職活動の真っただ中、3年生も少しずつ活動を開始しています。そのような状況の中、“就活生”(就職活動中の学生)が、「就職活動をして、世の中には今まで自分が知らなかった仕事がたくさんあるのだなと思った」と言っていました。本当にそのとおりだと思います。そして、上で紹介したカウンセラーのお話のように、知っているつもりの仕事でも、(多くの人が知らない)別の側面もあるのだろうと思います。

これを読んでいる高校生のみなさんは、希望の大学を選ぶにあたり、自分が将来どのような職業に就こうかを考えていることと思います。関心のある職業について、本などで調べたり、実際にその職業に就いている人から話を聞いたり、職業体験やボランティアで体験したりと、さまざまな方法を使い、なるべく広い視点で考えてほしいなと思っています。

 

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山極 和佳(Waka Yamagiwa)

プロフィール

専門:臨床心理学
略歴:早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程満期退学。早稲田大学人間科学部助手、東京福祉大学社会福祉学部講師、東京未来大学こども心理学部講師を経て現職。博士(人間科学)。臨床心理士。

唐突ですが、質問です。あなたは、「男は仕事、女は家庭」という考え方に賛成ですか?それとも反対ですか?
私は社会心理学が専門で、ある社会的カテゴリーや集団の人々に対して抱かれているイメージや偏見に関する研究を行っています。それも無意識のうちのイメージや偏見です。「無意識って調べられるの?」と思う人もいるかもしれません。百聞は一見に如かずということで、ちょっとデモンストレーションしてみたいと思います。
下の図を見てください。よくある男女の名前と、仕事あるいは家庭に関する言葉が縦一列に並んでいます。それらを左右に分けてみてください。上のほうに黒背景で書かれているのが分類基準です。つまり、男性の名前と仕事に関する言葉は左側に、女性の名前と家庭に関する言葉は右側に分けます。

埴田先生_図1

同じようにして、次の分け方にもチャレンジしてみてください。分け方が変わっていますので注意してください。

埴田先生_図2

さて、1つ目と2つ目の分け方、どちらが分けやすかったですか?もし1つ目のほうが分けやすかったとしたら、あなたは「男は仕事、女は家庭」という考え方(専門的には態度といいます)を無意識に持っている可能性があります。まさにそうだという人が多いのではないでしょうか。ちなみに、大学生を対象に調べてみたところ、平均的には「男は仕事…」という無意識の態度が持たれているという結果が得られています。
学会でアメリカに行ったときのことです。夜ホテルに戻る道中、人気の少ないところで黒人の人とすれ違いました。そのとき、私の中でちょっとした緊張が走りました。自分が偏見がかった態度を持っていることに気づいた瞬間でした。偏見は望ましくないと思っていましたし、自分は偏見の持ち主ではないとも思っていました。しかし、どうやら私の無意識には知らず知らずのうちに偏見が埋め込まれていたようです。これが無意識の態度や偏見を研究しようと思ったきっかけです。
ここ数年で海外から日本に訪れる人は急激に増え、街中で外国の人を見かけることも多くなりました。多種多様な人と触れ合えるチャンスです。しかし、偏見がかった無意識の態度を持っていたら、外国の人とコミュニケーションをとろうとするモチベーションも上がりづらいかもしれません。こうした影響に打ち勝つための第一歩は、自分の無意識を知ることだと思います。幸いなことに(?)、無意識の態度を調べられるサイト(https://implicit.harvard.edu/implicit/japan/)もありますので、試してみてはいかがでしょうか。

 

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埴田 健司(Kenji Hanita)

プロフィール

専門:社会心理学

略歴:一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。追手門学院大学心理学部特任助教を経て現職。社会的判断・行動に影響する非意識的な心理過程について研究している。

高校を卒業後、大学留学をするために渡米し、結局、1985年1月から2007年3月までアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコに22年間住んでいました。今では、私の青春時代を過ごしたサンフランシスコは、第2の故郷です。

アメリカに住むことになり、日本人であることを意識するようになりました。多くの書類に、人種を書く欄があり、「何人ですか?」と聞かれることも多いからでしょう。そんなこともあり、中学校から習っていた茶道を再び習い始め、琴のお稽古も始めました。アメリカに住んでいても、自分は「日本人だ」と思っていたのです。

しかし、やはり長く海外に住むと、変わっていくのでしょうね。在米10年目ぐらいになった時に、子どもの頃から可愛がってくれていた母方の伯父に、「真奈美もすっかりアメリカ人になったね」と言われ、ショックを受けたことを覚えています。そのことがきっかけで、異文化の中でどうパーソナリティやアイデンティティが変化していくのかに興味を覚え、研究対象の一つになりました。また、自分自身の経験から、異文化適応にも関心があり、これも研究対象の一つになりました。

在米22年を経て、日本に戻ることになり、当然逆カルチャーショックは想定し、心得ていたつもりでした。しかし、そう甘くはなかったのです。自分自身の価値観が分からなくなることもありました。仕事の進め方もアメリカと日本では違います。最初の1年間は頭の中に???がいくつも飛んでいました。ある日、同じ頃に仕事のため日本に住む事になった超日本びいきのアメリカ人の友達と食事をし、愚痴を言った時、彼は、「真奈美、仕方がないよ、ここは日本だから。日本式でしないと」と言われ、自分の考え方が、日本とは違ってきていることを痛感しました。しかも、それを教えてくれたのは、アメリカ人だったのです。彼はテキサス生まれの典型的な白人です。今でもその時のことは、忘れられない思い出です。

再び慣れるまでに、3年ぐらいはかかりました。皆さんにとっては、ごく当たり前のことも私にとっては、異文化でした。例を一つ上げると、道を尋ねた時の返事です。多くの日本人が、「○○通りを○○方面に向かって・・・」というように説明してくれます。しかし、○○通りも○○方面も分かりません。アメリカだったら、「次の角を右に曲がって、3ブロック位行くと…」というように説明してくれます。そうなのです。多くの人には、私は日本人に見える(当然?)ので、私が分からないことが分からないのです。時々は、「この人大丈夫?」というような目で見られることもありました。そこで、私も考えました。道を聞くときは、日系人のふりをして、カタコトの日本語を使ったり、英語で話したりしました。そしたら、なんと、皆さん、とても親切に教えてくれました。

といろいろと、工夫をしながら、日本での生活も10年目となりました。今では、自分の中に日本とアメリカがあることを素直に受け入れられるようになりました。そして、年に1度は、サンフランシスコに帰省し、旧友に会い、自分の心のメンテナンスをし、エネルギーを充電しています。

東京オリンピックに向けて、日本を訪れる外国人も増加していきます。みなさんも見た目だけで判断せず、困っている人がいたら、誰にでも親切に声をかけてあげてくださいね。

 

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田中 真奈美(Manami Tanaka)
プロフィール
専門:多文化教育
略歴:University of San Francisco 教育学部修士課程教育カウンセリング専攻 終了
University of San Francisco 教育学部博士課程国際・多文化教育学専攻 終了

昨年の夏休み、小学3年生の子どもが、「わがまち探検」という「社会」の宿題をやるというので、子どもといっしょに出かけました。社会の教科書を開いてみると、川に沿った場所に、工場や緑地、住宅街や商店街があることに気づかせ、その理由とともに考えさせるようになっています。なるほど。人間が生活していくうえで大切な「水」を中心に考えるわけです。

幸い家の近くには、昔ビール工場で、現在はショッピングモールになっている場所があったので、まずは、昔のビール工場について調べることになりました。でも、その工場のあった周りを実際に歩いてみると高台で、二つの大きな川に挟まれてはいるものの、川の水を工場に引入れるのには難しそうな場所です。ビールを作るには原料となるたくさんの水が必要だったはずです。ビールを詰める瓶の洗浄にも水は欠かせませんから、水なしでは済まされません。なぜ、水を引入れにくい高台に工場を作ったのか?小学3年生には大きな謎でした。

謎を解くヒントは、授業のノートの中にありました。小学校を建てる時に発掘されて学校に保管されている「木樋」を観察して、現在の小学校の敷地にあった江戸時代の大名屋敷に、玉川上水から水を引く水路として使われていたものだと学んでいたのです。ノートを見直して、工場の近くに水路があったのかもしれないと思いつきました。

でも、すぐに謎を解くことはできませんでした。というのも、工場はもちろん、水路など、現在はまるで見当たらないのです。そこで図書館で、古い地図を調べることにしました。すると今は舗装された道路に水路が流れていたことがわかりました。水路の水が大きな道路を鉄樋で渡っていたり、トンネルの上を渡されていたりしたこともわかりました。

実際に水路のあったルートを歩いてみると、古いビルの壁面、マンション脇の空き地や駐車場など、いたるところに水路のわずかな名残を発見することもできました。驚くことに、毎日の通学路の脇にある細長い駐車場が、昔の水路にふたをして作られていたこともわかりました。また、水路の通っていた道は、ほとんど平らに見えるような道なのですが、実は少しずつ確かに下っているということも体感できました。こうして今まで何気なく見慣れていた景色も、まったく違うものに見えるようになったのです。それまで見えなかったものが見えるようになった瞬間です。

ここに書いたことは、小学校で初めて「社会」を学ぶ子どもの学習活動の一端です。でも、自分で疑問を見つけ、さまざまな授業で学んだことを活用し、図書館で文献や資料を調べたり、実地調査をしたりして、疑問に思ったことを解き明かしていく過程は、大学の学びと共通です。もちろん、小学3年生と大学生とでは当然、解明すべき課題も、扱う知識やデータの範囲・難易度も異なります。それだけに、大学生になれば、もっと違った景色が広がっているように見えるはずです。

ふだん道を歩くときには、ちょっと意識して顔をあげて、周囲を見まわしてみてください。「何でここに…」という疑問が見つかるかもしれません。そしてぜひ、その謎解きにチャレンジしてみてください。研究の第一歩は、身近なところにあるものなのです。

 

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田澤 佳昭(Yoshiaki Tazawa)
プロフィール
専門:国際政治・国際法
略歴:日本大学 法学部 政治経済学科 卒業
日本大学大学院 法学研究科 政治学専攻 博士後期課程 単位取得退学
シドニー大学経済学部行政学科(国際関係論)及アジア研究学部 客員研究員
道都大学 短期大学部 経営科 専任講師
道都大学 経営学部 経営学科 専任講師・准教授

当時、通っていた大学のゼミでは、3年生以上になると夏と春に地獄の合宿が待っていた。義務付けられたものではないが、毎回20名ほどの学生が参加していた。所謂卒業論文合宿である。大学の所有する伊豆某所の研修所において3泊4日程度で行われていたが、昼間はそれぞれの研究内容について30分~60分の発表、夜間は引率教官による個人指導と勉強漬けの合宿である。

3年生から参加すれば、3年生の夏・春、4年生の夏と3回の参加機会があるのだが、この教官はとても厳しく、学生からも敬遠されていた。合宿の状況の噂を聞いて参加を躊躇う学生がいたのも事実である。また、時間管理も厳しく必ず5分前行動を基本として遅刻寝坊厳禁で、朝は7時から海岸に散歩に行くことが義務づけられていた。大学3年生ともなればお酒やマージャンなど娯楽、睡眠への欲求が抑えられない年頃であることを考えればかなり精神的な抑圧を強いられたものである。ましてや現代のように、ゲーム機もパソコンもタブレットもなく当然のことながら携帯電話もスマートフォンも無い。またコンビニも無く近くの駅までは路線バスで20分程度かかるところであるため逃げ出そうにも逃げ出せない環境であった。

昼間の個人発表は大学4年生であっても発表だけでは30分も持つはずがなく、指導教官や助手の先生からの質問攻めという、吊し上げ状態で時間が経過することが多かった。中には涙する学生もおり聞いている学生も委縮し、居眠りや私語などできない状況だったことを覚えている(この涙の多くはふがいない自分たちに対する悔し涙である)。こんな状況なので夜も次の自分の発表に備えてお互いに研究内容について検討しあうなど、朝方まで勉強を続けることが多かった。また、自分の研究内容について指導教官に指導をお願いすることは不可欠だったが、これがまた地獄なのである。

基本、指導は1対1でありこれまた1時間程度の圧迫面接であった。誰しもがそこに行きたくない気持ちでいっぱいである。そこで私たちは考えた・・・「もう来なくていい」と言わせるにはどうしたらよいかを。まずは参加者全員が腹を括り必ず1回は指導を受けに行くことを前提に、その順番を決めて一人終わればすぐに次の一人が行くというように、とにかく教官を休ませないようにしたのである。そして深夜いや朝方まで続けたのである。そうすれば次の日の発表も楽になるかもしれないという淡い期待を抱きながらも・・・。

結果は完敗であった。教官は全く動じず次の日も同様に日程をこなしていったのである。今の世ならばこのような指導はパワハラ・アカハラといわれてもおかしくないかもしれない。しかし賞味3日の合宿が終わった時、それが日常の2~3か月に相当することを実感することとなり、合宿ごとに卒業論文の精度は明らかに上がっていったのである。

私たちは北風の様に力業で合宿を乗り切ろうとしたが結果は見事に打ちのめされてしまった。しかし、私たちは合宿参加回数を重ねるうちにあることに気が付いた。日頃から真摯に指導を受け、地道に課題をこなしていくことが一番楽な道であること・・・。そして、教官の顔が太陽のように緩むことを。

 

齢80を超えたその恩師と年に数度お酒をともにすることがある。今でも会うごとに小言を言われるがそれがまた心地よい。そしてその顔はいつも笑っているのである。

 

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髙橋 一公 (Ikko Takahashi)
プロフィール
専門:生涯発達心理学 老年心理学
略歴:立正大学文学部哲学科卒業
明星大学人文学研究科心理学専攻修士課程修了
株式会社電脳教育事業本部企画開発部勤務
身延山大学仏教学部仏教福祉学科准教授
群馬医療福祉大学社会福祉学部准教授

コンピュータの技術の変化には、目覚ましいものがあります。私が学生の頃には、コンピュータといえば大型計算機が主流で、部屋を埋め尽くすほどの大きなコンピュータで、フォートランというプログラム言語を動かしていました。この巨大なコンピュータは大量の熱を発生するため部屋には空調設備が完備されていましたが、それは人間のためのものではありませんでした。コンピュータにデータを入力するときには、USBメモリなどはまだ存在しないため、パンチカードやマークカードを使用して、プログラムの1ステップに対して1枚のカードに記述していくものでした。例えば、プログラムが1000ステップにもなると、カードは1000枚も必要になります。この分厚い紙のカードで書いたソフトを持ち運ぶときには、段ボール箱を何箱か用意して運びます。誤って、そのダンボール箱を落としてしまいカードがばらけたら、さあ大変、カードを最初から順番に並べなおすということになります。そんな苦労をしてでも、コンピュータから得られた結果は、プリンタから印字された数字の羅列だけでした。しかし、その結果が得られることが有難くて、1日かけてコンピュータの計算結果を楽しみにしていたものでした。

現在では、タブレットPCやスマートフォンが登場し、ネットワークを使い、サーバからアップロードやダウンロードをすれば、簡単にアプリやデータ、さらには音楽や動画までも入力することができてしまいます。コンピュータから得られるものは、プリンタから印刷された数字だけでなく、画像や動画、音楽など様々なメディアに対応してくれるようになりました。特に、スマートフォンでは、指で操作が簡単にできてしまう触覚メディアが便利で、多くのゲームソフトにはこの指操作によるものが組み込まれています。

 

一方、私の趣味のスキーも大きく変化しています。学生時代にはスキー部に所属していたのでよく覚えています。スキー板は2メートル以上もの長さがあり、また、ビンディングはブーツをスキー板にはめるとき、手で押さえつける必要があり、たまに指を挟んでケガすることもありました。スキーの流れ止めは皮の紐でできていて、それをブーツにぐるぐると巻き付けて使います。ブーツは革製で、紐を締めてはきます。でもそれは、私の頃にはバックル式にかわり、ブーツもプラスチック製になったところでした。スキーのファッションも面白く、スキーパンツはデモパンといわれる体のラインがよくわかるほどの細くてピッタリしたものでした。帽子はイカ帽といわれるもので、頭にかぶるといかのような形になるためそういわれていました。

現在はカービングスキーが主流で、160センチメートルほどの短いスキー板で初心者でもかなりらくにターンができます。最近はロッカースキーという新雪やパウダーでも簡単に楽しく滑ることができるスキー板が登場してきています。そして、スキーよりもファッション性がよく初心者から楽しめるスノーボードのほうが人気もあります。

 

このように様々な分野において、生活や技術がさらに進歩していきます。そんな中で、私たちは生活しているのですから、私自身ももっと進化して、それを楽しんでいく必要があるとつくづくと感じています。

 

Sugimoto_Masahiko
杉本 雅彦(Masahiko Sugimoto)
プロフィール
専門:情報科学
略歴:信州大学大学院工学研究科博士後期課程単位取得退学
長野県短期大学教養学科 助手
拓殖大学北海道短期大学経営経済科 准教授
立正大学大学院心理学研究科 非常勤講師
東京未来大学モチベーション行動科学部 教授

就職活動では自己分析、業界・企業分析、他の競合する学生の分析が必要なことは、第7回のこの欄「”就活”に不安を覚える高校生の皆さんへ ~就活は自分のマーケティング―3C分析をしてみよう~」に説明しましたのでご覧ください。

http://blog.tokyomirai.ac.jp/m/?p=80

今回は自己分析をするためには学生時代にどのような準備が必要かということを説明したいと思います。

 

自分を知るには必死になって何かに取り組む経験が必要です。それは運動部での活動、大学での学問研究、ボランティア等の課外活動などなんでもかまいません。そういった自分で決めたことをやり遂げるにはいろんな困難があると思います。たとえば運動部だと、いくら頑張ってもレギュラーになって試合に出られないなどです。様々な納得のいかないこと、理不尽と思われることにも遭遇すると思います。ただ、こういった活動を通して、自分がどのようなことだったら理不尽に耐えられるかなど、自分の限界も知ることができます。そのことによって、自分がどのようなこと、環境だったら力を発揮し、頑張れるか、どのようなことには無理なのかがわかります。

 

私は学生にいろいろな活動の機会を提供し、誘っていますが、「今はそんなことができる実力がありませんので、実力がついてから機会をください」と言う学生もいます。そういった学生はその後も力がつきません。チャンスがあればまず行動することが大切です。また、就活生になって初めて私のところに来る学生がよくする言葉に「せめて一年前に先生に会えていたら…」というのもよく聞きます。そんな時は「一年前だったら捉まえていた?」と聞き返します。ほとんどは「その時は気づかなかった」と返ってきます。

 

「チャンスの前髪」という言葉があります。チャンスの神様には前髪しかなく、後ろ髪はない。つまり、躊躇している間にチャンスは逃げて行ってしまうということです。また、「棚からぼたもちを得られるのはその下にいる人だけ」という言葉もあります。チャンスがどこにあるかアンテナを張っている人だけがチャンスを得られるということです。まずは一歩踏み出す勇気をもって飛び込んでみる。そして、チャンスがどこにあるかアンテナを張っておくということがいい経験を積みためには大切だということです。

 

ただし、注意しなくてはならないのは、決して傍観者、評論家であっては力がつかないということです。積極的に深く関わり、責任を持って取り組む当事者になることが大事です。

最後にそのことを歌った歌手中島みゆきの『ファイト』の歌詞の一部を紹介したいと思います。CMなどにも使われているのでご存じのみなさんも多いと思います。

 

ファイト! 闘う君の唄を

闘わない奴等が笑うだろう

ファイト! 冷たい水の中を

ふるえながらのぼってゆけ

 

shinozaki_masaharu
篠崎 雅春(Masaharu Shinozaki)
プロフィール

専門:マーケティング

略歴:慶應義塾大学法学部、慶應義塾大学大学院経営管理研究科卒業。凸版印刷消費行動研究室、たくぎん総合研究所経営コンサルティング部、道都大学経営学部をへて、2012年より現職。

私が高校生の頃、大学進学を考える中で自分が将来何をしたいのかが分かりませんでした。自分は何をしたいのか…自分に何が出来るのか…自分には何が向いているのか…いくら考えても明確な答えは出ませんでした。

漠然と将来は会社員になるだろうから経営学とかを学んでおくと良いのではないか、そんな緩い考えで受験する学部を選択したのを覚えています。

そんなフワフワした感じで大学に入学した私は、将来自分が何をしたいかを考える時間を得て、とにかく自分がしたいことを何でもやってやろうと、それだけは決めていました。自分が少しでもしたいと思ったことをアレコレとやっていくことで、自分が本当にしたいことを決められると思ったからです。

まずは勉強です。1年生の時は一般教養科目の中から、面白そうと感じた科目を片端から選択しました。その中で自分自身の基盤となる「哲学」「心理学」「言語学」といった学問に出会うことが出来ました。

そして、スポーツは高校生の頃からやってみたかったアメリカンフットボールを始めました。想像以上に練習がきつかったのでちょっと後悔したのを覚えています。

趣味の領域では、もともと好きだった映画鑑賞から演劇鑑賞にも手をひろげたり、洋楽にどっぷりと浸ってみたりとそれまで経験したことがないことでも「何事も経験だ!」を合言葉に、あまり興味がないことでもアレコレとやってみました。

そして、アルバイトはとても貴重な就業経験となりました。当時はインターンシップがなかったので、アルバイトを通じて社会と触れ、仕事を体験出来ました。時給が良かったので家庭教師と夜間警備のアルバイトは長くやりましたが、他にも街頭アンケート、翻訳、イベント誘導等単発でたくさんの仕事をやりました。マーケティングの会社に登録して単発のアルバイトを時間の許す限りアレコレとやったのを覚えています。

自分が興味あることだけでなく、興味がなくても機会があればやってみる。そんな大学生生活で私は自分というものを創っていきました。

私はこれを「自己創造」と言っています。「自己創造」とは「新しい自分と出会うこと」です。それまで出来なかったことが出来るようになった自分、それまで知らなかったことを知った自分…それまでとは違う新しい自分と出会う喜びを大いに味わい尽くすことで、自分に自信が持てるようにもなりましたし、将来やりたいことも明確になっていきました。

まさに、自分とは“探すもの”ではなくて“創るもの”という経験をした大学生生活でした。

東京未来大学には通常のカリキュラムに加えて様々なプロジェクト活動や独自のインターンシップ等、「自己創造」の機会がたくさんあります。自己創造機会の多さは東京未来大学の大きな特徴の一つです。

将来について明確な目的・目標が既にある人にとっては、大学生生活における「自己創造」は自己実現へと繋がります。将来について明確な目的や目標がある人もない人も、大学生生活でたくさんの「自己創造」をすることをおススメします。

 

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佐久間 俊和(Toshikazu Sakuma)

プロフィール

専門:モチベーション・デザイン

略歴:慶應義塾大学商学部卒業後株式会社リクルート入社、2012年より現職。リクルート社勤務経験から、モチベーション理論と実務の現場を繋ぐ実践スキルの開発・研究をすすめている。