第82回 大量の死刑執行について思うこと  〜『A』というエスノグラフィ

投稿者:森下 一成

 エスノグラフィは、簡単に言うと、対象に密着してその全容を記録していく研究手法の1つです。もしかしたら、エスノグラフィというよりも「ルポ」あるいは「ルポルタージュ」という呼び方の方が一般的かもしれませんね。というのも、本多勝一氏の『カナダエスキモー』や鎌田慧氏の『自動車絶望工場』、近年では横田増生氏の『ユニクロ潜入一年』などの著作のように、どちらかというと秀逸なルポ・ライターの手によって蓄積された成果が多いからです。エスノグラフィは、基本的に1人の観察者の視点によって対象を記述していくので、客観性をどのように保つかという難しさがあり、論文執筆を主戦場とする研究者ではない方が扱いやすいということなのかもしれません。
 このように書くとエスノグラフィという手法はあたかも著者の主観に凝り固まった、偏りのあるものととらえられてしまうかもしれませんが、もちろんそんなことはありません。特に人びとがある事象について一定のステレオタイプを有するとき、それと異なった姿を描き出すエスノグラフィは既成概念を破壊するインパクトを持ちます。そのインパクトによって人びとの認識があらたまったり、バランスを回復するという効果を期待することも。

 

 最近、地下鉄サリン事件など、ある宗教団体が関与した事件で死刑判決を受けた人びとの刑が続けて執行されました。1ヶ月で十数人におよび、死刑制度の是非なども含めて、世界中の人々の耳目を集めたと述べても過言ではありません。

 

 森達也監督の映画作品『A』は、その宗教団体・信者を対象とするひとつのエスノグラフィといえるでしょう。森氏自身とカメラが教団の内側に入りこみ、内側から外側を見るスタイルで一貫しています(参与観察)。マスメディアの報道では外側からの映像に終始してきたため、『A』で森氏がとらえた信者像は初めて等身大のそれという印象を受けました。「ネタバレ」になってしまうので詳しくは書きませんが、『A』で描かれているのは、悪魔ではなく、まぎれもなく人でした。 その続編『A2』では、その宗教団体の拠点での信者とコミュニティの住民との決して敵対的ではない交流の様子も描かれています。

 

 現在、後継の団体がつくられ、その拠点が置かれているコミュニティでは拠点の存在そのものが問題視されています。あれだけの事件を起こしたことや、被害に遭われた方々やご遺族のご心情をふまえれば当然でもありましょう。そこにはぬぐいがたい「私たち」と「やつら」の関係があるわけですが、この摩擦をどのようにマネジメントしていくのか、団体を出ていかせるだけでは済ますことのできないコミュニティの課題がここにはあります。その思考のために『A』というひとつのエスノグラフィは何らかの示唆を与えてくれるような気がします。

 

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森下 一成(Kazunari Morishita)
プロフィール
専門:公共空間論、まちづくり
略歴:早稲田大学大学院政治学研究科・理工学研究科修了後、琉球大学大学院理工学研究科修了(博士・工学)。学生にまちづくりを経験させてキャリア開発を促す指導に注力している。