第64回 逆カルチャーショック

投稿者:田中 真奈美

高校を卒業後、大学留学をするために渡米し、結局、1985年1月から2007年3月までアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコに22年間住んでいました。今では、私の青春時代を過ごしたサンフランシスコは、第2の故郷です。

アメリカに住むことになり、日本人であることを意識するようになりました。多くの書類に、人種を書く欄があり、「何人ですか?」と聞かれることも多いからでしょう。そんなこともあり、中学校から習っていた茶道を再び習い始め、琴のお稽古も始めました。アメリカに住んでいても、自分は「日本人だ」と思っていたのです。

しかし、やはり長く海外に住むと、変わっていくのでしょうね。在米10年目ぐらいになった時に、子どもの頃から可愛がってくれていた母方の伯父に、「真奈美もすっかりアメリカ人になったね」と言われ、ショックを受けたことを覚えています。そのことがきっかけで、異文化の中でどうパーソナリティやアイデンティティが変化していくのかに興味を覚え、研究対象の一つになりました。また、自分自身の経験から、異文化適応にも関心があり、これも研究対象の一つになりました。

在米22年を経て、日本に戻ることになり、当然逆カルチャーショックは想定し、心得ていたつもりでした。しかし、そう甘くはなかったのです。自分自身の価値観が分からなくなることもありました。仕事の進め方もアメリカと日本では違います。最初の1年間は頭の中に???がいくつも飛んでいました。ある日、同じ頃に仕事のため日本に住む事になった超日本びいきのアメリカ人の友達と食事をし、愚痴を言った時、彼は、「真奈美、仕方がないよ、ここは日本だから。日本式でしないと」と言われ、自分の考え方が、日本とは違ってきていることを痛感しました。しかも、それを教えてくれたのは、アメリカ人だったのです。彼はテキサス生まれの典型的な白人です。今でもその時のことは、忘れられない思い出です。

再び慣れるまでに、3年ぐらいはかかりました。皆さんにとっては、ごく当たり前のことも私にとっては、異文化でした。例を一つ上げると、道を尋ねた時の返事です。多くの日本人が、「○○通りを○○方面に向かって・・・」というように説明してくれます。しかし、○○通りも○○方面も分かりません。アメリカだったら、「次の角を右に曲がって、3ブロック位行くと…」というように説明してくれます。そうなのです。多くの人には、私は日本人に見える(当然?)ので、私が分からないことが分からないのです。時々は、「この人大丈夫?」というような目で見られることもありました。そこで、私も考えました。道を聞くときは、日系人のふりをして、カタコトの日本語を使ったり、英語で話したりしました。そしたら、なんと、皆さん、とても親切に教えてくれました。

といろいろと、工夫をしながら、日本での生活も10年目となりました。今では、自分の中に日本とアメリカがあることを素直に受け入れられるようになりました。そして、年に1度は、サンフランシスコに帰省し、旧友に会い、自分の心のメンテナンスをし、エネルギーを充電しています。

東京オリンピックに向けて、日本を訪れる外国人も増加していきます。みなさんも見た目だけで判断せず、困っている人がいたら、誰にでも親切に声をかけてあげてくださいね。

 

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田中 真奈美(Manami Tanaka)
プロフィール
専門:多文化教育
略歴:University of San Francisco 教育学部修士課程教育カウンセリング専攻 終了
University of San Francisco 教育学部博士課程国際・多文化教育学専攻 終了