第89回 集団的な応援活動と日本文化の特徴について

投稿者:金塚 基

集団的な応援活動とはなにか?
あらためて振り返ってみると、その活動には複雑な側面があることに気づく。
対象者を思いやることから応援したい気持ちになるという利他的な行為なのか、あるいは勝手に自分を対象者に投影して頑張らせてしまおうという身勝手な気持ちから生じる行為なのか。
そのどちらであるにせよ、学校教育では仲間を応援することがあたかも完全な善でもあるかのように、とくに学校行事等においては教育的指導の一環ともされてきたようだ。
さらには、応援指導部(いわゆる応援団)なるものが現われて、猛暑のなかで変形学ランを着たり巨大な応援旗を掲げたりして、独特な文化的象徴を用いながら集団的な応援活動を統制したりしてきたのである。
この独特な文化的象徴を用いた集合的な応援の統制方法にこそ、他の国や地域の文化にはみられない日本の文化的独自性があらわれているのであるが、私を含めた一般的な日本人は通常のこととしてとくに気にすることもなくスルーしてきたのである。
もちろん他の国々でも、チアガールがいたり伝統的な大学のカレッジ・カラーを掲げながら集団的な応援活動を統制するリーダーが存在してきたことは事実である。近年では、北朝鮮の美女応援集団のなかにその応援を統制する美女リーダーの姿がテレビのニュースで報道されていた記憶のある人もいるだろう。
しかし、日本の伝統的な応援指導部のリーダーがそれらの多文化の応援指導のリーダーたちとは決定的に異なる部分がある。
それは、彼らは集団的な応援をリードするための技法をただドライに練習・習得してその役割を果たしているのではなく、応援の対象である選手の勝敗に向けた日々の練習の努力を凌駕する勢いのテンションを伴った鍛錬を自らに課しているという点である。
つまり、身を削るような理不尽な修行の実践ともいえる訓練を行うことにより自己犠牲的な精神を養い、それにより昇華された気合と気迫が、集団的な応援の力を高めることにつながる(はずだ)という歴史・文化的な思想に基づいている。
その意味において、極めて日本的な文化が学校教育の領域において表象されているともいえる。このような精神文化のあり方とブラック企業やブラックな政治風土の形成とが無関係ではないと誰かいえるだろうか。

 

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金塚 基(Motoi Kanatsuka)
プロフィール
専門:教育学・生涯教育
略歴:早稲田大学教育学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(教育学)。帝京大学福祉・保育専門学校専任講師などを経て、東京未来大学モチベーション行動科学部講師~現在に至る。