映画で見る心理学-子どもの心をどのように見守るか-

2016年1月15日 投稿者:須田 誠

2008年のアカデミー賞の主要部門を独占したのが『スラムドッグ$ミリオネア』という映画だ。インドのスラム街で逞しく生きる子ども達の姿がリアルに描かれている。それを監督したダニー・ボイルの2004年の作品に『ミリオンズ』というものがある。母親を病気で亡くした兄弟の物語である。10歳の兄:アンソニーは大人びていて現実的な性格なのだが、8歳の弟:ダミアンはかなり「風変り」に描かれている。ダミアンは「セイント・オタク」で「聖人」のことは何でも知っているのである。母親を亡くし引越した先の新しい学校で、ダミアンは先生から「尊敬する人は?」と質問される。他の児童はサッカー選手を挙げているのに、ダミアンは「聖ロクスです。ロクスは口は災いの元だと思って20年間ずっと黙ってました。処女殉教者も好きです。聖アガサは自分の両目をくり抜いてプロポーズを断りました。アレクサンドリアの聖カタリナは車輪の拷問危惧に縛り付けられたんだけど、でも車輪が爆発して、その破片が刺さってみんな死んだんだそうです。だから花火の守護聖人で、カタリナ車輪という花火の名前は…」と延々と喋ってしまい、困惑した先生に「ああ、ありがと、もういいよ」とストップされてしまう。おまけに、兄のアンソニーから休み時間に「話題を選べよな。サッカーか何かのこと話してりゃいいんだ。気味悪い話は絶対よせ。お前、周りから浮くぞ」と忠告されてしまう。それでもダミアンは聖人が好きで好きで、それが高じて幻覚まで見えてしまう。唐突に目の前に尼僧が現れれても、ダミアンは嬉しそうに「アッシジのクララ。1194年から1253年」「ええ、そうよ」等と会話をしてのけるのである。
 
さて、ダミアンのこの様子を臨床心理学的に説明すると、幼児期・児童期に比較的よく見られる「空想上の友人(imaginary friend)」を見ていると言うことができるだろうか。精神病理学的に言うと、「発達障害(developmental disorder)」による「過度の空想への没入(absorption in fantasy)」か、あるいは児童期にはあまりないが「妄想性障害(delusional disorder)」と言うべきだろうか。多様な解釈が可能な娯楽映画を分析する等ということは全くもって無粋ではあるが、この作品の終盤に一つの答えが示唆される。ダミアンは、亡くした母:モーリーンに会いたい一心でセイント・オタクとなり、聖人と出会っては「モーリーンという聖人を知っていますか?」と尋ねて回っていたのである。つまり、彼は母親の不在に由来する不安を埋め合わせるために聖人との邂逅を繰り返していたのである。そんなダミアンの「信じる気持ち」は、最後にこの一家に幸せをもたらす。
 
この『ミリオンズ』と同じ構図を成すのが、日本を代表するアニメ映画『となりのトトロ』(1998年、宮崎駿監督)である。こちらは姉妹なのだが、母親は病気で長期の入院をしており、『ミリオンズ』と同様にやはり不在である。母親が不在になってから、引越を父親が決めて実行したという点でも『ミリオンズ』と『となりのトトロ』は似ている。心理学の研究では引越は非常にストレスフルなライフ・イベントで、「引越うつ」という言葉まであるほどである。両映画では、母親の不在を深淵に置き、引越を起爆剤にして、子どもの不安を高めている。さて、『となりのトトロ』では、4歳の妹:メイは、幼稚園などないその地域で、昼の間は隣のお婆ちゃんに預けられている。とはいえ、ほとんど一人で過ごす。そんなメイが絵本で見た不思議な力を持つおばけ(?)に憧れないはずがない。不思議な力でお母さんに会わせてくれるかもしれないからだ。小学校6年生で12歳の姉:サツキはしっかり者の性格で、メイの語るトトロの話を半信半疑に聞いている。サツキにとっては転校先の新しい学校への適応が眼前にある現実的な目標であって、メイの空想にばかり付き合っている余裕はないのである。しかし、そんなサツキも、心待ちにしていた母親の退院が延期になり、メイが行方知らずになってしまうと、子どもらしい不安が一気に爆発し、藁にもすがる思いでトトロに会いにゆく決心をする。この姉妹もまた母親に会いたい一心から、トトロや猫バスと出会う。「信じる気持ち」のおかげで、姉妹は終には入院中の母親の笑顔を見届けるのである。
 
フランスの社会学者:ロジェ・カイヨワ(Roger Caillois)は、1958年に発表した『Les Jeux et les hommes』(多田道太郎 ・塚崎幹夫訳、『遊びと人間』1971年、講談社)において、子どもの遊びの分類を試みているが、遊びには「狂気」と「聖性」が含まれていると指摘している。更に彼は人間の生活には「聖」「俗」「遊」の三領域が存在すると論じている。今日の産業化の進んだ社会においては聖の領域は希薄化し、俗の領域は拡大し続けるばかりである。それでも、子どもは遊びを通じて「ひょい」と聖なる世界に入り込めるのかもしれない。もしかすると、聖人もトトロも本当に、いま、ここに存在していて、子どもには見えているのかもしれない。
 
子どもの空想(fantasy)や遊び心(playfulness)は非常に大きな力を持つし、成長には欠かせない。『ミリオンズ』のダミアンも『となりのトトロ』のメイとサツキも、「病気」とか「異常」とか「普通じゃない」等と大人に勝手にレッテルを貼られてしまったら、その時点で彼・彼女らの「子ども心」は死んでしまっただろう。そんなことのために心理学を使いたくはない。心理学は子どもの笑顔を豊かにするための学問なのだから。
 
 

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須田 誠(Makoto Suda)

プロフィール

慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学医学部非常勤講師、武蔵野大学通信教育部専任講師を経て現職。臨床心理士として、不登校およびひきこもりの当事者・家族・地域の支援を行っています。