第109回 その権利を主張する前に、《義務》は果たしていますか?

2020年11月13日 投稿者:田澤 佳昭

 国際関係において領土をめぐる対立がありますが、昔の地図や書物に地名が掲載されて昔から知っていたことを理由に自国の領土であると主張することがあります。けれども、それを認めるのは、自分の歩いた通り沿いの空き地はすべて自分のものだ!という暴論を認めるのと同様、おかしい気がしますよね。

 国際法の「先占」という考え方は、ヴァッテルの定義(1758)によれば、「ある国家が居住者のいない無主の土地を発見した際に、その国家はその土地を合法的に占有することができる。そして、この点に関する国家の意思が十分明らかになった後は、いかなる国家もその土地を奪うことはできない。」となります。言い換えれば、ある領域に対して、どの国家も《義務》を果たす意思を示さず放置した場合、その地域は、国際法上、「無主地」とされ、その期間の領有権は認められないということになります。

 このような話になると、国際法上の「先占」が植民地化を正当化するために考え出されたものであったと批判し、それを政治的に利用して「先占」という考え方そのものを否定しようとする人もいます。けれども、植民地支配の正当性を否定するのは良いとしても、権利を主張するために必要な《義務》があるということの正当性まで否定することはできません。国際法上、領域に対する権利を主張するには、権利を主張するために必要な《義務》があるのです。

 新型コロナウイルスの感染が拡大するなか、日本では三密の回避や、マスクの着用など、感染拡大の防止に向けた協力を求められていますが、残念ながら、電車内や人の多い場所でマスクもせずに大声で話し、飛沫とともにウイルスを飛ばしている心無い人が少なくないようです。マスクをする、しないは個人の自由と言いたいのかもしれませんが、危険なウイルスを拡散させ、他人の命を脅かしたり他人に経済的損失のリスクを与えたりしないよう注意する《義務》が無くなるわけではありません。国内法でも《権利》と表裏一体の《義務》があることをお忘れなく!

Vattel, Emer de, Le Droit des Gens, ou Principes de la Loi Naturelle (1758) [The Law of Nations or Principles of the Law of Nature (1760)], Liv. I, Chap. XVIII, §207


田澤 佳昭(TAZAWA Yoshiaki)

プロフィール

専門: 国際政治

略歴: 日本大学大学院博士後期課程政治学専攻満期退学。道都大学短期大学部専任講師・同経営学部専任講師・准教授を経て現在。南シナ海・東シナ海の沖合無人島嶼・海洋境界をめぐる国際問題を研究。