第58回 他者を知る-手話教室のエピソードから-

投稿者:小林 寛子

今から1年と少し前の2015年9月10日。私の住む茨城県で鬼怒川が決壊しました。決壊前後,警戒・避難を呼びかける防災無線の声に,あるスピーチが思い出されました。

 

「災害を告げる放送や消防車両の声に,耳の不自由な先生や友にこの知らせは届いているかと案じられました。」

 

これは,私が大学院時代に通っていた手話教室の修了証書授与式で,代表者が行ったスピーチの一文です。その年も雨が多く,手話教室近辺でも川の増水に警戒するようにとの知らせがありました。その知らせを聞いたときの自分が,聾者に対する一般論としてではなく,実体を持った他者への気遣い・案じる気持ちを抱く自分になっていたことを,このスピーチで気づくことができました。そして,その気持ちは,修了証書授与式から10年以上経った昨年の災害時にも確かに残っていたのです。

 

手話教室と,それ以前大学時代に入っていた手話サークルは,私にたくさんのことを教えてくれました。

「おはよう」の手話は,枕にたとえた握りこぶしをこめかみにあて,それを下ろすことで示す「朝」の手話に,両手の人差し指を向かい合わせて指先を曲げる「挨拶」の手話を続けるといった,1つ1つの手話の成り立ち。

手話と口話はいつも一語一句対応させるのではなく,伝えたい意味を考えて変換するとよい(たとえば,手話付きの楽曲「碧いうさぎ」では,「碧いうさぎ」は「色が青いうさぎ」のことを歌ったものではないので,その意味から「淋しいうさぎ」といったように表すとよい)といった表現技法。

そして,何といっても,先のスピーチの例で述べたような,聾者の方と日常を過ごし,ものごとの感じ方の違いを実感したことです。感じ方の違いは,「聞き取る」といった私にできて聾者の方にできないこともありましたし,反対に,聾者の方だからこそできることもたくさんありました。興味深かったのは飲み会でのこと。20人くらいの席で一番端に座っていた私に,私とは反対側の端に座っていた方が手話で話しかけてきたのです。大学の専攻といった世間話でしたが,驚いたのは遠くに座っていたその方と何の問題もなく会話が成立したこと。考えてみてください。飲み会の席で,その方と私の間には20名近い人がいて,それぞれ会話をしていたのです。口で話そうとしたら,騒がしくて互いの声が聞こえず,会話など成り立たないはずです。それが,どんな雑音も気にならず,声を張り上げることもなく会話ができたのは,とても楽しい経験でした。

 

共に過ごし,コミュニケーションをとる中で知る「他者像」はとても豊かなものです。一般論ではなく,実感に基づいた深い理解が私たちの中に形成されていくのだと思います。

人生は出会いの宝庫です。特に行動範囲の広がる大学時代は,たくさんの人と出会うチャンスにあふれています。皆さんが,自分とは違うクラスメート,大学の違う人,国籍の違う人,障がいのある人ない人,年齢の離れている人,……さまざまな人と真摯に向き合い,理解しあっていけることを願っています。

 

 

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小林 寛子(Hiroko Kobayashi)
プロフィール専門:教育心理学

略歴:東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学後、日本学術振興会特別研究員PDを経て現職。博士(教育学)。学習上の不適応の問題に、個別指導や授業改善を通して取り組んでいる。