心理学は子育てにとても役立ちます!これは自信を持って言えます。ただ、実際に3人の子どもを育てる中で、「お母さんは、心理学やってるのに、何もわかってないね」と何度言われたことか(汗)。でもこのくらい不甲斐ない親であって、私はよいと思っています。子どもが思春期には、きちんと親に反抗し、親としても、ある時は子どもに寄り添い、ある時は子どもと対決し、ある時は子どものようにふてくされ・・・。これが実際の生身の親子関係です。

 このように書いていると、皆さん疑問に思うかもしれません。「心理学者は完璧な親ではないの?」と。「完璧な親」でないことこそが大切な面もあるのです。精神科医のウィニコットは、「ほどほどによい母」(good enough mother)こそが健康的な親だとしています。

 

 さて、子どもとの関わりは、子どもの育ち(発達年齢)によって、親自身が意識して子どもとの距離感を変えることが必要です。とはいうものの、これがなかなか難しいのです。特に都会で子育てをしていると、大学生になっても自宅から子どもは大学に通うことも稀ではありません。

 我が家でも「一人暮らしがしたい!」と息子からの熱いコールを受けてますが、経済的な理由からもすぐにOKは出しにくいものです。だからこそ都会の子育ては、親から意識的に「子離れ」する必要があることを実感しています。

 

 エリクソンは、青年期の発達課題を自我同一性と表現しています。自分はどんな生き方をしたいのかなど、アイデンティティを確立していくことが発達課題となるのです。

 子どもの発達課題に沿うように、親は子どもと適切な距離を作りながら子どもの自立を応援していきます。子育ては、子どもの発達課題だけではなく、親密性や世代性という親の発達課題を成し遂げながら・・。

 

 子育てに関して、何かお役に立てないかと考え、本学の教員で書籍やデジタル絵本を出版しました(スポーツで生き生き子育て&親育ち:福村出版)。

https://www.fukumura.co.jp/book/b491880.html

https://togotokyo101.wixsite.com/mysite/blank-3

 

高校生の皆さんも、たまには、保護者の方が、どのような思いで皆さんを育てたのかという子育て話なども聞いてみると面白いと思います。これこそが大人の道への第一歩です!

 

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藤後 悦子(TOGO Etsuko)

プロフィール

専門:コミュニティ心理学

略歴:立教大学、筑波大学大学院兼任講師を経て、現在に至る。博士(学術)臨床心理士。学校・保育・子育て・スポーツ分野での臨床。放課後子ども教室や学童のスタッフ研修などを担当。

心理学と「かわいい」

2020年7月10日 投稿者:坪井 寿子

 本学の心理専攻は、こども心理学科(学部)のもとにあります。みなさんは、こども心理学についてどのようなイメージを持っていますか。子どもたちの心や行動に関する心理学といったところでしょうか。確かに、乳幼児心理学や児童心理学が中心的な領域になります。ただ、心理専攻では、心理学のもっと広い立場から考えていくことができます。基礎的な心理学としての知覚・認知、感情の実験的研究からどのようにかかわっていくことができるのでしょうか。

 

 1つの例から考えてみます。幼い子どもたちが楽しそうに遊んでいる様子を見ていると、多くの人は「かわいいな」と思うことでしょう。「かわいい」という言葉からは、なにかほんわかしたほのぼのとした印象を持ちます。むしろ科学的に厳密に調べることとは縁がなさそうな感じもします。でも、このかわいいについて、実験心理学の立場からのアプローチもあります。「かわいい」の研究の第一人者である入戸野宏氏は、さまざまな領域から「かわいい」について研究しています(詳しくは、入戸野宏著(2019)『「かわいい」のちから:実験で探るその心理』を参照してください)。さきほど、幼い子どもたちが…と書きましたが、私たちがとらえている「幼い」と「かわいい」は似ているようでいて違う点もあることをいくつかの実験を通して示しています。その一方で、「かわいい」の研究は基礎的なテーマだけでなく、実際の生活場面にも貢献することがあります。ちょっとした工夫で身の周りの雰囲気が和んだりすることもあります。

 

 さらに、入戸野氏は、「かわいい」というほんわかした感じのものだからこそ、きちんとした手続きで研究を進める必要があると述べています。このようなほんわかしたものに限らず、そもそもとらえどころのないものについて心理学ではさまざまな工夫をしながら調べています。そこが心理学の1つの特徴かもしれません。

 

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坪井 寿子(TSUBOI Hisako)

プロフィール
専門:認知心理学、発達心理学
略歴:学習院大学大学院博士後期課程中途退学、大学入試センター(非常勤)、鎌倉女子大学専任講師を経て本学に勤務。臨床発達心理士、学校心理士。

人はそれぞれ,口調が違い,その人の人柄を感じることがあります。文章でも,人それぞれの筆致があって,文章の構成や,言い回しに人柄が表れます。文学作品でも,著者の人柄というのは,その文体にも表れ,自分とフィーリングの合う作家,合わない作家などが出てきます。本をたくさん読んだ人なら,きっと自分の好きな小説家,苦手な小説家がなんとなく分かれてくると思います。
手紙でも,文学作品でも,書いた人が目の前に居るわけではないけれど,その書き手の人となりを感じながら,込められた思いを読み進めるのではないでしょうか。過去の偉大な小説家の文学作品は,今を生きる私と,時空間を隔てているのに,心を揺さぶることがあります。
その点では,音楽も全く同じなのです。作曲家は,小説家が小説を書くように,楽譜にその人の筆致,言い回し,口調で表現しています。ですので,音楽作品を聞くとき,作曲家の人となりを感じることができます。そして,真剣に向き合えば向き合うほど,作曲家の人格によって自分自身の人格が揺さぶられることがあるのです。
ワーグナー, R.(1813-1883)という作曲家をご存じでしょうか。クラシック音楽に詳しくない人でも,彼の「結婚行進曲」を一度は耳にしていることと思います。このワーグナーという作曲家ほど,大好きという人達(Wagnerian)と,大嫌いという人達(Anti-Wagnerian)がはっきり分かれる作曲家は珍しいと思います。

 

ワーグナー

 

良きにつけ悪しきにつけ,世界を変えるほどのインパクトを与える人というのは強烈な個性(性格の著しい偏り)を持っています。ワーグナーに関する伝記を読むと,臨床心理学でいうところの「人格障害」に該当する逸話が山ほど出てきます。そして,彼の激しい人格が投影された筆致,言い回し,口調の音楽作品に触れた人に,大きな感情的な葛藤を引き起こす力を持っているのです。
ワーグナーの音楽作品について,当初,文壇で大絶賛を送っていたニーチェ, F.は,途中から作品に投影されたワーグナーの闇の部分を感じ取るようになり,やがてAnti-Wagnerianの立場を取っていきます。ワーグナーの音楽に触発されノイシュヴァンシュタイン城(シンデレラ城のモデル)を建築したバイエルン国王ルードヴィヒ2世は,国家財政が破綻に瀕するほどの経済援助をワーグナーに与え,後に謎の死を遂げています。ワーグナーの音楽に傾倒していたフランスの作曲家ドビュッシー, C.も,ワーグナーの音楽祭に参加する内に違和感や危険性を覚えて,Anti-Wagnerianの立場を鮮明にしていきます。これらの例は,人格と人格の真剣な向き合いの中で生じたことといえるでしょう。

 

ノイシュヴァンシュタイン城

 

音楽は,正確に,立派に,上手に演奏される名人芸が大切なのではなく,文学作品を精読するときのように,自分の人格と作曲家の人格の相互作用を感じ取ることで,深みを増すことになるでしょう。ちょっと心理学的な切り口からの音楽の聴き方というお話でした。
 

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竹内 貞一 (TAKEUCHI Teiichi)
プロフィール
専門:音楽教育学、音楽心理学、芸術療法
略歴:東京学芸大学大学院音楽教育専攻修了。早稲田大学大学院心理学専攻修了。臨床心理士。スクールカウンセラー、教育相談、小児医療における心理療法・査定に従事。

今回は、イングランドと日本では、サッカースタジアムという空間の認識の仕方に違いがあり、その一端が観客席の呼び名に反映されているのではないか、というお話です。例として、名門マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)の本拠地オールド・トラフォード(Old Trafford)と、国内最大のサッカー専用スタジアムで浦和レッズの本拠地埼玉スタジアム2002を挙げます。

 

まずは図をご覧ください。

サッカースタジアムの図

一般に、線分a-b, c-dはゴールライン(goal line)、線分a-c, b-dはタッチライン(touchline)と呼ばれますが、それぞれをエンドライン(end line)、サイドライン(sideline)と呼ぶこともあるようです。以下では、後者を用います。次に各ラインに沿う観客席を、それぞれA, B, C, Dとします。破線(e)-(f)はエンドライン、破線(g)-(h)はサイドラインの中点をそれぞれ結んでいます。

 

『オックスフォード新英英辞典(Oxford Dictionary of English, ODE)』は、エンドラインのendを「あるもの[こと]の最後の部分」、サイドラインのsideを「もの、場所、あるいは中心とみなす点の左または右の位置」と定義しています。ポイントはendの「最後の部分」、sideの「左または右」です。

 

フィールドの選手たちは、相手ゴールを目指して、基本的に(e)⇄(f)の方向に動きます。エンドラインは、(e)-(f)両方向へ広がるフィールドの「終端」を示すラインであるだけでなく、選手たちの仕事の「最終段階」、つまりゴールを決めるという「有終の美」を演出する場を際立てるラインでもあります。一方、サイドラインは、選手の(e)⇄(f)方向への線的な動きを軸とすると、常にその「左右」に並行して伸びるラインであることがわかります。このように考えると、エンドラインとサイドラインは、フィールドでプレーする「選手の目線 “(e)⇄(f)”」を基準にした呼び方と言えそうです。

 

スタジアム

ではこれらの点を踏まえて、オールド・トラフォードの観客席の呼び名を見てみましょう。現在、Aはサー・アレックス・ファーガソンスタンド(Sir Alex Ferguson Stand)、Bはイーストスタンド(East Stand)、Cはサー・ボビー・チャールトンスタンド(Sir Bobby Charlton Stand)、そしてDはストレットフォード・エンド(Stretford End)と呼ばれています。全部スタンドでも良さそうですが、なぜかDだけはエンドで、しかも実はBには、スコアボード・エンド(Scoreboard End)という別名があるのです。この事実から、オールド・トラフォードには、サイドラインに沿う観客席をスタンド、エンドラインに沿う観客席をエンドとして区別しようとする心理が働いているとは言えないでしょうか。つまり、観客席の呼び名にも、フィールド発の「選手の目線」が生きているのです。掲載した画像は、ほぼこの「目線」で見たストレットフォード・エンドです。撮影場所はスコアボード・エンド最前列で、図の中の白丸付近です。

 

一方、埼玉スタジアム2002では、Aはバックスタンド、Bは南サイドスタンド、Cはメインスタンド、そしてDは北サイドスタンドと呼ばれます。すべてスタンドで統一されている点もさることながら、オールド・トラフォードでは「エンド」と呼ばれるBとDに「サイド」が用いられている点は注目に値します。つまり、埼玉スタジアム2002ではB, Dを「左または右」とみなす「目線」が基準になっているようです。一つの可能性として、メインスタンドCに座った「観客の目線 “(h)→(g)”」が考えられます。これなら「フィールドの後方(back)にある観客席」という意味で、Aをバックスタンドと呼ぶ理由も説明がつきます。また観客席にいる人は、選手ほど切実にエンドとサイドを意識する必要もありません。だから観客席はすべてスタンドでいいのです。

 

動的な選手の目線と静的な観客の目線、皆さんはどのようにお考えですか。

 

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宅間 雅哉(TAKUMA Masaya)

 

プロフィール
専門:英語学(史的研究)、イギリスの地名研究
略歴:国際基督教大学大学院教育学研究科博士前期課程修了。山梨英和大学教授を経て、2012年より東京未来大学教授。

 遠隔授業という制約の多い状況の中で,3年生のゼミ生と見田宗介の「社会学入門」(岩波新書)を読んでいます。教育,文化,美術に関する幅広い問題意識をもっている学生が多いので,その卒業研究の土台としてこのテキストを選択しました。社会学は,人間を主役としてその関係性や社会現象をさまざまな側面からとらえることから「越境する知」とも呼ばれます。ちょっと離れて時空を旅しているようで,今回改めて感銘を受けました。心を揺さぶられる場面がいくつもあったのですが,それは読んでいただくお楽しみとして‥メキシコのインディオにとって,とっても大切な祭りが強く心に残りました。11月1日から2日にかけて亡くなった人たちが帰ってくる「死者の日」と呼ばれるこの祭り,人々は村の墓場で一緒に歌ったり踊ったりして夜と昼を楽しく過ごすのだそうです。日本のお盆に似ていますね。祭りのごちそうを準備するとき,予定の数よりも一人分多く作っておく,ご先祖さまがどこの家からも呼ばれない友だちを連れてくるかもしれないという発想です。この「余分の一人分」「開かれた共同体」の思想は,メキシコ社会の魅力であると記されています。見田さんの問題意識は,「近代」社会の構造や特性,その運命にあって,私達が近代化の歩みの中で獲得してきたものと失ってきたものに気付かされます。
 ちょうど1年前,昨年5月に本学で60~70歳の方を対象とした2回の連続公開講座「残したい記憶を絵日記のように描く:記憶画」を開催しました。コロナ禍の現在にあっては夢のようです。さらにもっと学びたいという10名程の声にお応えして,様々な技法を体験しながら記憶の伝承と視覚化を目指す記憶画研究会を6月から11月にかけて10回程開きました。参加のみなさんのテーマが多様で,とても興味深かったので少し紹介します。最高齢84歳のAさんは,故郷鹿児島の桜島の見える風景を,自分がいる浅瀬から四方を見渡してパノラマ的に表したいという壮大な構想。また,戦後間もなく満州から引き揚げてくる時に残っている幼少時の記憶は,海と船と毛布だけだったそう。毛布にくるまる少年のお話に引き込まれました。また,Hさんの故郷福島の残したい記憶は,小学生だったときに大雪が降り,父親が黒牛に丸太を引かせて除雪してくれ,その後に近所の子ども達と一列に並んで登校した話。雪が見えやすいように,茶色系の色画用紙に描くことを勧めました。3姉妹で初めて映画館に行って,大きなイスに座って映画を見た思い出を描いたのはMさん。昭和は近代化へまっしぐらの時代,不自由な生活から便利な世の中への移行が反映されていますが,主題となるのは目に見えない愛着でした。子ども時代の思い出は,人生を木の年輪に例えると根幹部分であるために,それらを語り合うことは,かけがえのない人生を肯定することになります。参加者のみなさんだけでなく,主催者の私もとても癒された時間となりました。
 3月末から2カ月が過ぎ,コロナ禍の“stay at home ”の生活は,皆さんに何をもたらしたでしょうか。加速してきた近代が新たな局面を迎えたといってよいでしょう。単身赴任生活小休止の私は,弱った父親の近くにいられ本当にありがたいです。料理や掃除,時短で行ってきた日々の家事に向き合ったり,ナズナがはびこっていた庭を菜園にしたり…この貴重な数カ月を忘れることはないでしょう。海外の情報には,多くの”solidarity”(連帯・団結)の主張が見られるそうです。対面では”Social Distance”を,心は”solidarity”を願ってやみません。
 

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髙橋 文子(TAKAHASHI Fumiko)

プロフィール

専門:美術教育
略歴:千葉大学教育学部、茨城大学大学院教育学研究科美術教育専修修了。茨城県内の小中学校、 茨城大学教育学部附属中学校教諭等を経て、現職。個に即した象徴的表象等、感性と学び合いを研究。

映画で見る心理学:with ♥

2020年5月15日 投稿者:須田 誠

 核家族化・都市化等の社会変動による家族のコミュニケーションの変容を描いた小津安二郎監督の映画『東京物語』(1953年)。両親が広島の尾道から汽車で何泊もして東京で暮らす子ども達を訪ねて来るのですが、仕事が忙しい子ども達は両親をないがしろにします。そんな両親をもてなしたのは、実の子ではなく血縁にはない次男のお嫁さんだけでした。『東京物語』のオマージュとして、山田洋次監督が映画『息子』(1991年)を創りました。設定が変更され、二男が恋をする相手が聾唖者となっています。父と息子、そして恋人同士のコミュニケーションの断絶と克服が描かれています。やはり、血縁にはない次男の恋人が孤独な父親の支えになります。
 中島みゆきが『息子』のテーマソング『with』を歌ったのですが、映画に添った歌詞で「withの後に『孤独』ではなく『君の名』を綴りたい」というものでした。初めてライブで歌った時に最後に手話を用いたそうです。当時、音楽雑誌では「偽善」等の批判が出ました。中島みゆき自身は、いつも通り、反論も含めて何もコメントをしませんでした。しばらくぶりのライブでこの歌を披露しました。勿論、手話つき、コメントなしで。私はその場にいたのですが、手話を見た瞬間に、私は「この場にはいない人」の存在を思い知りました。
 人は、自分が所属する集団の性質を当たり前と思い込みます。その集団が多数派ならば尚のことです。言葉や価値観の違いだけでなく、髪や瞳や肌の色が異なる人、ハンディキャップを持つ人の存在は、知的には理解していても、感覚的には分かりません。無知は偏見を生みます。それは恐ろしい「心の病」です。人は、究極的に一人ひとりが異なるのですから、自分とは異なる性質を持つ人を排除することは、究極的には「この世に私ひとりだけ」になる自己破滅的な行動です。包摂のない社会は病みます。
 私には手話は分かりませんが、中島みゆきは手話で「with 」と歌っているように見えました。心の手紙に「with 」と綴ることができたら素敵ですね。
 

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須田 誠(SUDA Makoto)

プロフィール

専門:臨床心理学、コミュニティ心理学
略歴:臨床心理士、公認心理師。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学医学部非常勤講師等を経て現職。地域保健所等でひきこもり支援に従事。

 現在,新型コロナウイルスにより,世の中が非日常となってきています。そのような中,心理学は何ができるのでしょうか。心理学を学んで役に立つことがあるでしょうか。
 実は,心理学はこのような時こそ役に立ちます。もちろん普段も役に立つのですが,このような有事の時にこそ,その真価を発揮することができるといえるでしょう。
 「正常性バイアス」という言葉は,ニュースでも取り上げられるようになったので,見聞きしたことがある人も多いかもしれません。我々の考え方の癖のひとつです。外出自粛などが叫ばれる中,なぜ平気で外出する人がいるのか,その理由(の一つ)がわかるのではと思います。(せっかくですので,その内容は皆さん自身で調べてみてください。)
 正常性バイアスをはじめ,このようなことが生じうると知ること,そのものが大事だったりします。我々は常に合理的に物事を判断しているわけではありません。何かしらの癖にしたがって考えています。その癖について知ることは,適切な判断をおこなううえで重要だと考えられます。
 我々は正常性バイアス以外にも,考え方の癖を持っています。以下の文章を読んでみてください。
 
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 金剛寺さんは,熱血で日々身体の鍛錬も怠らず,また,敏腕デカとの評価を受けている警察官です。熱血ではあるものの冷静沈着さを忘れず,大胆かつ慎重な行動で,署の皆にも信頼されています。金剛寺さんが夜勤をしていたある日,交通事故の通報がありました。親子のドライブ中の交通事故で,父親は即死,子どもは重体だというのです。金剛寺さんは現場に向かった時にその子どもの顔を見てアッと驚き,その場に立ちすくんでしまいました。その子どもは,金剛寺さんの息子だったのです。
 さて,ここで問題です。金剛寺さんと,即死した父親,重体の子どもはどのような関係でしょうか。
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 皆さんはわかりましたか? なかなか答えにたどりつかなかった人もいるかもしれません。いかに我々の考え方に癖が生じているのか,実感できたのではと思います。
 さて答えは……。
 
#一日も早く日常が戻ってくることを祈念いたします。
 

鈴木公先生
鈴木 公啓(SUZUKI Tomohiro)

 

プロフィール

専門:パーソナリティ心理学、社会心理学
略歴:東洋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了〔博士(社会学)〕。東洋大学や明治学院大学等の非常勤講師、東洋大学HIRC21のPD研究員を経て現職。