私は主に保育士養成に関わる社会福祉関連の授業を担当していますが、授業をしていると「大学で学ぶ意義」について学生から質問を受けることがあります。この類いの質問をしてきた学生に対し、私はプリンストン大学のアン=マリー・スローター教授の以下の言葉を伝えています。「今受けている教育は、長い人生の中でずっと活用できる。教育とは自分を支えると同時に、他者の人生を豊かにするためのもので、その他者の中には子どもも含まれる」。
 大学で学んだ専門的な知識や物事に対する見方、考え方は今後社会の中で生きていく自分を支える礎となります。さらにアン=マリー・スローター先生の言葉通り、「教育とは他者の人生を豊かにするためのもの」でもあります。なぜ、自分が大学で教育を受けることが、自分以外の他者の人生を豊かにするのか。それは自分が保育者や教員になり、子どもと関わるときのことをイメージすれば理解しやすいかと思います。大学での学びを通じ、保育士などの対人援助職や教職に就けば、直接自分以外の他者の人生を豊かにすることが可能となります。
 この他にも大学での学びが自分以外の他者の人生を豊かにする場面は多々あります。例えば自分の子どもを育てることを想像してみて下さい。大学で学んだ教育は直接的に、または間接的に自分の子どもの人生を豊かにしてくれます。特に保育や幼児教育等、子どもに関する授業で学んだ知識は将来自分の子どもを育てる上で、大いに役立つでしょう。
 自分の子ども以外の他者に対しても、大学での学びは有効です。私が担当している社会福祉の授業では障がい者、LGBTQ+、ホームレス等、多様な方々を取り上げます。彼らは「普通」とされている枠組みから外れるが故に、現代社会において生きづらさを感じている場合が多いです。彼らに対して直接的な支援は行わなくとも、自分自身が世の中には多様な人がいることを理解し、彼らに対するちょっとした配慮ができるようになれば、それは同じ社会で暮らしている自分以外の他者の人生を豊かにすることにも繋がります。自分のために、他者のために、社会のために。是非、大学で沢山学んで下さい。
 
引用文献
アン=マリー・スローター(関美和訳)『仕事と家庭は両立できない?「女性が輝く社会」のウソとホント』NTT出版、2017年
 

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白石 雅紀(Masanori Shiraishi)

プロフィール

専門:社会福祉、国際福祉
略歴:岩手県立大学社会福祉学部卒業、岩手県立大学社会福祉学研究科博士後期課程修了、秋田看護福祉大学社会福祉学科助教、修紅短期大学幼児教育学科講師

 小学校の先生の一言で、人生が変わることがある。小学校の4年生のとき、同級生の1人がそんな経験をし、私はその場に居合わせた。1964年、渋谷区立長谷戸小学校の授業中でのことである。
 10年ほど前、同級生たちと会う機会があった。その時1人が、「自分は小学校3年まで成績が悪かった。ほとんどの科目は1か2だった。」と、とつとつと話し始めた。彼とは、2年生の頃だったか、5段階でほとんどオール3だった私と通信簿を見せ合ったことがある。そんなことを覚えている。その彼が、3年生の終わり頃、学力遅進などの子たちのために設けられた学級に移らないか、と学校から勧められたと話を続けた。振り返ってみると、そんなことがあったとも思うが、あの当時、同級生たちはたいしたこととも思わなかったのだろう。私も聞いていたとしてもその後すっかり忘れてしまっていた。その時、彼の両親がそのことをとても嫌がったので、「じゃあ、4年生になったら担任の先生も変わるから、もう少し様子を見てから決めよう」ということになったのだそうだ。
 新しく担任になったのは、文京区立関口台町小学校から転任してきた桐山甲子治先生だった。「桐山先生になって暗算の時間があっただろう。」先生は毎日、10分にも満たないほどの短い時間だが、授業の冒頭などに暗算を取り入れたのである。彼は、「暗算の時間に自分一人ができたことがあった。」という。先生の一言があったのは、そのときだったのである。「なんだ、○○君、キミ、できるじゃないか。」彼によれば、その言葉で自分は、少し勉強してみようか、と思ったというのだ。
 その思い出話は私に衝撃だった。というのは、彼の話を聞いた瞬間、私はその場面をありありと思い出したからだ。その時の座席の配置まで浮かんできた。廊下側うしろのほうの右側だった私から見て、左前の方に座っていた。同級生の驚嘆と賞賛の雰囲気、そして先生がすかさず発した一言。ゴールデンウィークがあけた翌週ぐらいだった。
 それ以来「○○君は本当は算数がよくできるのだ」という目で彼を見るようになった。そのことも、話を聞いてすぐ思い出した。今改めて振り返ってみると3年生までの不振ぶりを知っていた私たち同級生は、その瞬間、何かとても嬉しい気持ちに包まれたように思う。
 彼の思い出話で私が知ったことは、その瞬間が彼の人生を先まで変えたということだった。彼は区立中学校卒業後都立の工業高校に進学し、卒業して東京都23区の某区の公務員になるところまでは知っていたが、先生の一言がそこに結びついたことは知らなかった。図面を引いたこともあると言っていた。
 先生が一言を発したその瞬間が、まさに今の教育学でいう「教育的瞬間」(pedagogical moment)なのだが、今になって考えれば、それも飛び切り大きな瞬間だったのである。その教室に居合わせた私は、将来を予見するはずもないのに、何故か4年生なりにその重大性を感じたらしい。だからその場面が記憶の片隅に残ったのだろう。
 一方で、もし先生がその一言を発していなければ彼はどうなっただろうか。「教育的瞬間」は存在せず、彼は勉強が振るわないまま大人になっていっただけのことなのだろう。それでも誰も先生をとがめるはずもない。本人はもとより、誰にも、彼に別の人生が拓けることなど思いもよらないからだ。
 私は、教職を志望している学生たちが、「教育的瞬間」を逃さない鋭敏さを備えた教師に育つことを願っている。
 

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所澤 潤(Jun Shozawa)

プロフィール

専門:教育方法学
略歴:東京大学教養学部基礎科学科卒。大学院教育学研究科単位取得退学。東京大学助手(東京大学史史料室)後、群馬大学勤務。教育学部教授、教職大学院教授を経て現職。群馬大学名誉教授。

こんにちは。
 先日、親族の5歳の男の子から「お兄ちゃん、たたかおう!(おじさんと呼ばれない時点で、良い気分。)」と言われ、遊んでもらいました。
 もちろん、彼はヒーロー、私は怪獣やワル者です。彼は、テレビ局やプロダクションの垣根を越えて、様々なヒーローに変身して、多彩な必殺技を繰り出します。一方、私は、彼に攻撃してはいけないというルールがあるので、その必殺技からひたすら逃げます。彼は、必殺技の名前を叫びながら「お手玉」を投げ、私は逃げるという、壮絶な戦いでした。
 
 私は、子どもたちの体力・運動能力や運動習慣について研究をしています。そのひとつとして、子どもたちはどうやって運動が上手になるのか(運動発達)ということについて、研究しています。
 皆さんは、今、イメージの中で右手に野球ボールを持っています。それを思いっきり遠くへ投げてください。その時、脚はどうなっていましたか?「脚の動きがなかった人」、「右脚を前に出した人」、「左脚を前に出した人」がいたと思います。投げ方が上手な野球のピッチャーの投げ方をみると、右手でボールを投げ、左脚を前に出しています。つまり、右手と左脚を使って投げることが、上手な投げ方となります。皆さんは、いかがでしたか。
 ヒーローの彼に話を戻すと、彼は「右手で投げ、右脚を前に出して」お手玉を投げていました(必殺技を繰り出していました)。彼はまだ、上手な投げ方に発達する途中にあるといえます。
 では、彼が今後、上手に投げられるようにするためにはどうすればいいのでしょうか。その答えは、たくさん遊ぶことです。決して投げ方のトレーニングをするのではなく、遊ぶことです。運動を上手にできるようになるためには、遊びながらその運動をたくさん経験することが大切です。遊ぶ中で、投げることをたくさん経験して自然と投げ方が上手になっていきます。そして、遊ぶ中で、ボールを捕ったり、走ったりと、投げる以外の運動もたくさん経験して、色々な運動が上手にできるようになっていきます。
 幼児期や児童期は、人生において最も運動が上手にできるようになる時期です。この時期に上手にできないと、その後もできないままということもあります。実際、授業中「右手と右脚を使ってボールを投げる」大学生を目にすることがあります。子どもの時にたくさん遊んで、様々な動きを経験することが、運動を上手に行うためには大切なのです。
 きっとヒーローの彼は、たくさんの遊びを通じて「左脚を出して投げる」ことができるようになり、より強力な必殺技の使い手になって私の前に立ちはだかるはずです。更なる激闘が予想されますが、その成長した姿を見ることを今から楽しみしています。
 「おじさん」と呼ばれないことを信じて。。。
 

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篠原 俊明(Toshiaki Shinohara)

プロフィール
専門:体育科教育学、発育発達学
山梨大学大学院教育学研究科修士課程修了。東海学院大学短期大学部助教、講師を経て現職。体育授業実践、子どもの体力・運動能力や運動発達について研究している。

 2020年度からいよいよ「外国語(英語)」が小学校の教科として始まります。これに伴い、小学校の先生方にとっても、小学校教員養成課程を持つ大学にとっても、とても大きな変革があります。
 まず、小学校の先生方は、英語も他の授業同様に評価をしなければならなくなります。評価を行うということは、明確な目標を持って、授業を行い、どのような効果があったのかを測ると言うことです。「小学校の外国語活動は楽しかったのに、中学校のようにテストするようになると、面白くなくなるんじゃないの」といった声も聞こえそうですね。しかしながら、そんなに簡単には児童の英語力は測ることができません。例えば、母語を学び始めの1〜2歳児の母語能力をテストで測ることができるでしょうか。外国語学習や習得においても同様です。入門期の学習者が沢山英語の単語を覚え、それをテストで言えたり書けたりしても、それを英語力が向上したことと捉えることは難しいのです。特に、子どもにおいては、学習者本人の学習の捉え方で、暗記のみを確かめるテストは、信頼性が高いとは言い難いと思います。担任の先生方にとっては、どのように評価するのかを決めることは大変な問題だと思います。
 次に、小学校教員養成課程を持つ大学では、英語の教育法と英語そのものについての知識や技能についての科目が必修となります。実際には、英語能力検定試験の2級程度の英語力が必要とも言われていますが、それにとどまらず、英語とその文化、さらに子どもが必要とする言語と言語使用に関わる知識に精通している必要があるということです。日本に生まれ、日本の文化の中で日本語で育ってきた私たちにとっては、このことを学ぶことはとても大変なことです。
 このように、小学校の先生方や小学校養成課程に所属する学生にとっては、これまで経験をしたことのない評価や学習が英語の教科化とともに始まりますので、周囲の方たちは、温かく見守っていただきたいと切に願っています。
 

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執行 智子(Tomoko Shigyo)

 

プロフィール

専門:第二言語習得・初等英語教育
略歴:津田塾大学文学研究科後期博士課程単位取得満期退学。外国語活動コーディネーター、小学校教員研修講師などを経て現職。小学生から大学生までの英語学習を概観、初等英語指導者に必要なことを研究。

 先月(11/22―28)、本学図書館で「ボローニャ世界の絵本展ー世界の白雪姫、シンデレラ絵本展」が行われました。りんごの形状をした白雪姫の絵本もあれば、とても現代的なシンデレラの絵本もあり、絵本の世界の豊かさを改めて実感しました。
 さて、シンデレラといえば妖精やガラスの靴、かぼちゃの馬車を思い浮かべる人が多いことと思います。こうしたイメージは、絵本やディズニーアニメーションなどでつくられていったのだと思われます。しかし、日本では、すでに明治20年代からシンデレラのお話が翻訳紹介されています。日本で紹介されてきたシンデレラは、シャルル・ペローかグリム兄弟が書き残したメルヘンが中心ですが、ガラスの靴が登場するのはペローのものです。グリムのシンデレラは、鳥が落としてくれた美しい服と金でできた靴を履いてお城に向かいます。もともと「シンデレラ」は、古くから口伝えされてきた物語で、ヨーロッパだけでなく、世界中に類話が見られる非常に大きな物語群を形成しています。古いものでは、紀元前5−6世紀、古代エジプトの「ロドピスの靴」まで遡ることができます。ロドピスの靴の片方を持ち去った鷲が、王様の膝の上に靴を落とし、その美しい靴に心を奪われた王様は靴の持ち主を探し出し、結婚するのです。靴を見ただけで結婚?と思われるでしょうか。実は、靴のモティーフは民俗学的には古くから結婚のシンボルとされてきました。靴は片方だけでは機能せず、両方そろって初めて完全な形になることから、男女の結婚のアナロジーとなったのです。シンデレラの靴が小さいことも、足の小さいことが美しいとされた文化的背景によっています。それぞれの時代や国で伝えられてきた昔話には、その時代の習俗、価値観が織り込まれているのがわかります。
 それは翻訳紹介される場合にもみられます。明治期に翻訳紹介されたシンデレラは美しく親切なだけでなく、「従順」で「親孝行」であると強調されます。まさに当時の道徳観が反映されたものになっています。特に子どもに向かってかかれた作品には、「こういう子に育ってほしい」という大人の思いが色濃く作品に反映されているのです。こんなふうに違う視点から昔話を読んでみるのも、面白いのではないでしょうか。
 

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佐々木 由美子(Yumiko Sasaki)

プロフィール

専門:児童文化・文学、幼児教育
略歴:白百合女子大学大学院児童文学専攻博士課程満期退学。鶴川女子短期大学講師、准教授を経て現職。絵本や紙芝居を中心に、子どもの育ちと文化について研究している。

 もうすぐ年末、今年は何をしたのだろうと振り返ると、足立区で講演を3回もやったことを思い出しました。「子育てと心の開き」に関してです。そうです、「子ども臨床心理学」の授業で、学生さんたちは習いましたね。「心を開き、健康な子どもを育てる」という、あれです。うち2回は、通信課程の学生さんの要請によるものでした。
 
 どの講演でも聴講者は、子育て中の方々だったのでしょう、熱心に聴いてくれました。大変ありがたい気持ちになりました。しかし、同時に、それでは私自身は「心が開けて」いるのだろうか、と気になりました。自分ができずに、ただ喋っているのは、感心しませんよね。
 
 そこで最近、「心を開く術」を工夫しています。数分間、座る(禅の結跏趺坐の真似)、気が鎮まる、体が和らぐ、心が喜ぶ、楽しむ、そして、開く、という順に、心の内で自分に語りかけながら、軽い瞑想の状態に入るのです。
 
 落ち着くために、日に何度か、何分間かずつ座るということは、30代からやっていました。それに、心を開くプラクティスを結びつけたのです。瞑想中はなんとなく、いい感じです。カウンセリングにも役立つように、研究としてデータを取ってみようか、などと思ったりしています。
 
 今年も、こんなとりとめもない感じで過ぎてゆくようです。下手な考え休むに似たり、という言葉も脳裏をかすめます。
 
 それにしても、子どもが健康に育つためには、保護者がまず健康でいること。病気をしないというよりも、心がゆったりして、楽しんでいる、家族が信頼しあって、助け合っていることが基本であるように思います。
 
 そのような家族の中で、子どもの心は開かれる。それを見て、親の心も開かれる。心を開くことは、そのような普通のことでもあると思います。
 
 「心を開く術」が、このような家族、特にストレスの多い、保護者をサポートできればと瞑想(妄想?)する日々です。
 

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近藤 俊明(Toshiaki Kondo)
プロフィール
専門:臨床・学校心理学
略歴:早大一文、NY市立大学、ホフストラ大学臨床・学校心理学博士課程卒、学術博士、サイコロジスト(NY州免許)、臨床心理士。NY州にて、病院、特殊教育学校、開業等を経て現職。

 皆さんは、学校を参観したことがありますか。お子さんが通っている方は、授業参観や運動会などの行事を観に行ったことがあるでしょう。そうでない方は、なかなか学校を観る機会がないかもしれません。
 近年、学校を地域に開こうと、多くの学校で「学校公開」が実施されています。保護者だけでなく、地域、一般の方々にも公開され、教育の現場を参観できるようになっています。そのねらいは、以下の3点が考えられます。
①学校教育への理解を促す
②学校教育への協力を募る
③「地域の学校」としての認知度を高める
 もし、お住まいの地域で学校公開が実施されるならば、参観することをお勧めします。きっと、さまざまな発見があることでしょう。参観のポイントがいくつかあるので、挙げてみます。
①掲示物を観る…その学校がどんなことに力を入れているのか、教室や廊下の掲示物から知ることが出来ます。特に、校長室や職員室の壁にある掲示物に注目してみてください。その学校の特色がわかりやすく示されているでしょう。
②先生方を観る…授業のはじめ、どのようにして子どもたちの興味を喚起しているのか、悩んでいる子どもへの声かけ、クラスみんなで学び合う雰囲気づくりなどなど。きっと、先生方の「匠の技」を堪能できます。途中で抜けるのではなく、1時間まるまる参観することを推奨します。
③子どもたちを観る…そして何と言っても、子どもたちの様子、表情、かかわり合いを観てください!子どもたちの生き生きとした姿を感じることが出来れば、その学校は間違いなく「良い学校」ですよ。
 
 昨今、子どもを取り巻く悲しい事件が後を絶ちません。また、学校を批判する論調も多くあります。ぜひ、実際に観て、自分自身で考えてみてください。地域の子どもたちのために、何かできることが見つかるかもしれません。子どもたちを育てるはじめの一歩を、私たちと共に踏み出しましょう。
※「学校公開」は、市区町村によって目的や実施方法が異なります。ホームページなどで確認し、所定の手続きを経て参観するようにしてください。
 

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小林 祐一(Yuichi Kobayashi )
プロフィール
専門:教師教育学、教育方法、授業研究/略歴:千葉大学大学院修士課程修了、東京都公立小学校教諭、東京学芸大学教職大学院修了、市区教育委員会指導主事、沖縄女子短期大学講師を経て、2018年4月より現職。