第33回 人生の岐路に立った時

投稿者:その他

大学時代は、体操競技に明け暮れ授業と練習の繰り返し、ピアノや勉学を朝6時から授業開始までにこなしていました。世界選手権出場を目標に頑張った大学生活でした。世界選手権出場を4年生の時に果たすことができました。卒業しても選手生活を続けることになり、国体やオリンピックをめざして頑張ることにしたのです。しかしながら、交通事故や怪我など予期せぬこともあり、また指導者がいない状況では、思うような練習ができなかったのかもしれません。オリンピック候補選手ではありましたが、わずかの差で代表に入ることができませんでした。そんな時、フランスに行くことになったのです。

 

ボンジュール!コマンタレブー!この言葉はフランス語です。この言葉だけでフランスに渡りました。準備期間がなかったのです。突然の話でしたが、フランスへ行くことを即決しました。日本体育協会へ招聘状が来て、恩師が声をかけてくださいました。当時体操競技の公用語はフランス語、英語、ドイツ語でした。国際体操協会の女子の審判部長がフランス人ビランシェ女史であったことも私の背中を強く押したように思います。ビランシェ女史と同じ国に行けるという喜びがありました。また、体操競技の審判員として今後は必要になると考え、公用語のひとつであるフランス語によって、体操協会に貢献できるとの思いもありました。不安な気持ちを抱えながら、アエロフロートの飛行機でアンカレッジ経由でフランスの首都パリに向かいました。オールリー空港に着き迎えてくれたのは、ムーター氏でした。フランス滞在約2年間お世話になった方です。家族の一員として迎えてくれました。言葉が通じませんでしたので、お互い英語の辞書を片手に筆記で会話をいたしました。到着して1週間はホテルでしたが、日本と異なり、間接照明で暗いイメージのホテルでした。その後アパートに移り9階(フランスでは8階という)の部屋でした。大家さんは80歳くらいのご婦人で、お米で作ったお菓子を歓迎の表現として用意してくださいました。なんとアパートにはエレベーターもエスカレーターもなかったのです。大家さんは9階までの階段を毎日上り下りしているのです。背筋も伸び素敵なご婦人でした。フランスの異文化に触れ、私の世界は一気に広がり、驚き、感動、戸惑いが一日一日を充実させてくれました。一歩踏み出したことによって、仏文化、スポーツ先進国のシステム、指導方法などを多く学ぶことができ、わくわくした2年間でした。勇気をもって一歩を踏み出したことが、今に大きく影響しています。

 

皆さんも一歩を踏み出す勇気をもってください。あなたには無限の可能性があります。あなたの素敵な可能性が開花するでしょう。

 

 

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益井 洋子(Yoko Masui)
プロフィール
研究分野はスポーツやダンス。体育社会学や人間の発達における運動学を研究しています。趣味は社交ダンス。パフォーマンスの魅力に関心があります。親子サークルを立ち上げ活動中。