皆さんは、学校を参観したことがありますか。お子さんが通っている方は、授業参観や運動会などの行事を観に行ったことがあるでしょう。そうでない方は、なかなか学校を観る機会がないかもしれません。
 近年、学校を地域に開こうと、多くの学校で「学校公開」が実施されています。保護者だけでなく、地域、一般の方々にも公開され、教育の現場を参観できるようになっています。そのねらいは、以下の3点が考えられます。
①学校教育への理解を促す
②学校教育への協力を募る
③「地域の学校」としての認知度を高める
 もし、お住まいの地域で学校公開が実施されるならば、参観することをお勧めします。きっと、さまざまな発見があることでしょう。参観のポイントがいくつかあるので、挙げてみます。
①掲示物を観る…その学校がどんなことに力を入れているのか、教室や廊下の掲示物から知ることが出来ます。特に、校長室や職員室の壁にある掲示物に注目してみてください。その学校の特色がわかりやすく示されているでしょう。
②先生方を観る…授業のはじめ、どのようにして子どもたちの興味を喚起しているのか、悩んでいる子どもへの声かけ、クラスみんなで学び合う雰囲気づくりなどなど。きっと、先生方の「匠の技」を堪能できます。途中で抜けるのではなく、1時間まるまる参観することを推奨します。
③子どもたちを観る…そして何と言っても、子どもたちの様子、表情、かかわり合いを観てください!子どもたちの生き生きとした姿を感じることが出来れば、その学校は間違いなく「良い学校」ですよ。
 
 昨今、子どもを取り巻く悲しい事件が後を絶ちません。また、学校を批判する論調も多くあります。ぜひ、実際に観て、自分自身で考えてみてください。地域の子どもたちのために、何かできることが見つかるかもしれません。子どもたちを育てるはじめの一歩を、私たちと共に踏み出しましょう。
※「学校公開」は、市区町村によって目的や実施方法が異なります。ホームページなどで確認し、所定の手続きを経て参観するようにしてください。
 

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小林 祐一(Yuichi Kobayashi )
プロフィール
専門:教師教育学、教育方法、授業研究/略歴:千葉大学大学院修士課程修了、東京都公立小学校教諭、東京学芸大学教職大学院修了、市区教育委員会指導主事、沖縄女子短期大学講師を経て、2018年4月より現職。

 先日、台風19号が去るのを待ってから、名古屋で行われている学会に参加してきました。今回の発表の内容は、家庭科の中の環境に焦点を当てたものでした。「家庭科で環境?」皆さんは、家庭科というと調理実習や被服実習をイメージすると思いますが、家庭科の4つの学習内容の1つに「消費生活・環境」という内容もあるんですよ。家庭科で取り扱う環境は幅広く、子どもが育つ環境、男女が共同しながら働ける環境、住みやすい環境など人間の福祉を追求した身近なものから地球環境のように大規模な課題まで出てきます。
 ところで、2020年以降の温室効果ガス削減に向けた日本の約束草案では、二酸化炭素の排出量については、2013年度比マイナス25.0%を目指しています。家庭部門だけで見ると約40%削減することが示されているのです。私たちの生活でもCO2削減やエコを意識しなければなりませんね。
 CO2削減、エコ、というと、どんなことを考えますか?節電や節水を思い浮かべる人も多いでしょうが、40%というかなり大きな削減です。毎日しているスマホの充電を半分にできますか?お風呂はどうでしょう?なかなかそれだけでは難しそうです。使わないだけの方法には限りがありますね。
それでは私たちは一体どうすれば良いのでしょう?環境を守る方法の一つにグリーン・コンシューマーになるのはどうでしょう。環境に配慮し、商品やサービスを購入する消費者のことです。節電や節水のように我慢するだけでなく、買い物(消費)するときに配慮することでCO2削減に貢献できます。以下にグリーン・コンシューマー全国ネットワーク提唱の10原則を挙げますので、ぜひ皆さんも意識してくださいね。
 
http://www.kankyoshimin.org/modules/activity/index.php?content_id=57
 

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小林 久美(Kumi Kobayashi)

プロフィール

専門:家庭科教育
略歴:福岡教育大学大学院教育学研究科家政教育専攻修士課程終了(2002)。九州女子短期大学家政科助手、九州女子大学家政学部助手、九州女子大学人間科学部講師を経て現職。

 先月(9/29)、私はゼミや天文サークルの学生たちとともに、足立区の未来創造館・ギャラクシティで「プラネタリウム親子バリアフリーコンサート」を開催しました。プラネタリウムという暗い空間で星を見ながら、ピアノとフルートの奏者の演奏でプロ歌手の歌を、障がい児、多胎児、乳幼児を持つお子さんたちとその保護者の方に楽しんで頂きました。コンサートの開催は、今回が3回目ですが、2年ぶりの開催だったため、学生たちの多くが、初めての体験でした。コンサート後のアンケートでは9割以上の方から、「楽しかった!」と回答をいただきました。
 先週、私の担当科目である「障害者・障害児心理学」と「発達障害学」の授業で内閣府の作成した資料を元に「障害者差別解消法」について講義をしました。この法律は、全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進するというものです。教員として、学生たちに自分の伝えたいことを講義させてもらえる喜びを改めて感じました。
 10/19(土)に学生300人とともに「国立障害者リハビリテーションセンター見学」の校外学習へ出かける予定です。病院や研究所もあるトップレベルの国家機関で学べる貴重な機会です。それらの見学は大学では決してできない経験をその日はたっぷり体験してくる予定です。
 2020年には、オリンピック・パラリンピックの開催で世界中から障害者の方が日本にやってきます。一人ひとりが、やさしい気持ちで障害者の方と接することで、社会は心豊かになっていくでしょう。
 今後、北千住の「和の芸術祭」、「あだちサンタウォーク」などに100人以上の学生たちがボランティアとして参加します。今年も未来大の学生たちとともに、行動を起こしていきたいと思います。
 
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小谷 博子(Hiroko Kotani)
プロフィール
専門:育児工学
略歴:東京大学大学院医学系研究科博士課程修了、博士(医学)。子育て中の親の脳機能研究に従事。行政と協同で子育てイベントを多数開催。著書は「出産で女性は賢くなる」(ごま書房)など多数。

 私はいじめ問題などの教育問題を研究しています。といっても、「こうしたらいじめが学校からなくなります」といった解決方法の提案を目指しているわけではありません。むしろ、私の関心は、問題の当事者(児童生徒、教師、保護者など)が、いじめと言われている状況をどのように認識し、理解しているかを当事者の「語り」から明らかにすることにあります。
 いじめが問題になるとき、いじめが「ある」ことを前提に議論が進んでいきます。この前提は、いじめに関して、人それぞれの認識の違いが「あってはならない」とする考えを後押しする原動力となってきました。2013年には「いじめ防止対策推進法」が制定され、2018年から教科化された道徳の教科書には、いじめをテーマとする教材が盛り込まれました(詳しくは、『悩めるあなたの道徳教育読本』(神代健彦・藤谷秀編著,はるか書房)を見てください)。こうした社会の流れの中で、問題の当事者である子どもや学校関係者が、「いじめとは認識していなかった」と言うことはほとんど不可能になっています。
 しかし、同じ出来事であっても、その出来事の認識の仕方は人によって異なっている可能性があります。それにもかかわらず、この発言は当事者の無責任な発言と捉えられ、非難の矛先となっています。一度、いじめが問題化すると、それ以前の当事者の認識が顧みられることなく、問題の解決が図られていくことこそが問題なのではないか。私が、当事者の「語り」に着目する理由は、ここにあります。当事者の主観的な「語り」を聞くことで、問題の当事者となった人たちの認識にも目を向けていく必要があると私は考えています。
 これはいじめ問題に限った話ではありません。保育者や教師は、子どもに関する「語り」を豊かに紡ぎ出す仕事でもあります。そうした「語り」を交流し合いながら、「今、ここにある子どもの姿」を探っていくことが保育者や教師の醍醐味でもあり、専門性でもあります。しかし、その語り合いの過程でさえも社会的な決まりごとや立場の違いから生じる力関係と無関係ではないことに自覚的であることも保育者や教師には必要です。いじめ問題であれ、子どものことであれ、いかにして立場や考え方の異なる当事者間で合意形成を作っていくかが問題の解決を目指すうえで重要であると考えています。学生には、社会の現状と仕組みを視野に入れたうえで、自分の意見を保育や教育の場でいかに他者に伝え、実現していくかを考え続けられる人になってほしいと思っています。
 
 

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越川 葉子(Yoko Koshikawa)

プロフィール

専門:教育社会学、教育学
略歴:立教大学大学院文学研究科教育学専攻博士課程後期課程単位取得退学。立教大学文学部教育学科助手、秋草学園短期大学地域保育学科講師、准教授を経て現職。

 保育の場は、子どもと保育者が共に生きている場、です。子どもの傍らには必ず保育者が存在します。
 私は、巡回保育相談員として、保育の場に訪ねる機会をたくさん頂いています。子どもの姿から、保育者の姿から、子どもと保育者の姿から、たくさんのことを学ばせていただいています。
 
 ある日、3歳児クラスの様子を見せていただいていた時、子どもたちは保育者からの誘いかけで、椅子取りゲームをすることになりました。クラスのみんなで椅子取りゲームをしたのは2回目だった、とのことで、子どもたちも保育者も確認をしながらやっていました。途中、ある女の子が椅子に座ることができず、泣き出してしまいました。「もう、やらない」と言ってその場を離れ、少しすると、廊下に続く扉を開けようとしながら、「ママがいいー」と泣いていました。この場合、「ママがいいー」という言葉には、どのような意味があったのでしょうか。
 
  ママに会いたくなった、のでしょうか。
  ママがいれば、泣かずにいられたのでしょうか。
 
 子どもの傍らにいる保育者が、女の子の「ママがいいー」という言葉の意味をどのように読み取るか(すなわち、どのように理解するか)、そしてその理解に基づいてどのようにかかわるのか。これは、女の子にとって、とても大事なことです。
 
 “日本のフレーベル”、“日本の幼児教育の父”と言われている、倉橋惣三さんは著書の中で“うれしい先生”という表現をしています。
 子どもの“心もち”にしっかり寄り添い、子どもにとって、“うれしい先生”になるためには、一人ひとりの子どもを理解したいと願い、丁寧に保育をすること、そして丁寧に保育を振り返ることが必要でしょう。
 
 悲しいとき、具体的な何かをしてくれる保育者/友達の存在が必ずしも必要ではなく、その心もちに共感してくれる他者がいて、その存在に励まされ、自分自身で気持ちを立て直すことも、共に生きる場ではたくさん経験しながら育っていきます。
 
 「子どもの傍らに在る」とはどういうことか、子どもにとって“うれしい先生”とはどのような存在なのか、その意味を、一人ひとりがしっかり考え、保育者になっていってほしいと願っています。
 
 
廊下で
 泣いている子がある。涙は拭いてやる。泣いてはいけないという。なぜ泣くのと尋ねる。弱虫ねえという。……随分いろいろのことはいいもし、してやりもするが、ただ一つしてやらないことがある。泣かずにいられない心もちへの共感である。
 お世話になる先生、お手数をかける先生、それは有り難い先生である。しかし有り難い先生よりも、もっとほしいのはうれしい先生である。そのうれしい先生はその時々の心もちに共感してくれる先生である。
 
 泣いている子を取り囲んで、子たちが立っている。何にもしない。何にもいわない。たださもさも悲しそうな顔をして、友だちの泣いている顔を見ている。なかには何だかわけも分からず、自分も泣きそうになっている子さえいる。

 
『育ての心』(倉橋惣三)より

 
 

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金 瑛珠(Youngjoo Kim)

プロフィール
専門:保育学
略歴:大妻女子大学大学院家政学研究科児童学専攻修士課程修了後、教育嘱託員として公立幼稚園で勤務。心理相談員、千葉明徳短期大学准教授を経て、現職。保育者養成の傍らで巡回保育相談を行っている。

 幼稚園や保育所の子どもたちは、いっぱい遊びます。その遊びは、子どもにとっては感動する喜びを感じる体験であったり、新しい発見や学びを得るものであったり、様々な意味を持ちます。幼稚園や保育所の先生たちは、その遊びがより充実したものになるよう、いろいろと考えを巡らせます。また考えるだけでなく、同時にいろいろと試行、実験も行います。これを「教材研究」といいます。
 さて、私は大学で造形表現分野の指導法や幼稚園教育実習を担当しています。指導法では演習があればその内容は事前に「教材研究」します。しっかりと教材研究をしていないと、用意が不足したり、時間内に大切なことをすべて伝えることができなくなったりしてしまいます。そして時には、一般の親子などを対象にワークショップを開いたりしています。このワークショップも行う内容を事前に研究しておきます。必要な時間や材料などの見積もり、難易度の確認など、しっかりと研究しておくことが準備には重要です。授業でもワークショップでも、「教材研究」は成功の秘訣です。
 教材研究は、失敗と発見の体験でもあります。最近、面白さを感じたものの1つは、宝石石鹸作りです。一般的には食紅を使ってグリセリン石鹸を着色しますが、この着色に発見がありました。粉状食紅は、だまになってきれいに溶けません。なんとか溶かしきってみると、優しいきれいな色の石鹸にはなります。ただ、溶かすのはとても大変です。そこで、液体食紅に変えてみたところ、きれいに混ざり、しかも簡単です。しかし、色によっては退色が早く、1週間ほどでまったく違う色に変わって見えてしまいます。過程も結果も、かなり違いがあることを発見しました。このような発見の楽しさに、毎夜(いろいろな校務を終えた後に教材研究をするので、たいてい日没後の出来事)、にやにやしながら溶けたグリセリンをかき混ぜていました。
 先生の生活の目立たないところに「教材研究」はありますが、とても大切なものです。そして、それには面白さがたくさん隠れています。
 
 

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木内 菜保子(Naoko Kiuchi)
プロフィール
専門:幼児教育
略歴:岡山大学大学院教育学研究科学校教育専攻修了後、中国短期大学、川崎医療短期大学、関西福祉大学の非常勤講師を務め、2006年中国学園大学子ども学部専任講師、2010年同大学准教授を経て、2011年より現職。

 私は今、公立小学校の日本語教室で「切り抜き新聞」という実験的なNIE授業を実施しています。NIE((Newspaper in Education:教育に新聞を)とは、新聞を教材として取り入れた教育活動をいいます。日本語の新聞を使って、日本に来て平仮名がやっと覚えられたレベルの児童に「切り抜き新聞」をやってみようというのが、私達のプロジェクトです。
 3年前、群馬県伊勢崎市の公立小学校にこのプランを持ちかけたとき、日本語教室には新聞は置いてありませんでした。新聞が日本語指導に役立つとは、想像していなかったのです。
 初めて授業を行った日、校長先生から、子どもたちがこんなに関心を持つとは思わなかった、とその教育価値を認めるコメントを貰いました。そして、以後継続して年に4回、低・中・高学年に分けてNIE授業を行えることになりました。
 日本語教室で「切り抜き新聞」を実施すると、国語の授業で実施するのとは、ちょっと趣の違うことが起こります。今年も5月31日、同校を訪問し、今年最初の日本語教室NIEを行いました。2時間目の授業が終わったときのことです。同行して下さっていた本学の所澤潤教授が、「囲む」の指導場面がよかったというのです。
 はて? 授業者であった私は、何がよかったのか、ぴんと来ませんでした。
 授業の時、作業の手順を黒板に書きました。こんな手順です。①探す、②囲む、③切り抜く、④貼る、⑤感想を書く(日本語、自分の国の言葉)。
②の説明をした時、子どもたちには、「囲む」の意味がしっかり伝わらなかったようで、私が一人の子のそばに行って指導をしたのです。
 その場面を撮影して、文字化して下さった本学の佐藤久惠非常勤講師の記録を読んで、ようやく私も気付きました。
 
 T:〔新聞を広げて、記事を〕見つけました。先生これがいいと思う。見つけたらどうするんだっけ?
 P:ええと、切って。
 T:まだ早い、まだ早い。みつけたら、囲む。囲む。
 P:「囲む」、わかんない。
 
 その児童がわかっていない様子なので、私は5人の子どのたちのところに座席を移動して、こんな風に言っていたのです。
 
T:囲むってね、記事ってどこからどこまでかなあ。
 
 私は、「囲む」がわからないと言った児童の席に行って、目の前で、マーカーでゆっくり記事を囲んでみせたのです。
 
 T:ここから、こう来て、ここも記事の続きだよ。こうだなあ、こうだなあ。はい、「囲みました」。はい、「囲んだ」。「囲んだ」ね。
 T:言ってみよう。「囲む」、はい。
 P:囲む。
 T:記事を「探しました」。「囲みました」。次で切るんです。
 P:はい。
 
 「ここは、まさに直観教授。ぎゅうっ、ぎゅうっと書いて見せたから子どもによく伝わった」とは佐藤先生の言葉です。
 私が、やって見せて、言葉の意味を目に見える形で学ばせたのがよかった、ということなのでした。それにしても、それが、「ぎゅうっ、ぎゅうっと」と見えていたとは。
 国語教育ではこういうことを無意識に自然にやっているのかも知れません。しかし、それを日本語教育では意図的にすべきなのだ、と今回気付かされました。つまり動作で言葉の意味を教えることが、国語教育よりもはるかに重要なのです。
 
 ここまで解明して、私は思い出しました。所澤教授が「囲むが、囲んだになっていたけどね。でも、指導としてはよかった」とも仰っていたのです。
 「囲む」「囲んだ」「囲みました」。私は使い分けていました。それをどう教えるのか。
 授業記録を確認することで、自分の授業の新たな理解が生まれ、新たな問いが生まれます。私は、その違いをどう教え分けるか、という課題を貰っていたことに気づきました。
 
 

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神部 秀一(Shuichi Kanbe)

プロフィール

専門:国語科教育
略歴:群馬大学大学院教育学研究科修士課程修了。群馬県公立小・中学校勤務を経て平成26年度より現職。子どもが喜び、しかも、確実に国語学力が身につく。そんな授業を開発することが趣味。