教育的瞬間 ―小学校の先生の一言の重み―

2020年2月7日 投稿者:その他

 小学校の先生の一言で、人生が変わることがある。小学校の4年生のとき、同級生の1人がそんな経験をし、私はその場に居合わせた。1964年、渋谷区立長谷戸小学校の授業中でのことである。
 10年ほど前、同級生たちと会う機会があった。その時1人が、「自分は小学校3年まで成績が悪かった。ほとんどの科目は1か2だった。」と、とつとつと話し始めた。彼とは、2年生の頃だったか、5段階でほとんどオール3だった私と通信簿を見せ合ったことがある。そんなことを覚えている。その彼が、3年生の終わり頃、学力遅進などの子たちのために設けられた学級に移らないか、と学校から勧められたと話を続けた。振り返ってみると、そんなことがあったとも思うが、あの当時、同級生たちはたいしたこととも思わなかったのだろう。私も聞いていたとしてもその後すっかり忘れてしまっていた。その時、彼の両親がそのことをとても嫌がったので、「じゃあ、4年生になったら担任の先生も変わるから、もう少し様子を見てから決めよう」ということになったのだそうだ。
 新しく担任になったのは、文京区立関口台町小学校から転任してきた桐山甲子治先生だった。「桐山先生になって暗算の時間があっただろう。」先生は毎日、10分にも満たないほどの短い時間だが、授業の冒頭などに暗算を取り入れたのである。彼は、「暗算の時間に自分一人ができたことがあった。」という。先生の一言があったのは、そのときだったのである。「なんだ、○○君、キミ、できるじゃないか。」彼によれば、その言葉で自分は、少し勉強してみようか、と思ったというのだ。
 その思い出話は私に衝撃だった。というのは、彼の話を聞いた瞬間、私はその場面をありありと思い出したからだ。その時の座席の配置まで浮かんできた。廊下側うしろのほうの右側だった私から見て、左前の方に座っていた。同級生の驚嘆と賞賛の雰囲気、そして先生がすかさず発した一言。ゴールデンウィークがあけた翌週ぐらいだった。
 それ以来「○○君は本当は算数がよくできるのだ」という目で彼を見るようになった。そのことも、話を聞いてすぐ思い出した。今改めて振り返ってみると3年生までの不振ぶりを知っていた私たち同級生は、その瞬間、何かとても嬉しい気持ちに包まれたように思う。
 彼の思い出話で私が知ったことは、その瞬間が彼の人生を先まで変えたということだった。彼は区立中学校卒業後都立の工業高校に進学し、卒業して東京都23区の某区の公務員になるところまでは知っていたが、先生の一言がそこに結びついたことは知らなかった。図面を引いたこともあると言っていた。
 先生が一言を発したその瞬間が、まさに今の教育学でいう「教育的瞬間」(pedagogical moment)なのだが、今になって考えれば、それも飛び切り大きな瞬間だったのである。その教室に居合わせた私は、将来を予見するはずもないのに、何故か4年生なりにその重大性を感じたらしい。だからその場面が記憶の片隅に残ったのだろう。
 一方で、もし先生がその一言を発していなければ彼はどうなっただろうか。「教育的瞬間」は存在せず、彼は勉強が振るわないまま大人になっていっただけのことなのだろう。それでも誰も先生をとがめるはずもない。本人はもとより、誰にも、彼に別の人生が拓けることなど思いもよらないからだ。
 私は、教職を志望している学生たちが、「教育的瞬間」を逃さない鋭敏さを備えた教師に育つことを願っている。
 

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所澤 潤(Jun Shozawa)

プロフィール

専門:教育方法学
略歴:東京大学教養学部基礎科学科卒。大学院教育学研究科単位取得退学。東京大学助手(東京大学史史料室)後、群馬大学勤務。教育学部教授、教職大学院教授を経て現職。群馬大学名誉教授。