第71回 視覚と日常

投稿者:岩崎 智史

 ヒトは過去と現在の間に生きている。

 などというと、哲学の話のように思えるが、人間の目の話であり、知覚心理学や認知心理学で扱う領域の話である。普段、我々はなにげなくモノを見ているが、モノを見るという行為には3つの要因 ―― 光源(太陽の光や蛍光灯の明かりといった光)、見る対象、感覚受容器(目)の3つ―― が必要となる。ある物体――例えばりんご――を見るには、その物体に光があたり、その反射光が目に映り、視覚体験が生じることになる。しかしながら、目から取り入れた視覚情報は、視神経を経由して、視覚野へ送られる。そして、この視覚野で視覚情報の処理(復元や統合)が進み、最終的に“見える”状態になる。そのため、目から入った視覚情報は脳内で処理を進めるため、ごくわずかな時間ではあるが時間が必要となる。そのため、実際の物体と我々が見ている物体との時間には、わずかではあるがズレが生じることになる。しかしながら、我々の見ているという認識は今現在そのものを見ていると認識していることになる。このような時間軸の補正がどのように行われているか不明であるが、人間の見るという行為は不明点がまだまだ多いといえる。

 さて、ヒトの見るという、ごくごく普通の行為も、突き詰めると不思議なことが多いが、日常場面に目を移そう。

 例えば、スーパーで買った美味しそうなオクラを家に帰り、緑色のネットから取り出してみたら、思ったよりも色つやが悪く、他の商品にすれば良かったと思ったことはないだろうか。または、デパートで綺麗な色だと思って買って帰った服が、家で着てみたら思った色味ではなく、何やら失敗した気分になった、なんてことはないだろうか。

 一つ目の例は、色の同化現象によるものであるし、二つ目の例は、色の演色性によるものである。他にも色の対比現象(例えば赤身の刺身のそばに緑の大葉が添えられると、刺身の赤身が鮮やかに感じられ、美味しそうに映る)なんてものもある。また、衣服の着こなしやメイクもヒトのモノの見方のクセを利用したものとも言える。このように、日常場面においても、我々は我々自身の目に度々騙されていると言える。これは、ヒトの目が客観的・機械的にモノを見ているのではなく、環境や状況に影響を受けるためである。

 このように見られる側と見る側の要因を知ることは、より適切な表現方法やより良い商品の開発に有効な知見が得られるといえる。

 

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岩﨑 智史(Satoshi Iwasaki)

プロフィール

専門:認知心理学
略歴:立正大学大学院心理学研究科博士後期課程修了。東京未来大学 こども心理学部助手、同助教を経て現在、東京未来大学モチベーション行動科学部講師。