第28回 コミュニケーションが大切

投稿者:杉本 雅彦

最近、大学生の授業への取り組み方を観察していると、教室で教師が語る内容を、出来るだけ手間を掛けずに効率良く暗記し、試験の時にどれだけ良い点をとるかに焦点が当てられているように思えます。これはまじめな学生であるほど、その傾向が強く、そのため学習態度が無意識のうちに極めて受動的になり、学習への知的感動の多くが失われているのではないかと危惧しております。

 

本来、大学は学生にとって自由な場であると思います。ある事柄をいろいろな角度から見て、そこで発見したことや感じたことなどを自由に表現することが学生には許されております。そのためには、自ら考える力をより向上させることが必要であり、考える対象について、より興味や関心を持ち、自分とその対象との関係について絶えず追求してゆくという能動的な姿勢が必要になると思います。この姿勢で考え抜いて行くことが、学生自身がこれからの長い人生で、いろいろなことを学ぶ上での基礎学力を形成して行くのだと思います。

 

学生達の学習に対する知的好奇心を少しでも喚起するために、私は声をかけてくれるすべての学生をいつでも受け入れたいと思い努力をしています。例えば、何度同じ質問をされても、何度でも答えるようにしたいと思っています。学生が質問をするのは、自身の分かりたい、理解したいという能動的な姿勢の表れであり、たとえ遅々とした歩みであっても、確実に前進していると考えられるからです。もちろん、日々の授業においても同様なことであり、学生が理解し易いように丁寧な解説を心掛けようとすることは当然です。

 

 

 

さて、大学の授業について考えてみると、これはコミュニケーションの一つでもあると考えられます。コミュニケーションの単純なモデルでは、「情報の伝達」が基本となります。たとえば、「三幸フェスティバルが11月の第2週に行われるので、その週の授業が休講になる」というのは、関係者にとっては重要な情報となります。これは、その大学の関係者にとっては非常に重要な情報であるが、他の大学や一般社会人にとってはほとんど重要なことではありません。このように、情報とは特定の人や特定の状況にのみ意味を持ってくるものであり、それ以外の人や場合には単なる雑音としか受け取られない場合が少なくありません。

 

このような場合の意味の理解について比較的単純にして考えてみましょう。あらかじめ情報の受け手の頭の中に多数の情報の引き出し(記憶場所)があって、そのうちのいくつかが空白になっている状況で、空白になった引き出しにそこに適した情報をはめ込むことが「理解」となります。全く別の間違った場所に入ってしまうことが「誤解」であり、引き出しに入らずに捨てられてしまうのが「理解していない」ことになります。どこの引き出しに入れるべきか迷っている状況も「理解していない」ということになるでしょう。

 

もう少し高度な情報のやり取りの場合には、新しく引き出しが作られる場合と、厳密には発信者の意図した場所とはやや違った引き出しに情報が置かれる場合もあります。前者の場合には、情報としてあるデータを受け取っただけではなく、そのやり取りのプロセスにおいて記憶している構造や考え方そのものが新たに作られたわけで、こういう場合が「分かった」と実感する場合であろうかと思います。後者の場合は、とりあえず受け手のもつ引き出し内に何とか納めようとすることであり、これは「一応は分かった」とか「分かったつもり」ということでしょう。

 

また、送り手側の複数の引き出しを含めた考え方や思い込みで情報を受け取ってしまうことがあります。この場合には、一応その構造全体を受け手は取り込むが、自分のものとは完全にはなっていないので、「しっくりこない」とか「納得はできない」ということになります。これは、時間が経ち、さまざまな経験を踏むことにより、借り物のデータ構造(考え方)とその中のデータが自分のものとなることもあります。

 

人が送られてきたメッセージを理解する場合、多くの場合は、送り手の理解と全く同一ではなく、むしろやや違った理解をしてしまうことが少なくありません。その人なりに辻褄のあった理解をしようとすると、送り手と同一でない方がむしろ自然でもあります。受け手が理解した内容を送り手に投げ返すと、時には論争にまで発展することもありますが、多くの場合、送り手の方は受け手から返ってきた新しい解釈や新しい理解を受け取って、さらにより深い理解へと発展することも少なくありません。完全な誤解は別として、このような受け手の「ずれた」解釈が新しい創造性を生み出す、といっても過言ではないのでしょう。つまり厳密にいうと、もし送り手と受け手がまったく同じ解釈や同じ理解をしたとすると、受け手から返ってくる言葉は同語反復か、単なる言い替えに過ぎず、ごくつまらないものになってしまうわけです。

 

 

このように人にとってコミュニケーションがいかに重要であるか、また授業においても、より深い理解をするためにコミュニケーションが大切なことであることかがわかります。

 

ぜひ学生の皆さんは、大学の学生としての自由な場を活用して、多くの議論や質問をすることにより理解を深めてください。

 

 

sugimoto masahiko
杉本 雅彦 (Masahiko Sugimoto)
プロフィール
信州大学大学院工学研究科博士後期課程単位取得退学、博士(工学)。専門はヒューマンインタフェース。
学生時代から続けているスキーが趣味なので、昨年までは北海道で暮らしていました。