第2回 「心」を伝えるコミュニケーションを目指して

投稿者:磯 友輝子

私の研究テーマは対人関係の円滑化をもたらすコミュニケーションです。人はコミュニケーションなしには生きていけませんから、極端な言い方をすれば日常生活すべてが研究材料です。そこで、私の日常生活のエピソードからコミュニケーションに関する話をしましょう。先日、出かける前に6か月の息子(そうちゃん)を着替えさせようと、少し離れたところに座っていた夫に頼みごとをした際の会話です。

 

私 「そうちゃんを着替えさせるから、お着替え持ってきてくれる?」
夫 「(洋服を1枚持ってきて手渡しながら)はい。」
私 「やだー、なんで下着とオムツも持って着てくれないの?」
夫 「だったら、下着とオムツもって言ってよ。」
私 「(イライラしながら)もーう、体に汗かいているのを見ればわかるじゃん。
夫 「体の汗なんて、近くじゃないと見えないよ」

 

この些細な口論の1つの原因は「着替え=洋服+下着+オムツ」という私の認識と「着替え=洋服」という夫の解釈が異なることです。コミュニケーションでは、送り手はメッセージを言葉や表情、身振りなどの言葉以外の表現(これをチャネルといいます)を用いて受け手に伝え、受け手はそれを参照してメッセージを読み取ります。このとき、コミュニケーションが誤解なく成立するためには、チャネルの意味づけが互いに共有されていなければなりません。残念ながら夫と私では、「着替え」という言葉への意味づけが異なっていたようです。

 

さて、上述の口論の原因はもう1つあります。チャネルの意味づけが送り手の意図どおりになるには、受け手はメッセージの文脈(コンテクスト)を考慮する必要があります。もし、夫にも息子が汗をかいている様子(=文脈)を知りえたならば、彼にとっても「着替え=洋服+下着+オムツ」となり、口論は起きません。しかし、彼にはその様子は見えず、且つ、その様子が彼にも見えているという思い込みが私にあり、それを「察して」欲しいと思っていたために行き違いが生じてしまったんですね。

 

ところで、なぜ私は勝手に思い込みをしてまったんでしょう?視点が違えば目に入る世界は違うのに、慣れ親しんだ関係だとそのことをついつい忘れてしまいがちです。もちろん、阿吽の呼吸、以心伝心という慣用句のように、関係が深ければすべてを言葉にしなくても伝わることもあります。察し文化、あいまい文化の日本では、むしろ言葉にしないほうが善しとされることもあります。数年前、KY(ケーワイ:「空気が読めないKuuki ga Yomenai」の略)という言葉が流行したのも、空気を読むことがコミュニケーションの前提とされているからなのでしょう。

 

しかし、初対面の人と阿吽の呼吸が取れるでしょうか?文化が異なる人とはどうでしょう?グローバル化、情報化が進む現代では、相手に読み取ってもらうことを期待するばかりではなく、自分自身も高い表現のスキルを身につけておかなければならないのです。そのスキルを持ったうえで慣れ親しんだ人とコミュニケーションができれば、より良好な関係を築けるものと思われます。

 

ただし、そのスキルは、眠っている間に身につくものではありません。コミュニケーション経験という学習をとおして身につきます。したがって、学習の機会を得るために、多くの人とコミュニケーションをしたいという高いモチベーションを持ち、積極的に人と関わりあうことが大切です。高いモチベーションを持って積極的にコミュニケーションをとれば、その関係性は自然と良いものになりやすく、またそのことでさらに、”コミュニケーションをしたい”というモチベーションが高まっていきます。そんなふうに「コミュニケーション⇔モチベーション」という良い循環を作っていくことが、現代に生きる私たちに求められているのではないでしょうか。

 

 

磯友輝子
磯 友輝子 (Yukiko Iso)
プロフィール
大阪大学大学院人間科学研究科助手を経て現職。専門は対人社会心理学。特に対人関係に見られるしぐさや対人関係を良好にするためのスキルに興味を持って研究。趣味の人間観察は研究にも役立っています。共著に「暮らしの中の社会心理学」「幸福を目指す対人社会心理学―対人コミュニケーションと対人関係の科学―」など。