第10回 「政治の話」になんか関心を持てませんか?

投稿者:田澤 佳昭

あなたは普段、誰かと「政治」について話すことはありますか?自分自身、政治になんて興味がないから話そうとは思わないという人がいれば、自分が話そうと思うことはあるのだけれど、他の人たちが興味なさそうなので、話さないという人もいるかもしれません。 では、「自分(あるいは他の人たち)が、なぜ政治に関心を持てないのか?」と考えてみたことはありますか?ひょっとして、皆が政治に関心をもってしまうと不都合だと考える誰かが、皆さんの心理を操って、政治に関心を持たないようにしているのではないか?などと疑ってみたことはありませんか? 今回は、「政治の話」にモチベーションを持てない理由について、考えてみましょう!

 

現代の話をする前に、まずは江戸時代にさかのぼって、考えてみましょう。この時代、庶民は「政治」に関心を持っていたのでしょうか? 江戸時代には、武家が政治を行なう権力を握っていました。ですから、一般の庶民が、武家の政治に意見を述べることなどは、身分違いの許されないことでした。庶民が政治について考えたところで、それこそ「飯のタネ」にもなりません。武家が政権を握る以前には長らく公家が政治を行なっていましたから、庶民が政治に関心をもつこと自体、想像もできなかったかもしれません。このようなタイプの「政治的無関心」をアメリカの社会学者D.リースマンは「伝統型無関心」と呼んでいます。これは現代の「政治的無関心」とは別のようですね。

 

現代の日本では、二十歳になれば、教育、信仰、人種、性別や財産によらず、選挙権をもてるようになりました。日本国民はひとしく、一票を投じる機会、つまり政治に参加する機会を保障されているのです。にもかかわらず、政治に無関心な人たちは少なくありません。このような人たちのタイプは「現代型無関心」と呼ばれます。

 

江戸時代の一般の人々に比べれば、ずっと恵まれているのに、なぜ政治的無関心は現代でもみられるのでしょう?「自分は江戸時代に生きていたわけではないし、比べようもないから、何が恵まれているのか実感がありません」という声も聞こえそうですね。では、次の3つの選択肢の中に当てはまるものはあるでしょうか?政治に関心が無いという人であれば、自分がどれに当てはまるか、考えてみてください。また、自分は政治に関心があるという人も、他の人たちは、なぜ関心をもてないでいるのか考えてみてください。
(1) 仕事や遊び、恋愛などに、もっと大きな関心があって、政治への関心が低いから
(2) 政治不信あるいは、自分が何をしても政治は変わらないと無力感を感じているから
(3) 政治を有害なもの、無用のものなどと考え、政治の存在そのものを否定しているから

 

(1)と答えた人が多いのでしょうか?「そもそも、まじめな話は苦手なんで」と言う人がいたとすれば、これも(1)に当てはまるでしょう。アメリカの政治学者H.ラスウェルは、(1)を無政治的無関心、(2)を脱政治的無関心、(3)を反政治的無関心と呼んで、政治的無関心を、その原因から3つに分類しています。

 

「政治の話」になんか関心を持てませんか?

 

皆が政治に満足していて、政治的無関心でいられるような状態であれば、それは幸せなことかもしれません。でも、政治は、自分が何かしなくても、自然とうまくまわっていくと考えて、距離を置いているだけであれば、要注意です。そのような状態で、自分のわがままだけを通そうとする悪い独裁者が現れてきて、それを見逃してしまったら、どうなるでしょうか?今は憲法で保障されている我々の「基本的人権」をはじめ、あらゆる権利や自由が、奪われてしまうことになりかねません。

 

いざという時に適切な行動をするためには事前の準備が必要です。「まだ、選挙の投票権もないし、二十歳になってから考えます」という人もいるでしょう。ですが、危機に直面してから、準備を始めても手遅れなのです。日本国憲法第12条でも「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」とあります。自分が政治家になろうが、なるまいが、また、政治に興味があろうが、なかろうが、年齢なども関係ありません。自分たちの自由や権利を、このまま持ち続けたいのであれば、国民一人ひとりが政治について学び、政治的無関心が広がらないように、普段から政治に目を向けておくことも重要なのです。

 

田澤佳昭
田澤 佳昭 (Yoshiaki Tazawa)
プロフィール
専門は国際政治。とくに尖閣諸島問題をはじめ、東シナ海・南シナ海をめぐる国際紛争の研究を行う。休日は、息子と過ごす時間が一番楽しいですね。童心にかえって一緒に遊んでいます。