みんなと違うこと言ったら、いけないの?

2019年9月27日 投稿者:越川 葉子

 私はいじめ問題などの教育問題を研究しています。といっても、「こうしたらいじめが学校からなくなります」といった解決方法の提案を目指しているわけではありません。むしろ、私の関心は、問題の当事者(児童生徒、教師、保護者など)が、いじめと言われている状況をどのように認識し、理解しているかを当事者の「語り」から明らかにすることにあります。
 いじめが問題になるとき、いじめが「ある」ことを前提に議論が進んでいきます。この前提は、いじめに関して、人それぞれの認識の違いが「あってはならない」とする考えを後押しする原動力となってきました。2013年には「いじめ防止対策推進法」が制定され、2018年から教科化された道徳の教科書には、いじめをテーマとする教材が盛り込まれました(詳しくは、『悩めるあなたの道徳教育読本』(神代健彦・藤谷秀編著,はるか書房)を見てください)。こうした社会の流れの中で、問題の当事者である子どもや学校関係者が、「いじめとは認識していなかった」と言うことはほとんど不可能になっています。
 しかし、同じ出来事であっても、その出来事の認識の仕方は人によって異なっている可能性があります。それにもかかわらず、この発言は当事者の無責任な発言と捉えられ、非難の矛先となっています。一度、いじめが問題化すると、それ以前の当事者の認識が顧みられることなく、問題の解決が図られていくことこそが問題なのではないか。私が、当事者の「語り」に着目する理由は、ここにあります。当事者の主観的な「語り」を聞くことで、問題の当事者となった人たちの認識にも目を向けていく必要があると私は考えています。
 これはいじめ問題に限った話ではありません。保育者や教師は、子どもに関する「語り」を豊かに紡ぎ出す仕事でもあります。そうした「語り」を交流し合いながら、「今、ここにある子どもの姿」を探っていくことが保育者や教師の醍醐味でもあり、専門性でもあります。しかし、その語り合いの過程でさえも社会的な決まりごとや立場の違いから生じる力関係と無関係ではないことに自覚的であることも保育者や教師には必要です。いじめ問題であれ、子どものことであれ、いかにして立場や考え方の異なる当事者間で合意形成を作っていくかが問題の解決を目指すうえで重要であると考えています。学生には、社会の現状と仕組みを視野に入れたうえで、自分の意見を保育や教育の場でいかに他者に伝え、実現していくかを考え続けられる人になってほしいと思っています。
 
 

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越川 葉子(Yoko Koshikawa)

プロフィール

専門:教育社会学、教育学
略歴:立教大学大学院文学研究科教育学専攻博士課程後期課程単位取得退学。立教大学文学部教育学科助手、秋草学園短期大学地域保育学科講師、准教授を経て現職。