自分を見つめる

2020年11月6日 投稿者:野中 俊介

 感染症対策として人と接触する機会を避けるようになり,「コロナ太り」という言葉をニュースで目にするようにもなりました。私も体重管理,健康管理の一環として日々の活動量をますます気にするようになりましたがみなさんはいかがでしょうか。

 しかし,ふとしたきっかけでたとえば「歩く量を増やすようにしよう」,「たまには近所を走ろう」と思っても,それを実際に長く続けることはそれほど簡単なことでないという方は(私自身を含めて)少なくないのではないでしょうか。これらの日常的な「行動」を継続させるために,人によっては日々の歩数をスマートフォンなどで測定して記録したり,体重を毎日測って記録したりするなどの工夫をしているかもしれません。

 このような自分自身の行動を観察して記録するアプローチを心理学では「セルフ・モニタリング」ということがあります。この「セルフ・モニタリング」は,自分の行動が生じる頻度や状況を観察,記録,評価することによって自分の行動をマネジメントする方法で,自分自身の行動を増やしたり減らしたりするうえで役立つことが知られています。たとえば,私は歩数や消費カロリーのような活動量をチェックするようになりましたが,それだけでなく自分が他の人とどのように振る舞うかといった対人交流場面における行動に対してもセルフ・モニタリングは用いられたりします。

 最近は前述のようにスマートフォンやスマートウォッチを使うことによって,今までは観察したり記録したりすることが難しかったもの(たとえば心拍数や睡眠の質)も気軽にできるようになりつつありますので,一般には「科学」とは離れたイメージをもたれがちな心理学においても,テクノロジーの発展が大きな影響を与えていることを感じられるのではないでしょうか。

 

野中 俊介(NONAKA Shunsuke)

プロフィール

専門:臨床心理学

略歴: 早稲田大学大学院修了。博士(人間科学)。民間相談機関カウンセラー、東京都スクールカウンセラーなどを経て現職。ひきこもりに関する研究に取り組んでいる。公認心理師、臨床心理士。

物事をみる”眼”

2020年10月23日 投稿者:野澤 義隆

 10月も下旬となり,段々と日が短くなってきました。少し前までは,休日になると日が暮れるまで子どもたちとカエルやバッタなどを探し回っていましたが,今ではそのような生き物を見る機会は減りました。日没が早まるにつれて,来年のことを考え始める時期になったのだと実感しています。

 このことは,おそらく私だけではなく,それぞれが来年に向けて,進学や就職などの希望先を考え始めているのではないかと思います。では,自身の希望先はどのように選択していくのでしょうか。また,自身の希望を叶えるためには,何が大切なのでしょうか。今回は,そのヒントとなる話をご紹介したいと思います。

 

 「すべてはわれわれの眼のできる限り完全で,芸術的な訓練に依存する。個々の測定が全般的構成についての観念や直観なしに,型どおりに行われるならば,とてもわれわれを進歩させはしまい。センチメートルではなにもわからない。それ自体はわれわれの目的である生物学的タイプの理解に決して導かないだろう。しかし,一たびわれわれが見ることを学んだならば,われわれは,コンパスがわれわれに正確ですばらしい確証をもたらし,数字や公式や,時にはわれわれが眼で見つけ出したことに重要な訂正をもたらすことに気付く。(大井・菅田(訳)「ヴィゴツキー障害児発達論集」、ぶどう社、1982年、より)」

 

 これは,旧ソビエトの心理学者であるL.S. Vygotskyが,ドイツの精神医であるE. Kretschmerのことばを引用しながら述べた話です。哲学博士であり,理論心理学者である恩師が紹介してくれた,非常に心に残っている内容でもあります。

 

 現代は素粒子さえ緻密に測定ができます。その測定方法は,今後もますます進歩していくでしょう。それに伴い,以前より正確な測定結果を示せるようになっています。

 みなさんが選択肢の1つとして考えている就職希望先の会社や大学進学先等の評価を測る方法も様々なものが存在しており,ある側面においては今後も測定の正確さが増していくでしょう。しかし,その指標だけで決めるのでは不十分なのです。どんなに緻密な測定方法を用いるよりも,そしてその評価結果を参照するよりも,”物事をみる眼”が大切だということです。

 

 みなさんの”眼”でみた自身の進路希望先は,どのように映っていますか?

 また,受験生にとって本学はどのように映っているでしょうか。

 ネットなどで評価だけを見て物事を決めるのではなく,是非,自身の”眼”で物事を確かめてみてくださいね。

 

野澤 義隆(NOZAWA Yoshitaka)

プロフィール

専門:社会福祉学、子ども家庭福祉、社会的養護、子育て支援

略歴:立正大学大学院社会福祉学研究科 修士課程修了 帝京学園短期大学助教、立正大学助教、東京都市大学専任講師を経て現職。


身体って素直・・・

2020年10月9日 投稿者:永井 伸人

 コロナ禍で社会の混乱が続いています。2月には、横浜港に入港した大型クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号内で新型コロナウイルスの感染者が確認されたことにより、乗客全員が下船できずに船内に留められました。同月、政府は、イベントの中止等の要請、学校の臨時休業を要請、3月には世界保健機関(WHO)から世界に向けてパンデミック宣言が出されました。緊張感が高まる中、4月には、政府から緊急事態宣言が発令されたことにより社会は一変し、外出はしない、仕事はリモートでする等、大学に勤める私も当然のこととして在宅勤務となり、自粛生活が始まりました。

 大学を卒業してから、運動指導や健康づくりに携わってきた私は、特別なスポーツを行うことだけでなく、毎日の生活の中で、歩くこと、階段を使って上り下りをすること等を、当たり前のこととして大切にしてきました。そして、自粛生活の中でも日課として軽い筋トレだけは続けていました。自粛生活も長くなり2か月を過ぎた頃、筋トレだけでは運動不足と思いジョギングをしたところ、走り始めて数分後の登り坂で、左足のふくらはぎ(腓腹筋)に「ピキッ」と引っ張られる感じとともに痛みが走りました。軽いジョギングのつもりでゆっくりと走っていたにもかかわらず、このレベルでの故障に愕然とするとともに悲しくなりました。幸い大事には至らず1週間ほどで痛みは取れましたが、その後、ジョギングは中止しています。

 7月からは一部対面授業が開始され、学生に会えるのを楽しみに大学へ行きました。しかし、授業を終えて帰宅してみれば、足腰が重だるく、十分に歩いた感じがひしひしと伝わってきたものです。振り返ってみれば、自粛生活で家に居ることが多く、限られた活動範囲で歩く歩数も激減です。数ヶ月ぶりの通勤で、電車の乗り継ぎや階段の上り下り、急に運動量が増えたことにより身体が悲鳴をあげているのです。

 5月に緊急事態宣言が解除され、子どもたちの学校生活が再開されてから数ヶ月が経ちました。多くの教育現場から、何でもないところでの転倒による骨折、部活動が再開され、練習中の肉離れや捻挫など、多くのケガの報告が聞かれます。素晴らしい機能を備えている身体ですが、それは、適切な刺激がなければ衰退し、適切な刺激があれば維持されるのです。 コロナ禍での運動(身体活動)の確保について、改めて考えさせられる今日この頃です。

 

永井 伸人(NAGAI Nobuhito)

プロフィール

専門:健康・運動指導法・こどもの体育

略歴:国士舘大学体育学部卒業、人間総合科学大学大学院修士課程修了、高校、専門学校、短期大学を経て現職。大学卒業後30数年に渡り、運動を通した健康づくりに携わっている。

 心理学は子育てにとても役立ちます!これは自信を持って言えます。ただ、実際に3人の子どもを育てる中で、「お母さんは、心理学やってるのに、何もわかってないね」と何度言われたことか(汗)。でもこのくらい不甲斐ない親であって、私はよいと思っています。子どもが思春期には、きちんと親に反抗し、親としても、ある時は子どもに寄り添い、ある時は子どもと対決し、ある時は子どものようにふてくされ・・・。これが実際の生身の親子関係です。

 このように書いていると、皆さん疑問に思うかもしれません。「心理学者は完璧な親ではないの?」と。「完璧な親」でないことこそが大切な面もあるのです。精神科医のウィニコットは、「ほどほどによい母」(good enough mother)こそが健康的な親だとしています。

 

 さて、子どもとの関わりは、子どもの育ち(発達年齢)によって、親自身が意識して子どもとの距離感を変えることが必要です。とはいうものの、これがなかなか難しいのです。特に都会で子育てをしていると、大学生になっても自宅から子どもは大学に通うことも稀ではありません。

 我が家でも「一人暮らしがしたい!」と息子からの熱いコールを受けてますが、経済的な理由からもすぐにOKは出しにくいものです。だからこそ都会の子育ては、親から意識的に「子離れ」する必要があることを実感しています。

 

 エリクソンは、青年期の発達課題を自我同一性と表現しています。自分はどんな生き方をしたいのかなど、アイデンティティを確立していくことが発達課題となるのです。

 子どもの発達課題に沿うように、親は子どもと適切な距離を作りながら子どもの自立を応援していきます。子育ては、子どもの発達課題だけではなく、親密性や世代性という親の発達課題を成し遂げながら・・。

 

 子育てに関して、何かお役に立てないかと考え、本学の教員で書籍やデジタル絵本を出版しました(スポーツで生き生き子育て&親育ち:福村出版)。

https://www.fukumura.co.jp/book/b491880.html

https://togotokyo101.wixsite.com/mysite/blank-3

 

高校生の皆さんも、たまには、保護者の方が、どのような思いで皆さんを育てたのかという子育て話なども聞いてみると面白いと思います。これこそが大人の道への第一歩です!

 

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藤後 悦子(TOGO Etsuko)

プロフィール

専門:コミュニティ心理学

略歴:立教大学、筑波大学大学院兼任講師を経て、現在に至る。博士(学術)臨床心理士。学校・保育・子育て・スポーツ分野での臨床。放課後子ども教室や学童のスタッフ研修などを担当。

心理学と「かわいい」

2020年7月10日 投稿者:坪井 寿子

 本学の心理専攻は、こども心理学科(学部)のもとにあります。みなさんは、こども心理学についてどのようなイメージを持っていますか。子どもたちの心や行動に関する心理学といったところでしょうか。確かに、乳幼児心理学や児童心理学が中心的な領域になります。ただ、心理専攻では、心理学のもっと広い立場から考えていくことができます。基礎的な心理学としての知覚・認知、感情の実験的研究からどのようにかかわっていくことができるのでしょうか。

 

 1つの例から考えてみます。幼い子どもたちが楽しそうに遊んでいる様子を見ていると、多くの人は「かわいいな」と思うことでしょう。「かわいい」という言葉からは、なにかほんわかしたほのぼのとした印象を持ちます。むしろ科学的に厳密に調べることとは縁がなさそうな感じもします。でも、このかわいいについて、実験心理学の立場からのアプローチもあります。「かわいい」の研究の第一人者である入戸野宏氏は、さまざまな領域から「かわいい」について研究しています(詳しくは、入戸野宏著(2019)『「かわいい」のちから:実験で探るその心理』を参照してください)。さきほど、幼い子どもたちが…と書きましたが、私たちがとらえている「幼い」と「かわいい」は似ているようでいて違う点もあることをいくつかの実験を通して示しています。その一方で、「かわいい」の研究は基礎的なテーマだけでなく、実際の生活場面にも貢献することがあります。ちょっとした工夫で身の周りの雰囲気が和んだりすることもあります。

 

 さらに、入戸野氏は、「かわいい」というほんわかした感じのものだからこそ、きちんとした手続きで研究を進める必要があると述べています。このようなほんわかしたものに限らず、そもそもとらえどころのないものについて心理学ではさまざまな工夫をしながら調べています。そこが心理学の1つの特徴かもしれません。

 

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坪井 寿子(TSUBOI Hisako)

プロフィール
専門:認知心理学、発達心理学
略歴:学習院大学大学院博士後期課程中途退学、大学入試センター(非常勤)、鎌倉女子大学専任講師を経て本学に勤務。臨床発達心理士、学校心理士。

人はそれぞれ,口調が違い,その人の人柄を感じることがあります。文章でも,人それぞれの筆致があって,文章の構成や,言い回しに人柄が表れます。文学作品でも,著者の人柄というのは,その文体にも表れ,自分とフィーリングの合う作家,合わない作家などが出てきます。本をたくさん読んだ人なら,きっと自分の好きな小説家,苦手な小説家がなんとなく分かれてくると思います。
手紙でも,文学作品でも,書いた人が目の前に居るわけではないけれど,その書き手の人となりを感じながら,込められた思いを読み進めるのではないでしょうか。過去の偉大な小説家の文学作品は,今を生きる私と,時空間を隔てているのに,心を揺さぶることがあります。
その点では,音楽も全く同じなのです。作曲家は,小説家が小説を書くように,楽譜にその人の筆致,言い回し,口調で表現しています。ですので,音楽作品を聞くとき,作曲家の人となりを感じることができます。そして,真剣に向き合えば向き合うほど,作曲家の人格によって自分自身の人格が揺さぶられることがあるのです。
ワーグナー, R.(1813-1883)という作曲家をご存じでしょうか。クラシック音楽に詳しくない人でも,彼の「結婚行進曲」を一度は耳にしていることと思います。このワーグナーという作曲家ほど,大好きという人達(Wagnerian)と,大嫌いという人達(Anti-Wagnerian)がはっきり分かれる作曲家は珍しいと思います。

 

ワーグナー

 

良きにつけ悪しきにつけ,世界を変えるほどのインパクトを与える人というのは強烈な個性(性格の著しい偏り)を持っています。ワーグナーに関する伝記を読むと,臨床心理学でいうところの「人格障害」に該当する逸話が山ほど出てきます。そして,彼の激しい人格が投影された筆致,言い回し,口調の音楽作品に触れた人に,大きな感情的な葛藤を引き起こす力を持っているのです。
ワーグナーの音楽作品について,当初,文壇で大絶賛を送っていたニーチェ, F.は,途中から作品に投影されたワーグナーの闇の部分を感じ取るようになり,やがてAnti-Wagnerianの立場を取っていきます。ワーグナーの音楽に触発されノイシュヴァンシュタイン城(シンデレラ城のモデル)を建築したバイエルン国王ルードヴィヒ2世は,国家財政が破綻に瀕するほどの経済援助をワーグナーに与え,後に謎の死を遂げています。ワーグナーの音楽に傾倒していたフランスの作曲家ドビュッシー, C.も,ワーグナーの音楽祭に参加する内に違和感や危険性を覚えて,Anti-Wagnerianの立場を鮮明にしていきます。これらの例は,人格と人格の真剣な向き合いの中で生じたことといえるでしょう。

 

ノイシュヴァンシュタイン城

 

音楽は,正確に,立派に,上手に演奏される名人芸が大切なのではなく,文学作品を精読するときのように,自分の人格と作曲家の人格の相互作用を感じ取ることで,深みを増すことになるでしょう。ちょっと心理学的な切り口からの音楽の聴き方というお話でした。
 

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竹内 貞一 (TAKEUCHI Teiichi)
プロフィール
専門:音楽教育学、音楽心理学、芸術療法
略歴:東京学芸大学大学院音楽教育専攻修了。早稲田大学大学院心理学専攻修了。臨床心理士。スクールカウンセラー、教育相談、小児医療における心理療法・査定に従事。

今回は、イングランドと日本では、サッカースタジアムという空間の認識の仕方に違いがあり、その一端が観客席の呼び名に反映されているのではないか、というお話です。例として、名門マンチェスター・ユナイテッド(Manchester United)の本拠地オールド・トラフォード(Old Trafford)と、国内最大のサッカー専用スタジアムで浦和レッズの本拠地埼玉スタジアム2002を挙げます。

 

まずは図をご覧ください。

サッカースタジアムの図

一般に、線分a-b, c-dはゴールライン(goal line)、線分a-c, b-dはタッチライン(touchline)と呼ばれますが、それぞれをエンドライン(end line)、サイドライン(sideline)と呼ぶこともあるようです。以下では、後者を用います。次に各ラインに沿う観客席を、それぞれA, B, C, Dとします。破線(e)-(f)はエンドライン、破線(g)-(h)はサイドラインの中点をそれぞれ結んでいます。

 

『オックスフォード新英英辞典(Oxford Dictionary of English, ODE)』は、エンドラインのendを「あるもの[こと]の最後の部分」、サイドラインのsideを「もの、場所、あるいは中心とみなす点の左または右の位置」と定義しています。ポイントはendの「最後の部分」、sideの「左または右」です。

 

フィールドの選手たちは、相手ゴールを目指して、基本的に(e)⇄(f)の方向に動きます。エンドラインは、(e)-(f)両方向へ広がるフィールドの「終端」を示すラインであるだけでなく、選手たちの仕事の「最終段階」、つまりゴールを決めるという「有終の美」を演出する場を際立てるラインでもあります。一方、サイドラインは、選手の(e)⇄(f)方向への線的な動きを軸とすると、常にその「左右」に並行して伸びるラインであることがわかります。このように考えると、エンドラインとサイドラインは、フィールドでプレーする「選手の目線 “(e)⇄(f)”」を基準にした呼び方と言えそうです。

 

スタジアム

ではこれらの点を踏まえて、オールド・トラフォードの観客席の呼び名を見てみましょう。現在、Aはサー・アレックス・ファーガソンスタンド(Sir Alex Ferguson Stand)、Bはイーストスタンド(East Stand)、Cはサー・ボビー・チャールトンスタンド(Sir Bobby Charlton Stand)、そしてDはストレットフォード・エンド(Stretford End)と呼ばれています。全部スタンドでも良さそうですが、なぜかDだけはエンドで、しかも実はBには、スコアボード・エンド(Scoreboard End)という別名があるのです。この事実から、オールド・トラフォードには、サイドラインに沿う観客席をスタンド、エンドラインに沿う観客席をエンドとして区別しようとする心理が働いているとは言えないでしょうか。つまり、観客席の呼び名にも、フィールド発の「選手の目線」が生きているのです。掲載した画像は、ほぼこの「目線」で見たストレットフォード・エンドです。撮影場所はスコアボード・エンド最前列で、図の中の白丸付近です。

 

一方、埼玉スタジアム2002では、Aはバックスタンド、Bは南サイドスタンド、Cはメインスタンド、そしてDは北サイドスタンドと呼ばれます。すべてスタンドで統一されている点もさることながら、オールド・トラフォードでは「エンド」と呼ばれるBとDに「サイド」が用いられている点は注目に値します。つまり、埼玉スタジアム2002ではB, Dを「左または右」とみなす「目線」が基準になっているようです。一つの可能性として、メインスタンドCに座った「観客の目線 “(h)→(g)”」が考えられます。これなら「フィールドの後方(back)にある観客席」という意味で、Aをバックスタンドと呼ぶ理由も説明がつきます。また観客席にいる人は、選手ほど切実にエンドとサイドを意識する必要もありません。だから観客席はすべてスタンドでいいのです。

 

動的な選手の目線と静的な観客の目線、皆さんはどのようにお考えですか。

 

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宅間 雅哉(TAKUMA Masaya)

 

プロフィール
専門:英語学(史的研究)、イギリスの地名研究
略歴:国際基督教大学大学院教育学研究科博士前期課程修了。山梨英和大学教授を経て、2012年より東京未来大学教授。